一瞬の激情
お立ち寄り下さりありがとうございます。
「あり得ないですよ、師匠がそんなことを言うなんて」
笑いをこらえた声が、私を過去から引き戻した。
あり得ない?それこそあり得ないのではないだろうか。
口元を手で覆い、笑いを必死に堪えるセドリック殿をぼんやりと見つめた。
「師匠は、僕がこの技で剣を振ったとき、興奮してしばらく「すごい!」が止まりませんでした」
淡い緑の瞳は、師匠を語るうちに和らいだものになった。
「師匠にとって、剣は勝つためのものではないのです。生き延びるための、誰かを護るための剣であれと、僕にも必ず毎回言っています」
――自分にできない技を興奮して認めてくれる。技の深化のために別の師匠を探してくれる
それが、どんなに素晴らしく、そんな師匠に付いていることがどんなに幸運なことであるか、この少年は分かっているのだろうか。
そんな考えが脳裏をよぎった瞬間――、
魔力が一瞬立ち上るほどの激しい感情が体を貫き、その勢いのまま私は立ち上がっていた。
つられて隣のセドリック殿も立ち上がる。
だめだ!このままでは惚れてしまう…!
「何か欠点はないのですか!チャーリーには!」
藁をもすがる気持ちでセドリック殿の肩を掴んだ。
背後でハリー様の笑い声が聞こえた。
学園では、卒業までに聞くことができれば何でも望みが叶うと噂された伝説の貴重な笑い声だが、そんなものに構っていられなかった。
恐ろしい程、彼に惚れこんでしまう自分を感じ、セドリック殿の肩を揺すぶった。
「カエルを集めるのが趣味とか、何か、何でもいいから欠点を言って下さい!!」
私の剣幕にセドリック殿は目を丸くし、背後のハリー様の笑い声は今や練習場に響き渡るほどだった。セドリック殿は勢いに呑まれたまま、呆然と呟きを漏らした。
「…ダンス…」
ダンス?踊れないなんて、そんなありきたりなもので、この熱い想いは消せない。
このままでは、次に会った瞬間に魔力を使ってでも押し倒してしまう…!!
滾るような熱を抑えられる自信は全くなく、歯ぎしりを必死に堪えた時、セドリック殿は我に返り、慌てて首を振った。
「いえ、師匠は踊れないのではなく……………」
珍しく言い淀んだ後、セドリック殿は目を伏せた。
「踊りたい女性と踊れる日を夢見て、踊らないのです」
ハリー様の笑い声は、魔力を帯びて空気に浸み込み、空気を震わせていた。
しかし、私には伝説の笑い声は、単なる音でしかなかった。
自分の身体が一気に冷え込み重くなる感覚に、流されないようにすることで手いっぱいだったのだ。
私はゆっくりとセドリック殿の肩から手を放した。
「そこまで想いを寄せる女性がいるのですか」
声は乾いていた。
セドリック殿は、目を泳がせた後、言い切った。
「とにかく、ダンスですね」
彼の返事に違和感をぼんやりと覚えたが、その点を考える気力は私にはなかった。
セドリック殿は語り続ける。
「他には、頭が固いというか…、頑なというか、自分の立場を思い定めて、こちらの希望を無視して隔てを置いて、僕は少し頭に来ているんです。
大体、彼の立場を考えるというなら、あの態度は後に外交問題にも…」
自分で頼んでおきながら、私はセドリック殿の言葉を右から左に聞き流していた。
もう、チャーリーの欠点を知る必要がなくなっていたからだ。
そして、自分が「惚れてしまう」のではなく、既に「惚れていた」ことを身に染みて分かった。
けれど、一瞬にして私を捉えた恋情は、次の瞬間にはもう散っていた。
憧れの剣士は、憧れのまま遠い存在になっていた。
背後で、ハリー様の溜息が聞こえた気がした。
お読み下さりありがとうございました。3章に入る前にもう1話入れ込む予定です。花粉症から体調が不安定で、不定期投稿になるかもしれません。定時投稿は守るつもりです。お付き合いいただければ、有難い限りです。




