51.一場春夢
登場人物:占いおばば
とんとんとん。軽やかに童女が跳ねてゆく。
薄ぼんやりした世界のあちらこちらにあるのは、銀色に輝く小さな水溜り。大小様々で形もちぐはぐなそれは、時折ひとりでにとぷんと波打つ。雨上がりの路地であれば青空を映し出すであろうに、童女が飛び越えるものには空の切れ端は映らない。さりとて揺れる水面にあるのは曇天にもあらず。不意に童女が足を止める。
覗き込んだ水溜りは真っ暗闇。ぽっかりと浮かぶ満月とともに、祈りを捧げる人影が見える。金色の髪をなびかせて、流すのは一筋の涙。伝わってくるのは、思慕の念。逢いたい、寂しい、愛している。さざ波のように寄せては返すその想いをすくいとり、童女はふんわりと笑う。
そのまま後ろの水溜りを振り返り、また跳ねた。とんとんとん。数個前の水溜りの中には、紫煙を燻らす盲いた男。妓楼にでもいるのであろうか、鮮やかな色に囲まれている中で、艶やかなその髪はまるで宵闇を溶かしたかのように美しい。先ほど垣間見た、月に祈りを捧げる人影を包む深い夜のように。
「繋げてあげる」
ころころと鈴を転がすように童女は笑う。ふくふくとしたやわらかな指先でふたつの水溜りを結んでみれば、ゆっくりとひとつの大きな水溜りになった。水が混じる。夢が交わる。金と黒の影が重なってゆく。離れ離れになった恋人たちは、夢の中で束の間の逢瀬を楽しむのだ。
とんとんとん。鮮やかに少女が飛んでゆく。
ふるふると震える水溜りが気になって、そうっと覗き込んでみた。見えるのは冷たく凍える冬の蓮池。濁った泥水の中で、銀色の髪をした少年が必死にもがいている。苦しい、苦しい。ごぽごぽと溢れる水音まで聞こえそうで、少女はそっと首を振った。
「可哀想に」
そっと荒れる水面を撫でてみる。がっしりとした逞しい掌も、赤い爪紅を塗ったたおやかな掌も、まだ現れるのは先のこと。それまではいましばらく自分が慰めてやろうではないか。
隣の大きな水溜りに目をやれば、黄金の龍が立ち昇ってゆくのが見えた。龍が舞うのは、憂いのない美しい楽園と阿鼻叫喚の地獄。苛烈で極端な夢の持ち主は、先ほどの気の毒な夢の持ち主の父親であったはず。何ともまあ因果なことよ。それでも少女は己の役目を果たすだけ。夢をすくいとり、息を吹きかければ、金の蝶がゆらゆらと羽ばたき消えてゆく。さあ、城にお告げを届けておくれ。
とんとんとん。緩やかに老女が越えてゆく。
水溜りが途切れ、薄ぼんやりしていた景色が、急に鮮やかな色に包まれた。辺りに漂うかぐわしい屋台の香り。耳に入るのは威勢の良い男たちの掛け声に、かしましい女たちのしゃべり声。何をしているのやら、いつも通り子どもたちはきゃらきゃらと歓声をあげている。
やれやれと、老女はそっと肩をすくめる。まったくあの世界は気ぜわしい。現在、過去、未来が入り混じる中では、己の姿さえくるくると変わってゆく。巷のご婦人方は必死に老いを押しとどめようとするそうだが、若さなどに何の意味があろうことか。やはりこの姿が、自分にはしっくり馴染む。さてさて今日は、どのようなお客がやってくるだろう。
下町で評判の占いおばばは、歯の抜けた顔でにんまりと笑った。




