兄
お立ち寄り下さりありがとうございます。
味わったことのない疲れからだろうか。
やけに体が重く感じる。その体の芯に響くほどの低い声がかけられた。
「シャーリー、ローラ嬢からお前とのダンスをしたいと伝言をお願いされた」
筋肉を鍛えるのが好きそうな、あらゆる場所に筋肉を付けた近衛騎士が、シャーリーに声をかけた。
「分かりました。お嬢様の護衛をお願い致します」
慣れた様子でシャーリーは頷くと、すぐさまダンスの場へ歩いて行った。
ローラ「嬢」とダンス…?
それは女性同士でダンスをするということになるが?
僕の疑問は顔に出ていたようだ。
隣に立った騎士が、答えをくれた。
「シャーリーは護衛として男装している。一部のご令嬢方から、ダンスの誘いを受けることがあるのだ」
つまり、女性同士という意味とは少し違うようだ。男装が鍵らしい。確かに彼女は一般的な女性よりも背が高く、見栄えがする。
男性が苦手な女性には、有難い存在なのかもしれない。
もしかすると、僕も女装すれば、男性同士で…
いや、無理そうだ。
僕は可能性を捨てた。どうもまだ先ほどの混乱が収まっていないようだ。舞踏会でのダンスはやはり諦めることにした。そこまでしてダンスをしたいとは思わない。
「顔色が良くないように見受ける。座らないか?」
一段と低い声に、僕はダンスとの別れから現実に引き戻された。騎士は椅子を引いてくれていた。
そこまで先ほどの衝撃が自分に強かったのだろうか。
――ああ、強かったかもしれない…。
セドリック様を見ると、佇んだままだ。傍に立つ前に気力を戻さなくては。
有難く椅子に腰かけた。騎士は続いて、隣に腰を掛けた。
任務はどうするのだろう?
僕の疑問は遮られた。
「貴殿から見て、俺の妹はどう見える?」
「妹?」
「申し遅れた。リッチー・ジョン・クラークだ。シャーリーの兄だ」
兄妹なのに筋肉のつき方が随分と違うことに驚いた。まさか家族とは思わなかった。
「こちらこそ失礼しました。チャーリー・デイヴィスです。よろしく」
リッチーの顔に喜色が浮かんだ。彼は通りがかった給仕からグラスを二つもぎ取った。
近衛は任務中でも飲酒は可となっているようだ。
「まずは一献」
僕は護衛の立場の時は飲酒を控える主義だが、先ほどの衝撃を飲み下すため、今は飲みたかった。お酒の香りは甘いものだった。
グラス越しに視線を交わし合った後、一息に飲み干しグラスを置く。喉が熱くなる感覚に、少し気持ちが落ち着くのを感じる。
「いい飲みっぷりだな」
リッチーが感心したように頷いた。
「恥ずかしいところをお見せしました。いつもならお酒を味わって飲むのだが…」
普段なら、作物への感謝、作ってくれた人への感謝を込めて、お酒はしっかりと色も香りも味も味わう。一息で飲むなんてお酒への冒涜だ。
心の内でお酒に詫びながら、僕は任務に戻るため立ち上がろうとした。
その一瞬、リッチーが顔を寄せて囁いた。
「で、貴殿から見て、俺の妹はどう見える?」
そうだった。質問されていたのだった。
先ほどの衝撃がまた蘇ってきた。何を口走るか心もとない。彼女の家族に「僕には理解できないことを話す人だ」と言ってしまいそうだ。今の僕の感想はそれで満たされていた。
リッチーは目を爛々と光らせ、返事を待っている。
彼の太い首が目に入り、思い出した。
そうだ、彼女と話す前までの彼女の印象は――、
「素晴らしい筋肉の持ち主だね」
女性への誉め言葉かどうか怪しいものだった、心からの誉め言葉はこれしか思いつかなかった。そもそも彼女のことは筋肉と瞳の色しか知らなかったのだ。
「彼女は魔法を使って戦うことが出来るのに、あれだけの筋肉をつけているなんて、それだけでも素晴らしいけれど」
リッチーはうんうんと頷いてくれる。
「彼女と手合わせしたことはないが、彼女の筋肉と魔法を考えると、剣の振りは男性に劣ることはあり得ないだろう。それどころか相当な強さがあると見ている」
瞬間、がしりと両肩を掴まれた。少し痛いぐらいの強さだった。
「そうなんだよ!!さすが!よく分かるな!」
彼の低い声は辺りに響いた。幾人かの視線がこちらに向いたのを感じる。
ふと肩に置かれた手から力が抜けた。リッチーを見ると、彼の顔は緩み切り、右手を小さく振っていた。近衛の勤務はかなり自由が利くようだ。
視線の先を辿れば、水色のドレスの小柄な女性が微笑みながら手を振り返していた。
「エリーだ。俺の恋人だ」
「可愛らしい女性だね」
「ああ。初めて彼女を見た時、彼女以外の女性などあり得ないと思った」
熱い囁きが落とされた。僕は彼の情熱に微笑ましいものを感じた。
リッチーは照れ笑いを返した。
「彼女と恋人になるまで3年かかった」
「3年も頑張ったのか。熱いね」
彼は頬を赤らめた。
「ああ、頑張った。彼女が好きになった相手に、片っ端から手合わせを挑んで叩きのめしたんだ」
……。
大丈夫だ。今度は彼の言った言葉は理解できた。自分の耳を疑うことはない。
疑うことがあるとしたら、エリー嬢の幸せだ。
「一人目の時は、大泣きされて責められたが、三人目を過ぎたあたりから泣くことはなくなった。五人目の時に、溜息を吐いて俺と付き合うことを認めてくれたんだ」
あるまじきことだが、僕はセドリック様の傍に行く前に、もう一杯お酒を飲み干した。
お読み下さりありがとうございました。定期投稿が出来ず、お恥ずかしいです。ヒノキとも仲が悪いため、定期投稿に戻れる日が未定です。定刻投稿は致します。よろしくお願いいたします。




