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34.暴虎馮河

登場人物:長兄、雨仔

「兄上、お待ちくださいませ! 供もつけずに、ああ、なりませぬ!」


 男は馬の背に乗り、ひた走る。後ろですぐ下の弟が悲壮な声で騒いでいたのは、幻聴であるということにしておいた。愛しい奥方が、チッと舌打ちをしたような気がするのは心の安寧のために考えないないようにしておく。

 

 このところ、東国のとある地方はたちの悪い者たちに悩まされていた。あまりの惨状に、それは都に住む男の耳にも入っていた。話によれば、彼らは近隣の村や街を襲い、金目のものを手当たり次第に奪うのだという。見目の良い女は言葉に出すのもおぞましい扱いをされるということもあり、誰もが頭を悩ませていた。


 そもそも奴らは神出鬼没。次に襲う場所がどこかもわからない。まさか人間ではなく、妖なのではあるまいか。そんな世迷言を言う輩まで出る始末である。有効な手立てを見出せぬまま、国の長たちの焦りは頂点に達していた。その時だったのである。賊の一味が、都からほど近い、とある険しい山奥に潜んでいるらしいという情報を得たのは。


 その日長兄は、追いすがる弟たちを振り切って、単身山に乗り込んで来た。椅子に腰を落ち着けてやる仕事は、ほとんど末の弟に引き継いである。やはり自分は、こうやって外で獲物を追いかける仕事が性に合うと一人にやりとした。


 一騎当千の自負があるだけでなく、そもそも団体行動が苦手なのである。使えない味方がたくさんいては、うっかり斬り殺しかねない。それならばいっそ一人で来た方が身軽なのだと、男は気楽に考えている。なあに、何かあればこの山ごと賊を燃やしてしまえばよい。


 そんな物騒なことを考えていた男は、山の中の不気味なほどの静けさに気がついた。普通、山というものは生き物の気配にあふれている。鳥が鳴き、小さな獣の気配がするものなのだ。なぜこの山は、真昼間にもかかわらず、こんな誰も彼もが息を潜めたようなことになっているのか。男は、苛々と頭をかきむしる。いや認めよう。この山は、あまりにも生き物の気配がなさすぎる。


 男は周囲に気を配りながら馬を進めた。果たしてこの先にあるものは、罠かそれとも……。しばしの時間の後男が目にしたのは、予想だにしなかった光景であった。ならず者たちのねぐらとされていたひらけた場所で、無骨な男たちは、みなすでにこと切れている。


 鋭い爪で抉られたのか、体の柔らかな急所はぽっかりと赤黒い穴を開けていた。彼らの虚ろな瞳は、一体何を見たものかこれ以上ないほどに見開かれている。苦悶の表情ではなく、そのどれもが吃驚したような顔であったことが、とても気にかかった。


 これではまるで、何者に命を奪われたかもわからぬまま死んでいったようではあるまいか。鋭い爪痕だけを見れば、人食い虎に襲われたかのようにも見えるというのに、男はどうしてもそのようには思われなかった。それはある意味、男の本能が何か異変を感じていたのかもしれない。


 世を騒がせたならず者たちが一掃されたというのに、少しも喜ぶ気になれぬまま、男はゆっくりと山を後にした。城へ帰り、あまり気も晴れぬままぐびりと度の強い酒を煽る。今日は呑まねば、眠れそうにない。男の様子を気にしたのか、すぐ下の弟が部屋を訪れる。


「虎が相手では褒美もやれぬでしょうが、賊が退治されたのであれば、それで良かったではありませぬか」


 すぐ下の弟にそう声をかけられ、一番上の兄は何とも歯切れの悪い言葉を返した。豪放磊落ごうほうらいらくな男としては、このような奥歯に物の挟まったような物言いは珍しい。不思議そうに、弟に問いかえされてしまう。


「……いや、よい。なんでもないのだ」


 しばし話してみようかためらったあと、男は言葉を飲み込んだ。話を切り上げると、弟の杯に並々と酒を注ぐ。やはりこの話は、この身の内にしまっておこう。


 すぐ下の弟にも、末の弟にも、話さなかったことがある。それは、現場に残されていた賊の遺体の状態についてだ。鋭い爪のようなもので切り裂かれた彼らは、みな一様に臓物をすすられた跡があった。それは、賊を襲ったのがこの険しい山に住む人食い虎だということであれば、それほど不思議なことではないであろう。だがしかしである。


 彼らの遺体は、みな一様に太ももなどが欠落していた。それは無造作に千切られていたのではなかった。骨ばった男や、年のいった男には欠けた部分はなかったのである。まだ年若く、張りがあり、生前は色つやの良かったであろう者が特に狙われていた。柔らかく、まるで食べ応えのある肉の部分を、手土産か弁当代わりに持ち去っていったかのように。果たして野蛮な獣が、そこまで選り好みし、考えて行動するのであろうか。


 そして現場の遺体に残っていた白く乾いた液体……。奪われていた金目のものについても同様だ。届けのあったものの中で、持ち運びやすく現金化しやすいものだけが、あのねぐらには残されていなかったのである。これではまるで……男はそこまで考えてかぶりを振る。それが示す意味を考えたくなくて、男は弟と二人、ゆっくりと酒を煽った。その日を境に、盗賊騒ぎは収束したことだけが救いである。

当話は、あっきコタロウ様 作「そしてふたりでワルツを」https://book1.adouzi.eu.org/n9614dm/から、一部キャラクターをお借りしています。

※お借りしたキャラクターについては二次創作ですので、ワルツ本編のキャラクターとはイメージや行動に差異があります。

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