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32.艱難辛苦

登場人物:セイ、ヒスイ

 本日西国を訪れたのは、南方のとある国からの使者であった。


 この国は、主たる料理がどれも辛いことで有名な地域である。彼らに言わせると、西国の食べ物は味がしないらしい。当初は西国流の料理を振る舞う予定ではあったが、故郷の料理を懐かしむ使者殿のたっての希望で、当日はくだんの国の料理に差し替えられることになった。


 ところ狭しと並べられた数々の料理を見て、遅れて会場へやってきた男はそっとため息をついた。西国の食材と異国の料理法は絶妙な組み合わせで、つい空腹を覚えるような香りを漂わせている。


 だがしかしである。どの料理を見てもみな見事なまでに赤い。これほどまでに香辛料を使ったものを毎日食べていては、もはや使者殿の味覚は麻痺してしまっているのではないだろうか。涼しい顔をする使者殿とは対照的に、西国の者たちはみな苦虫を噛み潰したような顔をしている。


 残念ながら会食の目的である会話が弾む様子もない。通訳に至っては、仕事中だというのを良い理由にしてただ水を口にするばかりである。


 横を見れば、すでに王の白いかんばせもほんのりと赤く染まり、うっすらと汗をかいていた。口の中を冷やそうにも、置かれているのはこれまた使者殿の国の特産である、度の強い酒のみである。これでは口の中を休ませることさえできない。なかなか量の減らない杯を見て、使者殿は不思議そうな顔をしている。


 辛いものも度の強い酒も、男の大切な主人は本当は苦手なのだ。女は何一つ言わないけれど、ずっと女だけを見続けている男には当たり前にわかることだった。目尻まで桃色に染めて、それでも使者殿と会話を続けるその姿は、男にとって大層健気に映るのである。


 使者殿は酔ってきたのだろう、携えてやってきた別の酒まで王に勧め始めた。その自由気ままさは、否応なしに東国の長兄を思い出させて、男はわずかに苦笑する。


 するりと割って入ると、王に火急の件があるため執務室に戻るように伝える。もちろんそんな要件など、ついぞあるはずもない。けれどこのまま苦行のような会食を続けさせるわけにはゆかぬのだ。慣れぬ体では、この料理も酒も体調を崩す要因になるばかりである。狸どもには良い薬だ。明日は尻の穴が死ぬだろう。男はひっそりと笑う。


 一瞬驚いた顔をした王の髪にそっと手を伸ばす。艶やかな黒髪はいつ見ても美しい。こうやって理由をつけて触れられる喜びを顔に出すことなく、男はまたさらりと嘘をついてみせる。


「御髪に何かついておりまする」


 そうやってまっすぐに手を伸ばせば、王の顔は東国流のたっぷりとした袖に隠れて、あちら側の客人にもこちら側の狸どもにも、誰にも見えぬのだ。そのまま口の中に何やら押し込められて、女は目を白黒させる。ゆっくりと確かめてみれば、それは小さな甘い苺だった。


 十分に熟して酸っぱさもない甘いだけのそれは、燃えるようだった口の中の痛みをそっと取り除いていく。そうやって他の誰にも見せない蕩けるような優しい顔で、過保護な男は愛しい女を労ってやるのだ。


 そしてそのまま当然のように、男は王の代わりに席に着く。通常ならば許されるはずのない行為は、男がなみなみと注がれたままの杯の酒を一息に飲み干したことで不問となった。自国の酒をこうも旨そうに飲む男の登場を使者殿は歓迎したのである。


 通訳を介することなく話を弾ませる二人を見て、周りの西国人たちは呆気にとられる。王の不在など気にする様子もなく、二人は勝手気ままに酒を飲み交わす。痺れるような辛さのマーも、ひりひりするような辛さのラーもどちらも好む男からすれば、異国のこの料理も食欲をそそるだけである。


 仕事が終わった後に待つ主人は、自分に何と声をかけるだろうか。余計なことをするなとそっぽを向くか、ぽつりとありがとうと言ってくれるのか。どれを想像しても、男にとっては主人の声も仕草もただ蕩けるように甘いばかりである。

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