33.他言無用
登場人物:セイ、ヒスイ
西国の王都で今話題の吟遊詩人がいるのだという。薄紫色の珍しい髪色で、切ない恋の歌を奏でるという男の噂は、東国人の男とてすでに聞き及んでいる。その評判を聞きつけた己の主人から、城へ招きたいという言葉を耳にした男は、我知らず顔を歪めていた。
吟遊詩人というものは、得てして見目の良い生き物である。歌は言わずもがな、口先だってうまいものだ。その場限りの睦言を、さも本気のように囁いてみせる。そのくせ自分の本心はちらりとだって見せぬのだ。男としては警戒して当然である。
楽団ではなく、その身一つで生計を立てているのであれば、腕もそれなりに立つに違いない。そして大方の場合においてそういう職のものは、一夜の甘い夢だって見せてくれるものなのだ。女の近くに置きたい人種ではない。
とはいえ、それをはっきり口にできる男ではない。そもそもなぜに男が、吟遊詩人やら楽団に属するものの裏事情に詳しいのか。浮名を流した男としては、痛い腹を探られる訳にも行かぬ。抜き差しならない状況に歯噛みしながら、今の男にできるのは、忠実な部下としてその吟遊詩人とやらを城内に迎え入れることのみである。
少しも臆することなく城内に足を踏み入れる吟遊詩人の様子を見て、男は目を見張った。この男は、確実にこの城を訪れたことがある。迷いもせず、淡々と城内を行くその姿を見て、より一層男の不安は募る。しかもこれから行く先は王の私室なのだ。そして男の不安は、女の久方ぶりに見る満面の笑みによって的中したことを知った。
「久しいな。何年ぶりか」
その声音は多くを語らずとも、懐かしいという響きで満ちている。穏やかに吟遊詩人を見る女の目には、親愛の情があふれていた。
「まさかこうやってお声をかけて頂けるとは」
そんな風にへりくだって見せながら、その実、王の挨拶を当然のように受け取る男の姿の、なんと忌々しいことか。王に声をかけて欲しくて城下町で歌を奏でていたのは明白である。この優男め。男は内心毒づく。自分の知らぬ過去を楽しそうに語る二人を見て、男は嫉妬する。同じ大陸とはいえ、遠い東の端で産まれた自分が恨めしい。
「国が滅んだからといって、そなたとの縁まで消すことはあるまい」
国を滅ぼすとは、王族とあろうものが無能者め。
亡国の王子など、愛しい女にとってなんの役にもならない。いやいっそ何かあれば付け込まれる隙となる。主人に仇なす可能性を考えれば、早いうちに始末した方が良いのかもしれない。王の隣にたちながら、男は穏やかそうな笑みの下で、あれこれ思いを巡られせる。
そんな物騒な男の考えが止まったのは、目の前の優男があるものを取り出したからだ。
「実はとある国で、面白いものを手に入れたのです」
取り出されたのは小さな小瓶。書かれた文字は光の反射でよく見えない。きらめく虹色の液体。楽しそうに吟遊詩人の口の端がつり上がる。
まさか毒か?!
素早く体を割り込ませ、男は刀を客人の首筋に突きつける。
その動きに驚いたのだろうか、亡国の王子はあっさりと瓶を床に取り落した。
無能なだけではなく、愚か者であったか!
硬い大理石の床に叩きつけられた小瓶は割れ、その瞬間、白い煙が男を包む。男はとっさに女を遠くへ突き飛ばした。
不覚!
思わず袖で顔を覆った男は、無味無臭の煙に顔をしかめた。
多少の毒ならば、耐性はある。果たしてこれは一体何の効果があるのか。広範囲に効くものであれば、王に至急、部屋を出ていただかなくては……。男が思案したその時だ。
「そなた……」
わなわなと男を見て震える愛しい主人。男自身に痛みはなかったが、痛みすら感じぬほどに焼けただれたか? それとも神経性の毒か? 己の顔などどうなってもかまわない。主人の美しい肌に傷がつかなかったのであれば、本望だ。しかし、男の予想は外れる。
「かわいい……」
いきなり、王に抱きしめられた。なぜかひたすらに頭を撫でられる。なぜ髪を撫でられるだけで快感を伴うのか、男にはわからない。まるで耳でも触られているような……。耳?!
はっと男が頭を確かめてみれば、そこにはまごうことなき耳がある。人間としての耳もあるというのに、頭にも獣のような感触の耳。合計で四つも耳があるとは一体どういうなのか。わけのわからない状況に戸惑う男をよそに、今度はいきなり尻を撫でられた。
「何をなさいまする!」
思わず男が振り向けば、主人は妙に頬を染めて両手を広げている。
「尻尾があるのであろう? そう恥ずかしがらずとも良い。見せておくれ」
はっとして男が後ろを確かめてみれば、確かにそこには何かがある。東国流のゆったりとした衣の下で、主人に頭を撫でられてぱたぱたと喜ぶ、情けない尾が確かにあるのだ。それに体を触られるだけで極端に飢えを感じるとはどういうことか。これはまさか、媚薬?!
困ったように王をたしなめる男と、じりじりと男を追い詰める女。へにゃりと頭の上で垂れた耳が、女の嗜虐心に火をつけたらしい。珍しく興奮した様子で女が迫ってくる。
そんな二人を見ながら、吟遊詩人は驚きを顔に出すこともなく、にっこりと言い放つ。
「とある国の天才が、妻に猫耳をつけたという噂の代物だったのですが、どうやら事実であったようですね。ああかの天才の作ったものであれば、体に害はないと思いますよ。一日お互い体が疼くそうですが、まあ男性ならば抜けばいい話です」
女性側に獣の耳が生えるいう話だったが、男同士であっても成立するのか。まあ愛の形は人それぞれ……後半聞き捨てならない台詞を言われたような気もするが、男にはそれを正す余裕などなかった。
「体液を交換すれば、その耳と尾が消えるのも早いそうです。ご安心を。このことは誰にも漏らしません」
そんな慰めにもならない言葉を残して、男は悠々と立ち去って行く。
何をしにお前はこの国にやってきたのだ。男は睨むようにして、吟遊詩人の後ろ姿を見送る。
今はまだ生かしておいてやろう。王の大切な友人である男が死ねば、きっと心優しい主人は美しい涙を流すだろうから。別の男のために泣く姿を見たくなどない。その涙は己のために流して欲しいと、男は少しばかり歪んだ愛情を押し隠し、いつも通り優しげな笑みを浮かべてみせた。
とはいえ愛しい女に馬乗りになられながら格好をつけている場合ではないのであるが。
ここが王の私室で良かったのか悪かったのか、男にはわからない。
「さあ、服を脱げ」
勘弁していただきたい! 必死で我慢をしているというのに、これでは反対に襲ってしまう!
おそらくこの薬は、女性側というよりも虐められる側に耳が生えるのではあるまいか。そんな疑問を抱きながら、男ははだけた上半身を女の白い手でなぞられて、いっそ意識を飛ばしてしまいたいと強く願うのだった。
なお翌日愛しのご主人様は、昨日の出来事をすっかりお忘れになっていたという。男が血の涙を流してこの苦行に耐えたことは誰も知らない。
当話は、あっきコタロウ様 作「そしてふたりでワルツを」https://book1.adouzi.eu.org/n9614dm/から、一部キャラクターをお借りしています。
※お借りしたキャラクターについては二次創作ですので、ワルツ本編のキャラクターとはイメージや行動に差異があります。




