番外編:その日の朝
お立ち寄り下さりありがとうございます。本日、2話投稿しています。こちらは2話目です。
生涯で絶対に忘れられない日というものがあるだろう。
この日はその一日になると私は確信を持った。
その日の朝、家から侯爵家に私宛の使いが送られた。
お嬢様の護衛として勤め始めてから初めての出来事だ。
今までなら何か連絡があれば、お嬢様と登城したときに、父や兄は直接言ってきていたし、その方が早く効率が良い。
一体、何事なのだろう。
湧き上がる不安を抑えて、私は使いと共に馬車で実家に向かった。
久方ぶりに帰った実家で待ち構えていたのは、難しい顔をした父と、全てが緩み切った兄だった。
二人して仕事を休んだ事態に、私の緊張は高まった。
ソファに座る間ももどかしく、私は問いかけた。
「一体、どうしたのです?」
頷き口を開く父を遮り、みっともない程蕩け切った声で兄が答えた。
「エリーが婚姻を承諾してくれたのだ…!」
そのまま星を見上げて――まだ朝だが――、詩でも読みそうな陶酔ぶりだ。
父の難しい顔は、近衛らしからぬこの緩みぶりから来るのだろうか。
「おめでとうございます。良かったですね、兄上」
我ながら感情がこもらない祝福だったが、一応、微かに目出度いとは思っている。
チャーリーに手合わせを挑んで見事な負けを喫した兄に、エリー嬢との未来はなくなったと思っていたが、エリー嬢は情に厚かったのか、兄に毒されたのか、いずれにせよ、ともに歩む未来を選んでくれたようだ。
兄は私の冷めた心地など一切気が付かず、得々と私に話しかける。
「というわけで、シャーリー、クラーク家はお前に任せた。よろしくな」
――は?
「何がどういうわけで、よろしくするのか分かりません」
緩み切った兄を見るのは時間の無駄に思え、父に説明を求めた。
眉間にしわを寄せた父は口を開いたが、また兄が口を挟んだ。
「俺はエリーのケルヒャー家を継ぐのだ」
「それがクラーク家を継がない理由になるのですか?」
チャーリーも、以前、二つの家を継ぐ発想がなかった。兄もそうなのだろうか。
兄は顔を赤くして立ちあがった。
「二つも継いで、俺が片手間にケルヒャー家を継いでいると思われれば、離縁されるだろう!」
私も立ち上がっていた。
「そんなこと、兄上が努力すればいいだけでしょうが!」
「俺はエリーとエリーの家に嫌われるリスクを負うのは御免だ!」
臆面もなく恥ずかしい本音をさらけ出した兄に、開いた口が塞がらなかった。
「二人とも座れ」
兄よりもさらに低い声が居間に響き渡った。
近衛総隊長の威厳を感じるその声に、兄も私も居住まいを正して席に着く。
父は眉間にしわを寄せたまま、話し出した。
「シャーリー。情けない兄を持ったと思って、そなたが家を継げ」
私は渋面になっているのが分かったが、敢えて取り繕わなかった。
父も渋面を返す。兄は緩み切ったままだ。
「私はまだ元気だ。私が総隊長をしているように、そなたも護衛をしながら家を継ぐことはできる」
兄はうんうんと力強く頷いている。気が付けば火柱が兄の面前に浮かび上がっていた。
「失礼」
欠片も感情をこめずに謝った。兄はうんうんと頷いている。この人、近衛を辞めた方がいいのではないだろうか。
父は重い溜息を吐いた。
「このようなことになると思い、随分以前に公爵家に跡継ぎを打診していたのだが」
「「え?」」
兄と私は顔を見合わせた。お互い初耳だった。
「天才剣士、チャーリー・デイヴィスに我が家を継いでほしかったのだ。シャーリーの婿に打診していた」
瞬間、居間中に火柱が立ち上った。
兄が立ち上がって魔法石を掲げて消して回るが、私は構っていられなかった。今の私には居間の一つや二つ焼けこげるなど些事だった。
「父上!その話を是非進めて下さい!」
父は私を見遣り、重い溜息を吐いた。
「事態が変わったのだ。この話は無くなってしまった」
「どういうことですか!」
私は火柱と共に父の襟を締め上げたが、鍛え上げた体はビクともしなかった。背後で兄が火柱を消している。
父は淀んだ眼差しを私に向けた。
「宰相はチャーリーの出自を明らかにするそうだ。フィアスの名誉のために」
話が高度の政治に移り、私は力なくソファに沈み込んだ。
「ああ、殿下の暗殺の犯人にフィアスも噂が上っていたな」
兄はようやく普通の顔に戻り相槌を打つ。
「そうだ。犯人を公表しないため、噂は払しょくできない。代わりにフィアスの名誉回復のためにチャーリーが宰相に庇護を受けていたことを公表するそうだ」
父は頭を抱え込んだ。
「せっかく、あの剣士を婿に迎えられると思っていたのに…!」
私は理解が追いつかなかった。
「どうして、公表して婿の話が無くなるのです?」
兄が冷めた目でこちらを見る。何やら腹立たしい。今日の兄にはその目で私を見られたくはない。
「フィアスの宰相の息子が、ウィンデリアの一領主を継ぐことになるのだぞ。どんな噂が巻き起こると思う?」
――ああ。暗く重い気持ちで私は事態を理解した。
かつての敵国に対する国民の目は厳しいものがある。ウィンデリアの領土に野心があるとまことしやかに囁かれるだろう。フィアスの名誉どころの問題ではない。
「宰相から直々に謝罪と共に話を断られた」
頭を抱えたまま、父は呟く。
「しかしご夫人のアメリア様は早速チャーリー殿に見合いを準備し始めたそうだ。家を継がず客人として婿に迎え、いずれはフィアスについて行くという形なのに、既に5件も話が来ているらしい」
5人?そこまでの熱意を見せるご令嬢が5人もいるのか?
いや、熱意なら私も負けはしない…!
兄が魔法石を掲げながら、「シャーリー!いい加減にしろ!」と怒鳴っている。
居間の一つや二つ、チャーリーに比べれば些事も些事だ。
「シャーリー。リッチーと違いお前はまだチャーリー殿の心を掴んでいない。だから家はお前が継ぐのだ」
私は歯ぎしりをした。くっ、私も5人に手合わせを挑めればよかったのに。
「ふん。例え掴んでいても、俺はエリーの家に専念する」
私は火柱と共に兄を睨みつけた。
兄は魔法石で防ぎながら――あんなもの作らなければよかった――、私に言い放った。
「お前、諦めるのか?」
「諦めない!」
条件反射で言い返した。
けれど、それは心の声だった。彼を諦めるなんてできない。そんなことはできないと私の全てが訴えていた。
部屋に一瞬静寂が満ちた。
兄と父がゆっくりと立ち上がった。
ニヤリと笑いながら兄が言う。
「それでこそ俺の妹だ。お前なら家を継いで、チャーリーを婿にして、さらには噂も吹き飛ばすこともできるだろう」
父が底冷えのする声で続けた。
「クラーク家の血にかけて、チャーリー殿をものにして来い。手段は問わない、いいな」
思わず敬礼を取ってしまう迫力だった。
――手段は問わない、その方向なら私にもまだ分がある。
女性として見られてはいないが、要はチャーリーを婿に迎えればいいのだ。愛は私の分だけで十分におつりがくる。
私の頷きを見ながら、父はさらに命を下した。
「アメリア様は行動の早い方だ。速やかに動け、シャーリー」
私は二人に背を向けて、玄関へと歩き出した。
背後から二人の声がかけられた。
「「健闘を祈る。シャーリー」」
奇しくも数日前にハリー様から頂いた同じ言葉を背に受けて、私の波乱の一日は動き出した。
お読み下さりありがとうございました。




