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探偵・渦目摩訶子は明鏡止水  作者: 凛野冥
【水の章:聖なる夜へ向けた計画】
46/48

5「渦目摩訶子による真の解決編」

    5


「麻由斗は自殺したよ。猟銃で自ら頭を撃ち抜いたのだ」

 聖なる夜の静寂に、しわがれた声だけが響く。

「この小説に書かれているとおりにですね」と返して、摩訶子が原稿を軽く掲げる。

 森蔵の死体が寝ている穴を隔てて、眞一郎は立ち止まった。年季の入った厳めしい佇まいに相対し、うら若き女子高生探偵は負けず劣らず確固として言葉を繋ぐ。

「私には貴方と森蔵が長年に渡ってやってきた犯罪までが紐解けました。すべて、今回の事件と同じだったのですね。まずは森蔵が小説を書き、貴方を含めた登場人物全員がそれを台本として再現し、後に小説は回顧録として出版される。事件があって小説ができたのではない。小説があって事件ができた。ゆえに現実の事件であるにも拘わらず、名探偵によって解決され得る、推理小説的な事件となっていたのですね」

 それは、歴史を揺るがす闡明せんめいだった。しかしこの茫漠ぼうばくにして寂寥せきりょうとした闇夜に、それは心地良く融かされていくかのように感じられた。

「茶花くん、」

 摩訶子は、視線は眞一郎へと向けたまま、傍らに辛うじて立っている俺に呼び掛けた。

「推理小説において、事件は何を以て解決になると思う? 探偵の推理を以てというのは、実は必ずしもそうとは限らない。今回の事件を思い返してみたまえ。私は何度か〈解決編〉を演じて事件に幕を下ろそうとしたし、一見するとたしかに幕は下ろされたように見えたけれど、こうして今もまだ続いている。同様の例は、推理小説ではあり触れているではないか。かの有名な後期クイーン的問題とも絡むが、ことに〈操り〉が横行して〈どんでん返し〉が過剰化したミステリにおいては、謎解きが無限階梯化かいていかされることにより、解決は体系内で不能となってしまう。無限に続く推理。際限のない謎解き。それでも推理小説は、それが誤魔化しに過ぎないとはいえ、終いには解決を迎えるのだ。探偵は定められた解答へと、真相へと辿り着くのだ。何によってそうと分かる? 読者はどこを判断材料として結末に納得する?」

 応えられない。応えられないでいると、摩訶子が正解を与えてくれる。

「小説が終わるからさ。物語が終わるからさ。反対に云えば、まだページが半分以上残っている段階で披露されるような推理は、それがおよそ破綻がないように思われたところで、読者は信用しないだろうな。作者が下手くそでなければ、回収されていない伏線も残っているだろう。だが最後に披露される推理はそうではない。少なくともその小説はそれを真相として設定しているのだと分かるし、作者の力量が及ぶ限り、伏線も綺麗に回収が為されるはずだ。結末における納得や満足感を損なうような伏線はそもそも張らなければいい。そうやって、論理の瑕疵かしや不完全性は演出によって隠蔽されるのだよ」

 しかし――と言葉を継ぐ摩訶子。流麗に語られ続ける真実。

「これが現実の事件となれば、そうはいかない。現実は小説ではないから、結末を定めたり演出したりする作者はいないし、都合良く動いてくれる登場人物もまた然りだ。ゆえにホームズのような名探偵は存在できない。ワトスンのような語り部は存在できない。推理小説的な殺人事件など、起こるべくもない。

 だが、それを実現させてしまったのが、森蔵であり眞一郎だった。自らが書いた推理小説を再現するという方法で以て、それは実現され得た。探偵が事件を解決できるのは作者によってそう定められているからだ。そんな推理小説でしか通用しないはずの理屈で以て、眞一郎は現実の事件を解決していたのだ。他の登場人物たちも過半数が、それを承知のうえで各々の役割に準じていた協力者だろう。山野部森蔵作品とは、全部が大掛かりな演劇だったのさ」

 その生涯を全否定するかの如き告発を、眞一郎は眉ひとつ動かさずに受け止めていた。

 むしろ満足そうな、この時間に深く心地良く浸っているかのような様子さえあった。

「吾輩らがどうして、そのような仕事をやってきたか分かるかな。金銭のためでもない。地位や名誉のためでもない。死んでいった多くの者達も含めた吾輩らの本懐を、おぬしは理解しているかな」

「はい。たとえば今回の事件に関して云うなら、もしかすると紅代などは本当にシナリオが覆されることを期待していたのかも知れませんし、母上が私の活躍を望んだというのもまんざら嘘ではなかったかも知れません。これまでの事件つまりは作品でも同様に、事前の取材によって個々の願望に応じた展開を森蔵が組み込んだ場合は少なからずあったことでしょう。ですが、小説内で示された自分の〈願望〉が叶わないことを知っていて協力していた彩華や爺上、あるいはその他の人々にこれは当て嵌まりません。ほぼ全員の根底にあっただろう目的――貴方が本懐と云い表すものの正体は別にあります。それは、推理小説を絵空事にしたくないという強い想いですね」

 眞一郎は黙って頷き、摩訶子に続きを語るよう促した。

「史哲も云っていました。『山野部森蔵の作家活動とは、〈うつし世〉の中に〈夜の夢〉を見出さんとする、推理小説愛好家の挌闘の軌跡である』。これがそのまま真実だったのです。森蔵のこの想いに共鳴した推理小説愛好家たちこそ、彼の作品の登場人物たちだったのです。『本書を長らく虐げられ続けた我々の叛逆の旗印とする』。推理小説を現実のものにしたいと考える者は多くいたことでしょう。もちろんそのために犯罪に加担し、さらには秘密を外部に漏らさない者となれば限られてきますが、森蔵は我が国で最も成功した推理作家であり、その熱狂的なファンには事欠きません。候補者選びは慎重さを要しこそすれ、はじめの数年を除けば、大した苦労もなかったのではと想像します。

 たとえば今回、薊沙夜は山野部森蔵研究会の会員でありました。彼女を見出して接触したのは史哲か、そうでなければ小説内には名前の出ていない研究会の幹部といったところでしょうか。いずれにせよ、紅代が〈アリバイトリック〉を用いるにあたって薊夕希を騙ったのも、姉が協力者となり得たためです。そうでなければ、山野部家をメインとした今回の事件に薊姉妹は関わりを持たないのですからね。

 また、沙夜は山野部森蔵作品の中で被害者たちがある程度共有しているだろう意識について、それを示唆する台詞を与えられていました。推理小説の構造から必然的に特権化される、意味のある死を死ぬこと。これを敷衍ふえんすればミステリにはあまり感心のない自殺志願者たちまで協力者に迎えられたでしょうし、被害者に限らずすべての協力者は山野部森蔵作品の登場人物として存在に意味がもたらされ、作品が続く限りそれが保証されるという破格の利益を受けられたことも分かります。であれば協力者たちもバラエティに富んだはずなので、外部から見たときに関係者たちに怪しい繋がりがあると気付かれる惧れはそうやって減らしたのではありませんか? ともあれ、いくらか偏りはあれど、山野部森蔵作品が普遍的な求心力を持つ理由はこのあたりにあるのかも知れません」

「ウン……ウン……見事だ……実に良く諸要素を止揚しようして述べておる……」

 眞一郎は何度も頷いていた。彼は否定されているのではなく、ひたすらに肯定されているのだと俺は知った。この黙示は断罪を意味しない。救済を意味しているのだ。

「だが、そろそろ時間が来てしまうよ。今回の事件……今回の小説……『渦目摩訶子は明鏡止水』がどうして書かれたのか、どうして実現されねばならなかったのかについて、話してくれるかな」

 なぜか、彼はここで少し急ぎ始めた節が見て取れた。そして摩訶子にも、その理由が分かっている様子だった。彼女の真〈解決編〉は締め括りへと向かい始めた。

「『渦目摩訶子は明鏡止水』は、山野部森蔵の最後の作品です。彼の死後に幕を開け、その舞台は満を持して〈つがいの館〉ひいては山野部家でありました。彩華の顔を焼いた件があるために少なくとも五年前――実際はそれよりもさらに以前から準備が進められてきたに違いありませんが、一体どこまでが仕込みであったのか、すべてを正確に断じることはできません。林基と稟音の近親相姦や、季瀬姉弟が取り入れられたことや、秋文から母上へのレイプおよび私が産まれたことや、木葉のエジプト神話への異常な熱意と家系図の再現や、彩華の茶花くんへ対する想い等々――本来の物事として下地にされた部分と、この事件に備えて逆算的に企図きとされた部分とを分けるのは困難を極めます。

 ただし今回の場合、皆に共通していたのは山野部家の人間としての使命でしょう。推理小説への関心があまり見られない者ならばいましたが、森蔵への畏怖や敬慕については例外がありませんでした。稟音が再三に渡って強調していた他にも、林基の〈定められたままに身を任せるのみ〉という発言などから彼らの心情は察することができます。彼らはこの事件のために産まれてきたのだと云って、何ら過言ではないのです。

 さて、ではどうして森蔵がこの事件を実現させたのかについてですが、それは『渦目摩訶子は明鏡止水』の書かれ方から導き出されます。この小説は覇唐眞一郎の活躍を山野部森蔵が綴ったものではない。渦目摩訶子の活躍を山野部茶花が綴ったという形式をとって書かれています。事件そのものも、私と茶花くんを中心として展開されました。結論、これは山野部茶花を新たな山野部森蔵とするべく、そのデビュー作として起こされた事件だったのですね。

 爺上が語った、眞一郎が私に、森蔵が茶花くんに接続されるという話は、まったくのダミーというわけではなかったのです。秋文も語っていましたが、私達は貴方たちの継承者としての資格を備えており、事実そうなったのです。そうさせられたのです。

 ところで『渦目摩訶子は明鏡止水』では現実との相違点がいくらか出ましたけれど、それは本編中で紅代が手本を示したように、茶花くん本人に書き直させるつもりなのでしょう。第二稿で手元に残っているのは『~バラバラにされた海獣~』のみですからね」

「お、おい――」

 話が俺に関係するところまで及んだため、ようやく口を挟むことができた。

「そんな――これを――俺の名義で出版するのか? できるわけがないだろ? 問題だらけの内容だ。特に、森蔵と眞一郎さんがやってきた犯罪なんて――それも発表するのか?」

 疑問が止まらなくなる。次から次へと口をついて出てくる。

「それを森蔵が望んでいるのか? 自分の作品が全部、無価値になってしまうじゃないか。いくら死後だからと云って、伝説の作家が伝説の犯罪者に成り下がるぞ。眞一郎さんだって、他にこれまで協力してきた人々だって、そんなこと――容認できないんじゃないか? どうして最後の最後に、そんなすべてを台無しにするような――」

「逆だよ、茶花くん。君を後継者にするとは云っても、君――新人作家の山野部茶花は、山野部森蔵とは違うのだ。したがって、その作品がノンフィクション推理小説であるとも限らないのだ。ならば、フィクションには付きものの、あの文言を書くことができるではないか」

「え…………」それは、つまり…………。

「この現実の事件を、君がフィクション推理小説として出版することが何を意味すると思う? この事件はそれでも、詳細を伏せられながら、現実の報道によって人々に知られる。そこで君がこの事件について、フィクションなのかノンフィクションなのか曖昧な小説を発表する。フィクション推理小説が、もしかして現実を描いたものかも知れないという疑いは何をもたらす?」

「あ……あ……あ……」

「これと同様に、すべてのフィクション推理小説は現実を描いたものかも知れない。フィクションとノンフィクションの垣根が崩壊する。山野部森蔵がいくら現実に推理小説を描き出したところで、それは彼の作品に限定された話でしかなかった。しかし最後の最後で彼が企んだこととは、古今東西、ありとあらゆる推理小説を〈夜の夢〉から〈うつし世〉へと引き上げることだったのだ。あまねく推理小説を現実化する大トリック――それこそが彼の最後の大仕事であり、そのためにこそ、彼と彼らのこれまでの活動があったのだ」

 大いなる真実が告げられて、斯くして真〈解決編〉は締め括られた。

「よろしい……」と、覇唐眞一郎は最後にまた深く、頷いた。「山野部茶花……おぬしがこれから何を為すべきなのか、もう分かるな? 〈赦す〉も〈赦さない〉もない……。〈赦される〉も〈赦されない〉もない……。ただ拝領はいりょうせよ……。どんな不条理をも受け入れよ……。それが定められた、しゅく、っ……」

 彼の口から、ゴポゴポッと、真っ赤な血が溢れ始めた。雪の上に、ボタボタッと垂れて、その白を赤く汚した。

 ゴポゴポゴポッ。ゴポゴポゴポッ。ゴポゴポゴポッ。どこにこれだけの血液が入っていたのか不思議なほどに吐き出して、彼は前方へ倒れ込み、穴の中に落下した。

 その身体は底にあった棺に収まって、山野部森蔵の遺体の上に重なって、それきり動かなかった。

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