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62.蟹行鳥跡

登場人物:長兄、奥方

 その日、男はとある計画を立てた。

 ない知恵を振り絞り、日頃の汚名を返上すべく策を立てたのだ。


 古来より、女子の機嫌を取るに必要なものは贈り物である。

 美しいもの、美味しいものに女子どもは目がない。

 ここいらではなかなか手に入らぬものならば、さらに良い。


 そうして、男が選んだものは「蟹」だった。


 前回は小龙虾(ざりがに)で失敗したが、蟹ならいけるはずだ。なんといっても、この蟹はそこいらの小川から取ってきたものではない。蟹で有名な湖から、わざわざ死なせぬように細心の注意をはかって運んできたものである。屋敷の中が泥臭くなることもなく、よって奥方の機嫌が悪くなるわけもない。


 ここで男は、さらに欲を出した。

 これを自ら調理し、食卓へ出してはどうか。そう考えたのだ。男の脳裏には、自分を褒め称える奥方の笑顔がちらついている。紐でぐるぐると綺麗に縛られた蟹を握りしめ、男はほくそ笑んだ。


 



 その日奥方は愛猫を探していた。

 日頃は部屋の中でまったり過ごしているのに、今日に限ってそわそわと屋敷の中をうろうろしているらしい。虫が出る季節でもあるまいに、何がそう気にかかるのか。


 一体、どこへ行ってしまったのだろう。頬杖をつく奥方の後ろを、かさかさと何かが横切る。どこからやってきたのか、今まで姿を消していたはずの猫が飛びかかり、そのままふみゃあと情けない悲鳴をあげた。反撃されたものらしい。


 蜘蛛か、蜚蠊(ひれん)か、あるいは鼠か。まさか蠍ということはあるまい。手元にあった書物をとりあえずの武器にしつつ、覗き込んだ奥方が目にしたものは、はさみを振り上げてこちらを威嚇する蟹であった。何ともいきのよい蟹は、そのままゆうゆうと寝台の陰へと逃げていく。


 どうやら夫君が蟹を屋敷中に逃がしてしまったようだ。あの男は、一体何を考えているのやら。奥方は、そっとため息をついた。





 なるほど、鍋に入れるまで蟹を結んでいる紐をとってはならなかったのか。男はひとり頭を抱えていた。蟹が入っていたはずの箱の中は空っぽ。つまり、この屋敷の中には何匹、何十匹の蟹がうようよしている、そういうことである。


 ふと視線を感じて振り向いてみれば、愛しい奥方が何とも冷たい眼差しでこちらを見下していた。そのあまりの温度のなさに、男はぶるりと身震いする。


 そもそも戦の折でさえ、単騎で突撃するような男である。所詮は生兵法。男は浅はかな己が情けなくさえあった。


「全部、片付けておいてちょうだい」


 本日も鼻先で寝室の扉を閉められることが決定し、東国一の武将は男泣きに泣いた。

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