58.明月之珠
登場人物:セイ、ヒスイ
時間軸:西国脱出後、東国に到着し、結婚したあとのこと。
「56.月下氷人」のセイ視点です。
(少し時間が経過していますが)
あの日も、ただ月が見ていた。
吹きすさぶ風に、女の髪がなぶられる。山を越えて降りてくる風は、肺の内まで凍りつきそうなほど。身体が冷えてしまうだろうに、女は自ら窓を開け放った。こうなっては仕方がない。男は女の好きなようにやらせておくことにする。寝台に横たえた身体に降り注ぐのは、まばゆいほどの月の光。
朱い衣の襟足から覗く、女の白いうなじ。宵闇のせいだろうか、一瞬だけ昔のように肩で切り揃えているように見えて、男はかぶりを振る。思わず口づけて跡を残したくなる気持ちを抑え込んで、男は女に寒くはないかと問いかけた。不思議そうに瞬きを繰り返した後、女の唇がゆっくりと弧を描く。
「寒い」
女はまるで挑むように男に言葉を返す。そのままゆっくりと男の首に両腕を絡め、頬を寄せた。どうかあたためて。そんな風に甘く囁かれて、男は眉を寄せる。本当に人の気も知らないで。あの日と同じように月に照らされた女は、あの日よりもますます美しく男の欲をそそった。
このまま組み敷いてしまいたいのを、必死で押し堪える。ようやっと手に入れた掌中の珠だ、失うわけにはいかない。いまだその蕾はかたく閉じたまま。ゆっくりと待とうではないか。花が綻びるその時を。
こうやっていられるから、冬はいっとう好きだと女が微笑む。まったくもって、敵わない。男は小さくため息を吐いた。最初に出会った時から囚われているのだ。今更敵うはずがないことなどわかりきっている。
女の一挙手一投足に踊らされて。男は穏やかに微笑んだ。この瞬間が幸せなのだと女が言うのなら、これ以上ないくらいに女を甘やかしてやろう。昨日よりも今日、今日よりも明日、常に「今」こそが幸せなのだと思えるように。
密やかに男は決意して、女を腕の中に抱き寄せた。月は何も言わず、輝くばかりである。
うっしー様よりいただいたイラストに合わせたSSです。
イラストはこちらから。
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