転機
お立ち寄り下さりありがとうございます。今回、虫が出てくる部分があります。お嫌でしたら、◇の部分を読み飛ばしてください!
今日は朝から調子が良かった。
昨日、クラーク兄妹との実戦練習に近い手合わせが出来たせいだろう。緊張した状況を久々に味わい身体が覚醒したようで、剣の練習でも体の切れが良かった。
感覚の全ても覚醒したかもしれない。朝の清々しい空気が、昨日と比べ物にならない程心地よい。
セディとの練習が出来ていていない自分は、少し、鈍っていたのかもしれない。厚かましいことだが、今後も、たまには二人に相手を頼めないだろうか。
身体の調子の良さに、心も浮き立ち、予定通りバタタスの収穫を始めた。
まずは一苗分の収穫だ。丁寧に土を掻き出し、見えてきたイモを掘り出す。
予想を裏切らないたくさんの収穫に、頬が緩む。
この一角でこれだけ収穫できるなら、全体で瓶に10本ぐらいバタタス酒が造れそうだ。
マイクや屋敷の皆だけでなく、ハリーとも十分楽しめそうだ。
今から、出来上がったお酒の香りを想像し、さらに頬が緩んだ時、こちらに走り寄ってくる足音が耳に入った。
「チャーリー様!師匠が、すぐに来て欲しいと!」
マイクの10歳の弟子、マシューだ。彼の全速力で来たのだろう。頬は紅潮し、息も上がっている。そして全身が緊張に満ちていた。
今日から、フロリマチの記録を取る約束をしていたが、それは朝食後からの予定だった。
状況が変わってしまったらしい。
僕は立ちあがり、軍手を外して、緊張が解けないマシューの肩を叩きながら、温室へと急いだ。
「師匠!」
マシューと僕は温室に駆け込んだ。先日、熱く語ってくれたフロリマチの辺りで、身じろぎ一つしないマイクの後ろ姿があった。
心臓が掴まれた気がした。
まさか、枯れてしまったのか?
声を絞り出そうとしたとき、マイクがこちらを振り返った。
「チャーリー様、記録をお願いします。この技術を残さなければいけない」
決然とした眼差しで、口調も改まったものになっている。
僕は大きく頷いた。
「記録の準備は持ってきたよ。今からでも大丈夫だ」
マイクは強張った顔に微笑を浮かべた。
「まずは見て下さい。『星枯れ病』です」
マイクが一歩離れて、フロリマチを見せてくれた。
――!
血の気が引くのを感じた。
一見、昨日までのフロリマチの美しい緑に、大きな変化はなかった。蕾も僅かに膨らんだままだ。
だが、緑の中に、異色があった。葉の2枚が黄金色になっていたのだ。
これは――、この黄金色は――、
「黄金病…」
言葉がこぼれ出ていた。
「黄金病?」
マイクの訝し気な声で我に返った。けれどフロリマチから、目にもしたくない黄金色から目を逸らせなかった。
「フィアスで大流行している病気だ。作物がこの病気で枯れてしまっているんだ」
掠れて声が出たかどうか分からなかった。
「作物が…、今頃、流行…?」
マイクの不思議そうな声で、僕はようやく黄金色から目を逸らすことが出来た。
驚きに満ちたマイクの顔が視界に入り、ゆっくりと言葉が脳裏に浮かび上がる。
対処…、技術…
引いた血の気が、今度は逆流する勢いで戻ってきた。
興奮で体が震える。
黄金病から解放される技術があるのだ…!
僕はマイクの肩を掴んで叫んだ。
「マイク!君はフィアスの救い主だ!この先ずっと、ベインズで、いや、フィアス全土で取れたバタタス酒を君に進呈する!!」
僕の大きな声に、マイクは目を白黒させて、固まっていた。
◇
マシューと共に学んだマイクの技術は、興味深いものだった。
マイクは箱から、鉢植えを取り出して見せた。どこにでもよく生えている白い花を咲かせる雑草サンベリゲだ。雑草をマイクが鉢植えで育てていることにも驚いたが、サンベリゲの白い花が少し元気がないことに不審を覚えた。
マイクが育てているのに?
よく見ると、茎に、2,3ミリの小さな緑色の虫、アフィドイが10匹ほどしがみついて、汁を吸い上げていた。
ますます、謎が深まる。害虫として知られるアフィドイが植物を弱らせることは明らかだ。どうしてマイクは放置しているのだろう。
◇
「この状態になると、サンベリゲはアフィドイから身を守ろうと、何か物質を出すらしい。この物質が『星枯れ病』に効くんだ」
――!
僕だけでなく、隣のマシューも驚きに息を呑んだ。
驚く僕たちを置いて、マイクは茎を半分に切り、そこから出る汁を、フロリマチにこすりつけ始めた。
僕は必死に記録を取り始めた。
マシューも質問を次々に投げかける。
アフィドイは何匹くらいがいいのか、サンベリゲ以外ではだめなのか、こすりつけるタイミングは、朝がいいのか昼がいいのか――
技術を受け継ぐため、必死に疑問をぶつける姿は、頼もしいものだった。さすがマイクが弟子にするだけはある。
マイクも僅かに笑顔を浮かべながら、彼に分かっている範囲で答えをしっかりと返して、弟子の熱意にこたえていた。
その二人の横で、僕はひたすら記録を取った。
細心の注意を払い、誰でも分かるように、例え技術が忘れ去られても、記録を見れば技術が蘇るよう、マイクに記録を見せ確認も取っていた。
マイクは僕の絵に感心し、あれこれ絵の角度に注文を出したりした。
そして、三日後。
フィアスで見た黄金病に侵された草は二日後には枯れ、周りの草に黄金色が広がっているが、この温室のフロリマチは違っていた。
フロリマチの緑はしっかりと残っていた。
それだけでなく、蕾はぐっと大きくなって、薄紫がはっきりと分かるまでになっていた。
星枯れ病、黄金病に打ち克ったのだ。
「マイク!おめでとう!」
僕は興奮のあまり、マイクの頭を抱え込み、髪をかき乱すほどだったが、マイクは涼しい顔で「やるべきことをしたまでだ」と呟いていた。
マシューはマイクの腰にしがみつき、喜んでいる。きっと、30年前のマイクはこうだったのだろう。いや、今のマイクの本心もこうなのではないかとこっそり涼しい顔を眺めていた。
僕たち3人はそれから温室で過ごした。マイクによると開花まであとわずかという見立てだったのだ。
開花の瞬間に立ち会いたかった。
夜も更け静けさが温室を支配し、マシューが舟をこぎ出したころ、その瞬間が訪れた。
ゆっくりと蕾が開き始め、薄紫の花びらが広がっていく。
僕はそっとマシューを起こした。
3人の目の前で、その花びらは完全に本来の形を取り始める。
花弁は外側に向けて紫が濃くなり、その紫は艶めかしい面持ちを、内側の薄い紫は清楚な雰囲気を醸し出していた。
見る者の時を止めてしまう、神が授けてくれたかのような美。
僕たちは何もかも忘れて、ただ、この神秘な薄紫に見入っていた。
お読み下さりありがとうございました。PCまだ動いてくれています!今回の話、おそらくお読み下さる皆様はチャーリーがバタタスを植えた時点で、庭師のマイクがでた時点でお気づきだったと思います。遅い展開にお付き合いいただきありがとうございました。5月完結、PCと共に頑張ります。よろしくお願いいたします。




