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執事の観察

お立ち寄り下さりありがとうございます。

体術の練習のため、セドリック様に泥が付いてもいい服を用意してほしい――そのような依頼をチャーリー様からお受けいたしました。

正直なところを申し上げますと大変驚きました。

しかし、私も執事としての矜持がございます。当然、泥が付いてもよく、そして若様の品位を損なわない服をご用意させていただきました。


ですが、体術の練習とは危険なものではないかと不安がございました。

チャーリー様は私への依頼以外にも侍女を通じて捨てる予定だった寝具を入手なさったと報告を受けております。

安全に配慮なさっていることは伺えましたが、チャーリー様はご自身の優秀さを分からずにそのまま若様に難題を課すのではないかと思ってしまったのです。


執事にあるまじきことと百も承知で、体術の練習の初日、私は大木の陰で練習を覗くことに致しました。

結果を申し上げますと、私の不安は杞憂だったとすぐに分かりました。

チャーリー様はセドリック様の体の柔軟性をまず確かめておられました。

その上で練習内容を決め、手や足に時々補助を入れながらセドリック様に動きを教えていらっしゃいました。

見本を見せるチャーリー様の動きは、見惚れるほど美しく、ハルベリー侯爵の評価を納得させられるものでした。このような方に教えていただけるなど、若様は幸運なことです。

若様も目を輝かせて見本を見ていらっしゃいます。


無事に練習が終わり、お二人はそのまま地面に腰を下ろして休息を取られました。

用意した飲み物を飲まれています。

私はこの場を去ろうとしましたが、ふと若様の言葉が気にかかり足を止めてしまったのでございます。


「殿下が、『リック』と呼ぶように度々おっしゃるんだ」

休憩時間だからでしょうか。若様が珍しく師匠に対して敬語を使っておられません。


「素晴らしいことではないですか。殿下はセドリック様にそれだけ心を開いてほしいと思われているのでしょう。お望み通り『リック』と呼んで差し上げましたか?」

チャーリー様は稽古以外の時間でも、若様に対して敬語を使われています。


「殿下に対して愛称で呼びかけるのは、畏れ多い気がするんだ」

「お気持ちは分かります。ですが、殿下は愛称で呼んでもらえる仲になりたいと思っていらっしゃるのです。お立場上、親しい友人を作ることが難しい方です。殿下の親しくなりたいお気持ちを汲むべきではありませんか?」


「そうだね。気持ちを汲むことは大事だね」

「はい、そう思います。是非、意識してリックと呼んで差し上げて下さい。自然と呼べる日も来るでしょう」


セドリック様は頷かれました。そして飲み物に口を付けていらっしゃいます。

チャーリー様もつられる様に飲み物を口にされました。


「チャーリーはいつになったら、『セディ』と呼んでくれるのかな」


チャーリー様が盛大にむせています。駆け寄ってお世話をしたいところでございますが、何しろ隠れている身でございます。背中を摩っていらっしゃる若様にお任せするしかありません。


しかし、若様はあの奥様のお子様です。

狙った獲物は逃さず、好機は最大限に生かすお血筋です。

若様は、ずっとこの望みをお持ちだったと思われます。食事の席で、たまにチャーリー様の口調に僅かに眉を寄せられていることがあるのです。


チャーリー様は、何度も奥様から注意を受けているのに、年下である若様を「セドリック様」と呼ばれ、会話は敬語を使って話しておられます。

あの奥様に対してチャーリー様がご自分の意思を通すのは、強い意志を感じます。

そのことに、私も、常々もどかしい思いをしておりました。

チャーリー様はお客人ではありますが、若様には、――恐らくは旦那様と奥様にも、親戚のような方です。

もう少し隔てを無くした態度を取っていただきたいと思っておりました。


何とか呼吸の戻ったチャーリー様が、うわ言のように返事をされています。

「その…、師匠…という立場では…馴れ合いが生まれては…支障が出ると…」

「僕が言っているのは、稽古の時ではないことは伝わっているはずですよね」


若様は逃げを許しません。

私の位置からはお二人の背中しか見えませんが、チャーリー様の背中からは焦りが滲み出ています。


「いえ…、その…私は「遠縁」ですから主家に対して…」

そこまで口にされて、チャーリー様は先ほどのご自分の発言を振り返られたようです。


――親しくなりたいお気持ちを汲むべきではありませんか?


外堀は埋められていたのです。

チャーリー様の背中は固まっておられます。

若様はチャーリー様をひたと見つめ続けています。


しばらくして、チャーリー様は絞り出すように言葉を紡がれました。

「若様が私から1本取れた時に、呼ばせていただきましょう」

「本当ですか!言いましたよ!約束です!」


若様は声を弾ませて、チャーリー様に詰め寄りました。

チャーリー様は一瞬息を呑み、眩しそうに目を細め、その後、いつもの爽やかな笑顔を浮かべて若様の頭を撫でられました。


「はい、約束です」


チャーリー様の穏やかで優しい声に、私は真摯な思いを感じたのでございます。

即座に隔てを無くしては下さいませんでしたが、今はこれで満足するしかないでしょう。

私はそっと木から離れたのでございます。


お読み下さりありがとうございました。

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