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38.土用の丑の日

登場人物:長兄、セイ、ヒスイ

 今日は土用の丑の日だと、東国の一番上の兄は酒を片手にうきうきと執務室を訪れた。


 海の向こうの島国では、夏の盛りのこの日に精をつけるために鰻を食べるそうだ。もともとこの時期の鰻は取り立てて脂がのっているわけでもない。単に売り上げが落ちる夏だから、そういう流れで客足を伸ばそうとしているのではないかと、東国の王たる男などは思うのであるが、行事が大好きな長兄にとっては騒ぐ口実になれば何でも良いらしい。


 昼日中から酒瓶を片手に末の弟である男に絡み始めた。どうやら、親友のような関係でもあったすぐしたの弟が西国に行ってから寂しくてたまらぬらしい。鬱陶しいほどの距離の近さで構って欲しがる兄を見て、男は次兄の苦労の深さを知る。


「鰻、ですか」


 正直、西国で暮らしていた男にとって、鰻はあまり心ひかれるものではなかった。西国出身の奥方の耳に入る前に、その辺りを長兄に説明しようとしたのだが、いかんせんこの兄は子どものような男である。弟にたしなめられて、鰻を諦めろと言われたように感じたらしい。余計に大声で、鰻だ鰻だと騒ぎ始めた。


「それならば、わたしが作ろう。何、鰻と言えば故郷の名物料理だ。腕に自信がある」


 にっこり笑う奥方の横で、東国の王たる夫君がうっすら白目を剥いていた。そんなことは露知らない長兄だけが、義妹の手作り、初めての西国料理だと馬鹿騒ぎをしている。いきのよい鰻を片手に台所に引っ込んだ奥方は、見慣れぬぷるぷるした物を皿にも盛り、意気揚々と帰ってきた。


「な、なんだこれは?!」


 酒の肴に鰻の蒲焼きやらを妄想をしていた長兄は、口をあんぐりとさせる。目の前の食べ物は、男の予想を越えるものだった。ひんやりとした器には、無造作にぶつ切りにされた鰻がごろごろと転がっている。そしてそれは、なんとも言えない匂いを放つゼリーにからめられているのだ。青黒いぶつ切り鰻と、透明なゼリーの組み合わせは率直に言って食欲をそそらない。


「兄上、鰻を食べたいとおっしゃったのはあなたのはず。無駄口を叩かずに召し上がれ」


 淡々とした声が部屋に響く。悟りを開いたような顔で鰻を腹に納めていく東国の王は、どうやらこの料理にも慣れているらしい。


「だが、明らかにこれは生ごみだろう?!」


「兄上、今すぐにあなたをごみ箱に投げ捨てても良いだろうか」


 妻を侮辱された男が爽やかに凶悪な言葉を返す。だが、長兄は男の言葉など耳にも入らない様子で、未知なる食べ物を箸でつついている。食ってしまえば皆同じ。黙々と咀嚼する末の弟を見て、長兄は一抹の望みをかける。


「いや、見た目はこんなんでも、もしかしたら意外といけ……ぶほっ?!?!?!」


 思った以上に生臭かったのであろう。長兄はのどが焼けるように強い酒で、一気に鰻を流し込んでいた。立派な髭さえしょんぼりしているような気がして、末の弟は少しだけ笑いをこらえる。どれほど口に合わなくとも、吐き出さないという姿勢だけは立派なものだと、妙なところに男は感心した。


「せっかく故郷の料理を作ったのでな。一緒に乳糜(ライスプティング)も作ってみたのだ。どうぞ召し上がれ」


 本気か。男二人は、黙ったままみつめあう。言え、言うんだ弟よ。それは東国人の口には合わないと。頼む、言ってくれ!!!


 長兄の祈りも空しく、東国の王はにっこりとそれを受け取った。嫌がらせのように長兄の皿に山盛りよそうのを見て、長兄は顔を絶望の色に染める。この事態を招いたのは、もともと人の話を聞かない長兄のせいなのだ。存分に味わうがよい。それだけでは仕返しとして足りなかったのだろうか。さらに男は、痛恨の一撃を長兄に放った。


「そういえば、義姉上が仔仔(ザイザイ)に鰻の蒲焼きを与えておられましたよ。兄上の食事のご用意はなかったようだが」


「ひどい!!!」


 自分より仔猫のほうがそんなに大事なのかとおいおいと泣く兄を見ながら、男は自分に割り当てられた愛妻料理をひたすら口に押し込めていく。愛情たっぷりのげてもの料理を用意される辛さと、まったく料理を用意してもらえない悲しみはどちらのほうがましなのか。言葉につまる男二人は、異国の土地で暮らすもう一人の兄弟のことを思い出しながら、そっとため息をついた。


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