26.放歌高吟
登場人物:ヒスイの叔父たち
西国の外れにある山間ののどかな村。一人の若い女が、子どもたちに字を教えていた。
女は余所者だ。村社会というものは、余所者に敏感だ。若く美しい女を見て、誰もが訳ありだと察した。もしも女一人であれば村人は彼女を受け入れなかったに違いない。厄介事に巻き込まれるのは御免である。
ところが女は、一人ではなかった。年老いた男と、まだ年端もゆかぬ子どもを連れている。止むに止まれぬ事情があるのだと涙ながらに話す女に村人は悩んだ。朴訥とした彼らは、老人と、か弱い女と小さな子どもを突き放すことに躊躇いがあったのだ。
女は、言った。自分は何でもしよう、だから父だけでも雨露を凌げるところに置いてやって欲しいと。なるほど、老人と女はあまり似ておらぬが、子どもは老人と同じ黒髪に翠の目をしていた。
旅の途中で病を得たのか、すっかり呆けてしまい、老人は自分がどこにいるのやもわからぬようであった。ただ子どものようににこにことして、あねうえあねうえと女のことを呼ぶばかりである。
さらには孫のことを、己の姪と勘違いしているようで、このときばかりは妙に厳めしい成りで話をするのである。年老いた男は自由気ままに、己の人生の時間を選んで過ごしているようであった。
女は、良く働いた。元は良い生まれだろうに、日に焼けることも厭わずに黙々と仕事をこなす。髪は痛み、肌はざらついた。それでも女はこの穏やかな村での暮らしに満足しているようであった。
女が来たことで良いこともあった。女は、読み書きもできるし、算術も得意である。周辺の国のことにも詳しくて、何を売れば儲かるのかもよく知っていた。今まで行商人に言われるがままに買い叩かれていたのだと知って村人は驚いた。
そして女に乞うたのだ。子どもたちに読み書きを教えてやって欲しいと。女は、もちろんだと喜んだ。
文字の練習をしていた子ども達が騒ぎ始めた。もともと農作業の合間に行う手習いである。子どもというものは、飽きっぽいのだ。少しばかりもじっとしていられない。女は、にこにこと子どもらと歌を歌い始めた。無論これとて、数を覚えるための歌なのである。
苺甘いか 無花果どうか
西のお国の王子様 どうぞおひとついかがです
散々食べておかえりなすった 畑はとうにすっからかん
呼んでもおらぬ盗人は 石をぶつけてあげましょう
ご馳走食べて お国も広げて 南の王様大笑い
ろくろく眠らず小夜啼鳥は 今日も喉から血を流す
何遍何回繰り返す 本当のお国に帰りたい
蜂蜜色の綺麗な御髪 翠の瞳 小鳥は本当はお姫様
首ちょん切って 薬を飲んで 眠れば全部夢になる
とうとう誰も居なくなり 手毬も川へ流された
少しばかり物騒な、けれどその理不尽な歌詞が妙に可笑しくて子どもたちは笑いながら口ずさむ。えてして子守唄や数え歌というものは、少しばかり奇妙で残酷なものなのだ。その方が子どもにとっても面白みがあるというもの。何を考えているのやら、呆けた老人もにこにこと笑っている。
ある日見慣れぬ東国人の行商人がやってきて、そのまま女と老人と子どもを連れ去って行った。後に残るのは、女が教えた数え歌ばかりである。




