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45.中秋節

登場人物:セイ、ヒスイ

 今宵は東国では中秋節なのだと、男はそっと年若い王に菓子を差し出した。見慣れぬ形の菓子を不思議そうに見つめる王に向かって、東国人の部下はふっと頬を緩める。


「東国では月餅ユエビンと申しますが、西国ではムーンケーキの名の方が通りが良いでしょう」



 早速ナイフとフォークで切り分けながら、王は口に菓子を運ぶ。豆が甘いということで餡を嫌う西国人も多い中、王はこの甘味がお気に召したらしい。ふんわりと花のようなかんばせをほころばせながら、舌鼓を打つ。


「月にまつわるものなのか」


 当然のように出された王の疑問に、男はふと思案する。中秋節には諸説ある。有名どころといえば、『嫦娥奔月』の故事を話すべきだろうか。だがこの王が女性らしい物語を密かに好んでいることを、男は知っている。だからこの場合に王に献上するのは、もう一つの物語の方なのだ。


「その昔、太陽は一つではなく幾つも天上で燃え盛っておりました。その太陽を撃ち落とした英雄は、ある時、仙人になれるという秘薬を手に入れたのです。ところが、英雄が留守をしている際に、悪漢がその秘薬を盗みに参りました。英雄の妻であった嫦娥は、悪者の手に秘薬が渡るよりはとその秘薬を飲み干してしまいます。哀れ、仙女となった嫦娥はそのまま月へ渡るよりほかにありません。彼らは永遠に離れ離れになってしまったのです。妻を失った英雄の嘆きはそれはそれは深かったとか。その後、毎年月が美しく見えるこの季節には、嫦娥のことを偲び、宴を開き、この菓子を食べるようになったのだそうです」


 子どもに物語を語ってやるように聞かせてみれば、この手の話に弱い王は少しばかり目が潤んでいる。献身的な妻の行動も含めて、この物語は女子どもが好むものであろう。そんな王をたまらなく可愛らしく思いながらも、男は一言釘をさすのを忘れない。


「王よ、その身をみだりに投げ捨てることのなきよう」


 きょとんとする女に向かって、男はにこやかに微笑みながら茶を注ぐ。甘い甘い月餅には、少しばかり苦いくらいのお茶の方がよく合うのだ。濃いめに入れたお茶を差し出せば、琥珀色をした水面には王の戸惑った顔がかすかに映る。


 仙人になる秘薬など、床に投げ捨てるなり、窓から放り出すなりしてしまえば良かったのだ。何もその身を呈して、悪事を食い止める必要などない。


 男にとって最も大事なのは、この女だけ。秘薬を盗まれて国が倒れたとしても、男は痛くもかゆくもない。西国の王であるから、女を大切にしているわけではないのだ。この女が西国の王であるから、女の望むようにこの国のために働いているだけなのだから。


 女から王位を奪おうとするものがいて、そのために女が命を落とすようなことがあれば、男は容赦はしない。女以外の全てを切り捨てて、二人でどこか新しい場所へ行けば良い。


 そんな物騒なことを考えているとは露とも見せず、男はお茶のおかわりはいかがかと女にそっと尋ねた。

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