視察
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辺境への視察は、その後しばらくして実行された。
視察の一行は、セドリック様、ハリー、ハリーの助手のトレント、そして「護衛」の自分の4人という少人数編制だった。公爵は今回は本当に状況視察だけを意図したのだろう。フィアスの住民が攻撃を悪化させない予想への自信が窺えた。
僕には伝えていない情報があったのかもしれない。
僕が公爵家に来た時と同じように、ハリーの転移で辺境領に行くものと思っていたが、視察は馬車での旅だった。
馬の蹄と車輪の音を聞きながら座席に座るだけの、特にすることがない時間は思考の渦が蘇る。旅の間、僕の口は重くなった。
時折、セドリック様の不可解そうな視線を感じたが、僕は口を開く気にはなれなかった。
自分が何を話し出すか不安だった。
子どもにあんな視線をさせるとは情けないことだと我ながら思う。
それでもどうしても考えが止まらない。
このままフィアスに行くべきかどうか、その悩みだけでなく、フィアスの国民がウィンデリアに被害を与えていることにも居たたまれない気持ちがした。渦はどんどんと勢いを増しているようだった。
ハリーの紅茶が恋しかったが、旅でそれは望めなかった。
急いだ旅程で辿り着いた辺境伯の屋敷は、今の自分の気持ちによく似た重い空気を漂わせていた。すれ違う使用人たちの顔は暗く、楽しみを、陽の光すらも忘れてしまったようだった。
寝台から離れることのできない領主と挨拶を交わすセドリック様の後ろに付き、辺境伯ブレスター伯を眺めた。
病のために痩せこけ、筋肉も薄くなってしまっている。生気も薄れ、死を待っているような気配があった。嫡男を亡くしたことが彼から全てを奪ったのかもしれない。
このような状況の人間に、他国が問題を一つ増やしてしまったことに胸が痛んだ。
僕は目を伏せた。
翌日から視察が始まった。
ブレスター伯の治療に当たるハリーと離れ、3人で辿り着いた村の砦は、物見櫓の部分を中心に壊されていた。
残った部分を見る限り、櫓も砦も頑丈に作られていたはずだ。フィアスの住民はどれだけの時間をかけ投石をし続けていたのだろう。
そこまでの住民の困窮と不満が窺え、胸を抉られるような気がした。
今すぐ対岸へ渡り、彼らに謝りたかった。
謝って彼らの困窮が減るわけではないことは百も承知だったが、今の自分にできることがそれ以外、見つけられなかった。
セドリック様は状況を見ると、宰相である公爵に住民たちを移民として受け入れることを嘆願する手紙を認め、魔法で即座に公爵家に送っていた。
その最中、シルヴィア嬢から転移で手紙が届き、セドリック様の顔が輝いたことが、その日の僕の救いだった。
だが、フィアスの住民が、いや、フィアスの治政がうまく機能していれば、セドリック様は視察などなく王都にいて、生れた弟に会うために帰省したシルヴィア嬢と再会できていたことに思い至り、救いも一瞬で掻き消えてしまった。
そんな出口のない僕の思考を吹き飛ばすことが起こった。
砦の近くで、夜を徹して投石以上のことが起きないか見張った翌朝、塀の一部が完全に破壊され、対岸の住民の言い争いが始まっていることを確認したセドリック様が、僕に剣を預けた。
愚かにもセドリック様が剣を預ける意図が分からなかった。
セドリック様は、砦の村の魔法使いアンディに振り返った。
「対岸から、人一人を転移させることは可能ですか?」
アンディも質問の意図が分からず不審そうな表情を見せたものの、頷いた。隣のトレントまでも頷いている。
「もちろん、この距離で一人ならお安い御用です」
「では、僕が炎を上げたら、転移で引き戻してください」
「え?」
ようやく意図が分かったとき、既にセドリック様が掻き消えた。
――!
単独で対岸に転移したのだ。
後を追って川を渡ろうと駆け出した僕に、アンディが声をかけた。
「私が転移して傍に行きます」
振り向いたときにはアンディは消えていた。
それでも不安はぬぐえない。また駆け出した僕をトレントが追いついて――恐らく転移で追いついた彼は僕の肩を掴んで引き留めた。
「セドリック様はハリー守護師の弟子です。少しは信頼してあげて下さい。やわな鍛えられ方はしていません」
ハリーがどこまでセドリック様を鍛えているか知らない僕は、不安を払拭できなかった。
そもそも魔法を使えない自分には、魔法が身を守るのにどの程度頼れるものか見当がつかなかった。
苛立つ住民の中に丸腰でセドリック様が飛び込んでいる。
これで「護衛」など、聞いて呆れる――
拳を握りこみ、砦を睨みつけた時、住民への説得を終えた二人が転移で帰ってきた。
セドリック様に怪我がないか確かめるために、歩み寄った自分は、どんどんと足が速まっていた。
「このっ、ばかっ!!」
僕はセドリック様の肩を掴んで怒鳴りつけていた。誰かを怒鳴ったことは生まれて初めてだった。
セドリック様も怒鳴られたことが初めてだったのだろう。
目を丸くして何度も瞬いている。
「魔法が使えるからといって、無謀な真似をしていいものではありません!万一、魔法が使えない状況だったらどうなっていたのです!!」
身長は頭一つ分ほどの差しかなくなっていたものの、セドリック様の身体はまだ大人の身体の厚みはなかった。
多勢に攻撃を受けて、魔法無しで勝つことは愚か、逃げおおせるかどうかも怪しかった。
「貴方に万一のことがあれば、戦になったのかもしれないのですよ!?」
一国の宰相の子息に対して、必要なことを怒鳴っていた。必要なことだったが、怒鳴りながら何かが違うと違和感があった。
そして、大きく見開いたままの新緑の瞳を見ているうちに、自分の言いたかったことがスッと浮かび上がった。
「心配しました。もっと自分を大切にしてください」
僕は淡い緑の瞳を覗き込んだ。柔らかな緑の瞳は、瞬きを止めて僕を見つめ返した。
「心配をかけて、悪かった」
ぽつりと呟きが漏れ、セドリック様は薄っすらと染めた頬を横に向けた。
その様子は、一瞬、出会った頃の小さな天使を彷彿させた。
思わず頬が緩んでしまう。同時に体の力も抜けていた。
「僕も怒鳴って悪かったです」
天使は頬をさらに染めて、囁いた。
「いや、…少し嬉しかった」
僕は大きくなった可愛らしい天使の頭を撫でることを止められなかった。
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