気付いた思い
お立ち寄り下さりありがとうございます。
ああ、このままどこかへ旅に出てしまいたい
僕は馬車の中で文字通り頭を抱えていた。
アメリア様の気迫あふれる攻撃から何とか逃げ出し、レスリー殿の屋敷へ向かっている。
いつもなら、アメリア様から救い出してくれる公爵は、今朝は欠片も支援を期待できなかった。セディはもちろん王城だ。
僕は一人で立ち向かい、――そして逃げ出すことになったのだ。
――「ウィンデリアでウィンデリアのご令嬢と婚姻すれば、両国の絆をさらに宣伝できるでしょう?」――
若干の正論が含まれている点が公爵の黙認を促し、アメリア様を勢いづかせていた。
レスリー殿との約束がなければ、確実に、あのままお見合いどころか婚約まで結ばされそうだった。
「はははは。アメリアは決めたら速いね」
出迎えてくれたレスリー殿は爽やかに僕の窮状を笑った。
前回訪問したときの陰りも疲れも見られない。素晴らしいことだ。
けれど、今日はこの爽やかさが少しばかり憎い。
「何とかなりませんか。この手紙を国境まで僕自身が運ぶとか…」
「うーん、時間を稼いでも状況は変わらないというか、逃げている間に全て決められているんじゃないかい?」
――確かに。
僕は頭を再び抱え込んだ。レスリー殿は一しきり笑った後、
「さて、大事な手紙は確かにお預かりした。必ず御父上の下に届けよう。」
改まった声に、僕は顔を上げレスリー殿を見つめた。
「どうか何卒よろしくお願いいたします」
フィアスの憂いを取り除くことが出来る手段を記した手紙だ。僕は深く頭を下げてお願いした。
微かな溜息と共に、温かな声が降ってきた。
「きっとフィアスを救えるだろう。君が故郷に戻れる日も近づいたね」
目に熱いものがこみ上げそうで、僕は話題を差し出した。
「ありがとうございます。実は、今日、他にもお力をお借りしたいことがあったのです」
「ほう、何だい?君からお願いされるなんて初めてじゃないか。僕のできる限りのことをするよ」
顔を輝かせながらもたらされた頼もしい言葉に、僕は説明を始めた。
フィアスで造られるバタタス酒を、ウィンデリアで売ることを試したいのだ。
フィアスではバタタス酒は日常の飲み物で、今までわざわざ外国に売りに出されることはなかった。
けれど、バタタス酒は公爵家でも、各地を回る吟遊詩人のフェリペにも、――ハリーにも、評判が良かった。
ウィンデリアにはない酒で評判の良い酒だ。可能性はないだろうか。
僕は試飲するレスリー殿の反応を待った。
自分の鼓動が聞こえそうだ。
香りを味わい、酒を一口口に含んだ彼は目を丸くした。
「素晴らしい。確かにこれは評判になる」
僕の呼吸が戻った。全身の力が抜けた僕にレスリー殿は再び目を輝かせて頷いてくれた。
「僕の領地で売りに出してみよう。アルバートにも頼んでみたかい?」
「いえ、頼んでいません。公爵は宰相でもあるので、頼みにくいものがあります。政治になってしまうのでは、と」
公爵が動くのではなく、国策として動いていると巷に思われてしまうのではないかと、どうしても直接お世話になっているにもかかわらず相談できなかった。
レスリー殿は額に手を当てた。
「君は本当にあの御父上の子だね。そんなことを気にする必要はないと思うが」
首を振り嘆息した後、レスリー殿はいつもの人の好い笑顔を浮かべた。
「では、まず僕の領地で売り始め、僕と親しいアルバートが次に売り出すという形を、アルに勧めてみよう」
「ありがとうございます」
心からの感謝を込めて僕が頭を下げようとしたのを、レスリー殿は遮った。
「チャーリー。君は素晴らしいものを売る機会をくれたんだ。礼が必要なら、それは僕だよ」
「売れるかどうか分かりません。ですから――」
レスリー殿は茶目っ気に満ちた眼差しを僕に向けた。
「売れなかったときは、僕が一人で存分に楽しんで飲めるさ」
目にこみあげた熱いものを、瞳を伏せて堪えた。
「そのときは、ぜひお付き合いさせてください」
レスリー殿の爽やかな笑い声が再び部屋に満ちた。
その後、バタタス酒をどの程度仕入れるかの相談を終え、父へその旨を書いた手紙を認め、帰途に就くことになった。
販売について相談していた高揚が急速に萎み、思わず溜息を吐いてしまった。
レスリー殿がクックッと小さく笑いながら僕の肩を叩いた。
「今日は、アルバートにお酒の話をすることで逃げられるだろう」
そう、今日は、逃げられる。しかし、明日はやってくるのだ。
僕の顔を見て、再び小さく笑いながら彼は言った。
「しかし、君ならどんな女性とでも穏やかな幸せを築けると思うけれど、どうしてそこまでお見合いを嫌がるんだい?」
そう問いかけられて、答えられない自分がいた。
誰かを愛して伴侶とする、そんな夢を抱いているわけではない。いや、それが理想だとは思っているが、自分にその理想が実現できるとは思っていない。
誰もが、セディとシルヴィア嬢のように熱い恋愛の果てに結ばれるわけではないと知っている。
お見合いから逃げたいのは、襟ぐりの深いドレスを着た女性が苦手だからだろうか。
確かに苦手だが、日常の昼のドレスは、襟ぐりはさほど深くない。共に暮らすなら問題はないはずだ。
心の準備が出来ていなかった、ということなのだろうか。
あてどなく答えを探す僕に、爽やかにそして温かく、声がかけられた。
「それとも、僕たちが知らないだけで、誰か隣に立ってほしい人がいるのかい?」
隣に立つ、その言葉を耳にした瞬間、脳裏に浮かんだ光景があった。
先日のパーティで、隣に立っていた美しい姿勢の彼女は、目を何度も瞬かせていて、そのまつ毛には光るものがあった。
光景はまだ押し寄せた。
気が付けばダンスに誘っていた時、横を向いた彼女の赤く染まっていた頬。
ダンスの最中、子どものような笑顔を浮かべて、ダンスを楽しんでいた彼女。
噴水の広場でフェリペと歌った時、涙を浮かべて拍手を送ってくれた彼女。
ベインズに戻れず落ち込みを隠せなかった僕に、心のこもった剣を振ってくれた彼女。
次から次へと彼女の記憶が鮮やかに蘇る。
それは心地よい波の様だった。どこまでもいつまでもこの波に漂っていたかった。
思わず目を閉じた僕の中で、今まで後回しにしていた感情がゆっくりと次第に広がり続ける。
それとも、広がっていた感情にようやく気が付いたのだろうか。
僕は…、彼女のことを…?
そうなのか…?
「おや。その顔は、リズとアメリアに歯止めをかけないといけないのかな」
見つけたばかりの、けれどもう無視することはできない、信じられないこの思いに囚われ、僕はレスリー殿に返事をすることが出来なかった。
お読み下さりありがとうございました。チャーリーの一日、まだ続きます。申し訳ございません。




