36.愛犬愛猫
登場人物:香梅、雨仔
茶会に訪れたご婦人方に妙なことを聞かれ、思わず香梅は目立たぬようにそっと眉を寄せた。
雨仔と結婚した後の香梅は、広い屋敷で度々茶会を催している。何も遊びで人を呼ぶ訳ではない。面倒なことが嫌いな女からすれば、茶会など面倒臭さの極みである。それにも関わらずにこやかに茶会で客人を招いてみせるのは、ひとえに宰相である夫君のために他ならない。
夫君の役に立つ情報を仕入れる。そして、また面倒なことに女に突っかかる奇特な女性たちをあしらわねばならぬのだ。今でも宰相の妻という地位を狙っているご令嬢は多いのである。降りかかる火の粉は、早めに払わねばならない。まあ、夫君はそのようなことを奥方がしているなどついぞ想像もつかないのであるが。
正直、情報が得られれば茶会だろうが夜会であろうがどちらでも良いのであるが、あの夫君は香梅の姿を他の男に触れさせれるのを極端に嫌う。屋敷の召使いのうち男性をそっくり解雇しようとしていたことを知った時には、思わず部屋でこんこんと説教をしてしまった。結局、着替えからなにから全ての手伝いを夫君にお願いすることでことなきを得たのだが、果たしてこれで良かったのか、今でも香梅にはわからない。
さて、茶会の席で女に投げかけられた質問は、そう大したものではない。犬と猫ならば、どちらがより可愛いかというものだ。目の前で質問を投げかけて来たご令嬢は、大層きつい眼差しで香梅のことを睨みつけている。どうやら本気で雨仔に懸想しているのであろう。敵意を隠さない少女の姿は、女の戦場で生きて来た香梅からすればいっそ可愛らしくさえある。
ちょうど香梅の足元には、真っ白な猫がくつろいでいた。猫を飼っているのならば、確実に猫派であろうと思われたらしい。こちらをちらりと見た猫は、どうでも良さそうに大きなあくびをしている。どう答えても、目の前の少女が何かにつけてこき下ろしてくるのだろうと思えば、自然と無難な答えを口にしてしまう。
「猫も犬も、どちらもそれぞれに良いところがあるものだから」
そう穏やかに言ってみせれば、質問をした訳ではない他のご婦人方はどうにも不満そうな顔をする。どうやら以前にも散々に話題になったことらしい。白黒つけたいという彼女たちの気持ちはわからないでもない。けれどお茶会の主催者としては、誰かが嫌な心持ちを覚えるようでは困るのだ。少しばかり思案して、女はくすりと小さく笑う。その顔はとても優しく慈愛に満ちていて、思わず議論をしていたご婦人方も見惚れてしまった。西国一の妓女の名前は伊達ではないのだ。
「猫はこの気まぐれなところが可愛らしいわ。こちらの都合など本当におかまいなし。皆さんにお話したかしら。この子は、お嫁入りの際に勝手にこの屋敷について来たの」
そうやって宰相殿との出会いについて話してやれば、ぱっと茶会の場が華やぐ。何と言ってもご婦人方は甘いお話に飢えているのだ。苦界に身を置いていた香梅と、東国の王族である宰相殿との御伽噺もかくやという甘い出会いを披露してやれば、みなあっという間にのめり込む。砂糖菓子のような甘さにすっかりご婦人方は満足する。せっかく和やかな雰囲気になったというのに、再度、犬のことを持ち出した例のご令嬢については、女もそっと苦笑いするしかない。
「犬は主人に忠実なところが良いわ。何があっても一目散にこちらに駆けてくる様が可愛らしい。少しばかり褒めてやれば、何でもきちんと頑張るのも面白いわね」
くすくすと笑いながら話す香梅に、例のご令嬢が不思議そうな顔をする。この屋敷には猫しかいないと思っていたが、実は犬もいたのだろうかと。その疑問に気がついたのだろう、香梅はにっこりと時計を見上げならが、笑いかける。
「じきにわかるわ」
ばたばたと非常に騒がしい音がする。誰かが広い屋敷の廊下を駆け抜けて来ているらしい。茶会に参加している御婦人方が、みな不思議そうに顔を見合わせた。一体何事だと言うのだろうか?
いきなり扉が開いて、一直線に部屋の中に入って来た。挨拶も断りもなく、何という無礼者であろう。ぎょっとしたご婦人方は、その無礼者の相手の顔を確認して、さらに固まった。氷のようだと言われる、普段いかなる時も表情の変わらない宰相殿が、頬を染め蕩けるような顔で香梅を抱きしめている。何ということだろう、しっしっとあしらわれていることにすら、喜びを覚えているらしい。
「城と屋敷が遠すぎる。やはり屋敷の中に執務室を作るべきではないのか。わたしの女神と離れていては、息ができなくて死んでしまう」
「馬鹿ね、何言ってるの。死ぬ訳ないでしょ、ちゃんと働きなさい」
「女神のためにちゃんと働いている。だから今夜はご褒美が欲しい」
大型犬のような尻尾がぱたぱたと揺れているような気がして、客人たちはみな思わず目をこする。本気で愛しい妻のことしか目に入らない宰相殿は、この場が茶会であるということにすら気がついていないらしい。つんと冷たくあしらいながらも満更ではない様子で、香梅はご婦人方に笑いかけてみせた。宰相殿に淡い恋心を抱いていたらしい少女だけが、がっくりとうなだれている。




