55.羞花閉月
登場人物:香梅、雨仔
時間軸:「梅の芳香、雨の音色〜あなたに捧げる愛の証〜」完結前
香梅は物憂げに階下を見下ろしていた。明け方近くに店から出て行くのは、彼女に結婚を申し込んだ西国の宰相殿。取り立てて話が弾むわけでもないというのに、毎回「また来る」と言い残して立ち去るその心の強さに香梅は正直感心する。男が単に鈍感なだけかもしれないが。
「そんなに気になるのなら、見送りくらい出たら良いのに。全く素直じゃないねえ」
楼主である兄代わりの言葉を女は聞こえなかったふりをして、煙管を手に取った。くるくると手持ち無沙汰に弄ぶ。見送りに行くだなんて。帰って欲しくないと縋っているようで、あるいは、また来て欲しいと媚びているようで。そんなこと、自分はこれっぽっちも望んでいないのに。だから、香梅は男の見送りになど出ない。そっと窓の向こう側に想いを馳せるだけだ。
魔が差したのかもしれない。格子窓を覗き込んで見れば、こちらを見上げる男と目が合った。いつも仏頂面をしている男の口元が優しげに綻んでいる。まさか、ありえない。この窓は光の加減を利用して上手くできている。妓楼から外の景色は見えるものの、外側からはこちらを覗き込むことはできないのだ。
それなのに、男はまるで女の姿が見えるかのように……いや違うと、女は胸を撫で下ろした。あの男は庭に咲いた梅を見上げているのだ。この庭の紅梅は寒さの厳しい春先に見頃を迎えるはずだというのに、何を勘違いしたのか、見事に狂い咲いている。そのはらはらと降り注ぐ花びらを見て、男は笑っているのだ。
お前の見送りの代わりに梅の花が咲いたのかもしれないね。そんな野暮なことを兄代わりは言わないけれど、くつくつと喉を鳴らして笑われれば、居心地はもちろんよろしくない。花も恥じらい月も隠れてしまうと言われる香梅がこんな風に言われるなんてと、ますます女は不貞腐れてしまう。こうやって心を砕いていること自体が、男に関心を持っていることなのだと未だ気がつかないままで。
そんな女のすぐ側で、白猫は我関せずとばかりにすやすやと眠りこけている。
夕立様より頂いたイラストに合わせたSSです。
イラストはこちらから。
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