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21.枕戈寝甲

登場人物:セイ、ヒスイ

 寝台に横たわらず、床に身体を横たえた男を見て女は目を丸くした。


 北の塔を抜け出して、ただひたすら東に向かって馬に乗って駆け続けた。この街で、とある楽団と落ち合うのだという。あえて街道から外れた場所を走ってきたのだから、まともな部屋で休むのは久しぶりだった。


 女ですらほっとしたのだから、男の心情はいかほどであろうか。男はといえば、外で夜通し寝ずの番をし、馬も操っているのだ。体の内に溜まる疲労は、女よりも余程辛いものであるに違いない。


 夜半遅くに飛び込んだにしては、かなり小綺麗な宿屋であった。身なりも見目も良い若い男女である。年老いた女将は、道に迷って街にたどり着くのが遅くなったのだろうと良いように解釈してくれた。遅い時間にもかかわらず、身体を清めるためにお湯まで用意してくれたのである。


 泥を落とし、温かい食事も腹に納め、ようやっと一息ついた。後は寝るばかりである。それなのにである。せっかくの宿屋で、冷たく硬い床に寝るとは何事か。


「そんなところで寝ては風邪を引くだろう」


「これ位、何ということもありませぬ」


 当然といった表情で床に横たわる男を見て、女もまた寝台から降りて隣に座り込む。ほこを枕にしよろいに寝ぬ。何時でも戦いが出来るように準備を怠ってはならぬと男は言うが、これはあんまりではあるまいか。寝ずの番も断固として代わろうとしなかったのである。今夜こそは絶対に寝かせてみせると女は心に決めた。


 男は女の常ならぬ強情さに嘆息した。


 身体を清めたからか、女からはふわりと甘い香りが漂う。宿の安物の石鹸とは異なる、甘く蕩けるような香り。何より、その白い衵服はくふくがいけない。そなたとお揃いだとはしゃぐ女に、男は言えなかったのだ。


 西国の女にはいつもの男の東国の衣装と、何ら変わりなく見えるのかもしれないが、それは東国の女性用の下着である。西国のものと形が違い、手も足も全て隠れ、いくら素肌が何処も見えていなかったとしても……いや見えていないからこそ扇情的なのだと男には言えるはずもない。


 いくら適当な着替えがなかったとはいえ、他に用意はできなかったものなのか。男は、旅の荷を準備した、東国街の御仁の微笑みを思い出し涙する。楼閣の主人は、男がこうなることをわかっていてこれを準備したに違いないのだ。


「それならば自分も床に寝よう」


「御身に障ります」


 全くらちがあかない。この部屋は独り者のための部屋である。新婚ならどうせ寝台は一つしか使わぬだろう、そこしか空きがないのさと女将は軽く言って、二人をこの部屋に案内したのだ。男は女将の冗談が女の耳に入らなかったことを祈ることしかできない。


「寝相も悪くないし、いびきもかかぬから大丈夫だ」


「そういう問題ではありませぬ」


「熱を出した時に見舞ったが、そなたもいびきはかいていなかったようであるぞ」


 一度寝入ってしまえば、周囲の雑音などそうそう気にならないと言われてしまえば、もう男には止めようがない。女の白い手にひかれ、男は小さな寝台に身体を押し込めた。あったかい。女はすりすりと男に頬擦りすると、あっさりと寝入ってしまった。


 可哀想なのは男の方である。隣にすやすやと眠るのはいたいけな乙女。しかもようやく己の想いを伝えた相手である。汚れた服の代わりに、女は今は何を身につけているのであったか。恐々と手を伸ばしてみれば、触れた女の肌はどこまでいっても滑らかである。衵服はくふくはどこへ行ったというのか。


 はだけた衵服はくふくから白い素肌が見える。手を出してはならぬ。手を出してはならぬ。男は耐えに耐えた。


 翌日男の顔を見てみれば、ひどく疲労困憊している。思った以上に己の寝相が酷かったのかと聞いてみれば、何でもないと泣かれてしまった。今後は、部屋に二つ寝台のある宿に泊まりたいと男が言うので、女はにっこりと笑顔で嫌だと撥ね付けた。

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