50.同族嫌悪
登場人物:長兄
女が不機嫌そうに部屋から出て行くのを、寝台の上の男はただ黙って眺めていた。
男は、ぼんやりと己の手で髭を撫でる。奥方が怒っていたのはなんてことはない、ただいつものように長い髭を女の柔らかな頬に擦りつけたからだ。嫌がる様子が可愛らしくてついつい遊びすぎてしまった。機嫌が戻るには、少しばかり時間がかかるだろう。
ちくちくして気持ちが悪い。美髯と名高い男の髭をこうもこき下ろすのは、奥方くらいなもの。男は愛しい女の姿を思い浮かべて、だらしなく笑う。やはり女というのは、あれくらいはっきり物を言うくらいでちょうど良い。
奥方の言い分はわからないでもないのだ。自分のつまらない矜持など捨ててしまえば、さぞかし女は喜ぶだろう。あわよくば共寝にだって持ち込めるかもしれない。それでも男は髭を剃ろうとは思わなかった。
ゆっくりと体を起こし剣を鞘から取り出してみれば、髭面の男が映る。鼻より上を見て、男は僅かに顔をしかめた。やはり似ている。親子だから似ているのは当たり前なのだが、それでも生き写しと呼ばれるのは我慢がならなかった。
かつて次期国王と目されていたのは、ただ単に長子だったからでも、母親の位が高かったからでもない。男はあまりにも良く似ていたのだ。顔つきも、大胆な剣筋も、政治を大きな目で見る力さえも、当時の東国の王に。
「英雄色を好む」をまさに体現した男の父親は、尊敬すべき対象であり、唾棄すべき人間でもある。あのように剣を振るいたい、政を取り仕切りたいと思う一方で、見目麗しい女たちを獣のように喰らう姿は見るに耐えなかった。己の父親が、色狂いと呼ばれていることを男は幼い頃より知っていた。だからこそ似ていると言われるたびに、男は矛盾する想いを抱くのだ。似ていたい、似ていたくない。
髭を生やし始めたのは、奥方に出会ってからだ。手当たり次第に女を抱く父親と同じ顔をしていたくはなかった。髭のない顔で出会った女は、男の胸の内を知ってか知らずか髭面についていつも文句を言う。そんな女が愛おしいから、男はこれからも黙って髭を伸ばすのだ。
さて、ご機嫌伺いには何を献上しようか。何か良い品を探しに城下に降りてみるのも悪くはない。末弟に王の座を譲り渡した男は、今日もふらふらと能天気に街へ繰り出す。




