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目の前に広がる平原で、ホーセルが部隊を展開しているのが見える。
周囲に森が点在する場所で陣を張るのが、ホーセルのいつもの戦法である。
人数は、アルバスタ軍も加わり、こちらが圧倒している。それでもなお、正面に整然と展開しているのを見て、クラウスはホーセルの常套手段を思い出す。
「……森に、伏兵を仕込んでいそうですね」
ホーセルは、周囲に遮蔽物がある場所で陣を張る場合が多い。それが森ならば、間違いなく伏兵を仕込んでいる。
かつての戦で、みすみすその森に黒髭を向かわせてしまった記憶は、今もしっかりと残っている。
今回、あちらの人数が少ないならなおのこと、罠はしっかり張ってあるだろう。
「梟も同じことを言ってきた。最初に動かしていた部隊のうち、後方支援に回っていた千から、ある程度動かしていると見るべきだろう。すこし、片付けを、黒騎士に頼めるか?」
「……いつもの私達の場所を、アルバスタが務めてくれるおかげで、暇をもてあましていますからね。喜んで、森の片付けを務めましょう」
自国の戦で、常に先陣を切る役割を負う黒騎士団は、今回重騎兵を率いた二部隊のみが、先陣のアルバスタ後方に位置していた。それ以外は、後方で、遊撃隊としてカセルアの本隊と待機している。
今回の戦は、とにかく、アルバスタの民に、自国の置かれた立場を知らせなければならない。その覚悟を見せるために、アルバスタを先頭に立てたのだ。
「では、左を頼む。右はカセルアで片付けよう」
「騎兵の多いカセルアで片付けられますか?」
「うちの騎士たちは、馬に乗らなくても十分強い。それに、あの爺の仕込みだぞ。全員、私やサーレスの立てる無茶な作戦に、笑いながら応じてくれる者ばかりだ」
笑顔のトレスの傍で、そのとおりとばかりに頷くガレウスを見て、クラウスは微笑んだ。
「片付いたら、状況を見て、ホーセル軍に突入します」
「こちらもそうしよう。特に合図はするつもりもないが……黒騎士なら、大丈夫だろう」
トレスが視線を向けた先では、接近しつつあるホーセル軍とアルバスタ軍による、矢の応酬が始まっていた。
すでに、その場に土煙がのぼり、細かい合図など、混戦の中では見えそうにもない。
しかし、クラウスは、それで困る事態が思い浮かばなかった。カセルアが失敗するとは微塵も思っていないし、突入のタイミングをわざわざ知らせたりする必要もないと思ったのだ。
自分の、カセルアに対するその信頼は、全て目の前にいるトレスと瓜二つの、自分の妻に由来する。彼女が、信じてくれと言ったカセルアの部隊を、クラウスは疑えなかったのだ。
指揮官としてはそれでは失格かもしれない。ひとまず、自分の部下の中で一番疑り深いのは誰だったかを考えていた。
これからは、その誰かの意見を、まず参考にしなければいけないなと、妙に冷静な頭で考えながら、クラウスはカセルアの武運を祈る言葉を残し、その場を後にした。
森の中にいた伏兵は、戦場とは逆の方向から、騎兵ではなく歩兵が突入してきたことによって、混乱していた。追い詰めているわけでもないのに、自ら騎兵の足を鈍らせるための汚泥の罠に突っ込んでいく。
「なんだ、あっけないな」
その場が片付くと、面白くなさそうにユーリはつぶやき、森の外に視線を向けた。
「ノエル。カセルアも終わったらしいぞ」
その言葉に、クラウスも反対側に位置している森を見てみると、そこから出てきた兵達が、傍で待機させていたらしい馬にどんどん飛び乗っていく様子が見えた。
「このままだと、こちらが置いていかれそうだな。私達も出るぞ。ホーセル軍の側面を囲め。数で圧倒している今のうちに片付けるぞ。今日を逃せば、おそらくホーセルの後ろに控えている部隊が合流するはずだ」
クラウスの言葉に、その場にいた全員が応と返し、この場の処理をする少数の兵を残して、それぞれ自らの馬に飛び乗った。
数で圧倒していた同盟軍は、瞬く間にホーセル軍に肉薄し、その陣形を食い破っていった。
あちこちで乱戦が起こり、その場が土の匂いから血の匂いへと変わっていく。
正面から突入したアルバスタ軍も、かつての味方を相手にしているとは思えないほど、獅子奮迅の活躍を見せていた。
その日、同盟軍の被害は、全軍あわせて二十名の死者と、五十名ほどの重傷者だった。
そして、ホーセル軍は、千四百名のうち、実に百名ほどが死者の列に加わり、重傷者とあわせると惨憺たる戦果となっていた。
なにより、ホーセル軍は、部隊を率いていた将を、この戦で亡くした。
討ち取ったのは、カセルア軍、トレス王太子付従騎士、ガレウス=カレイド。
無名の従騎士に将を討ち取られ、動揺したホーセル軍は、その後行われたカセルア王太子からの提案を、一も二もなく受け入れた。
ユーグ王子の身柄の返還は翌日行われ、戦争は一時停戦。
ホーセル軍は、多数の重傷者と遺体を守るように、静かに撤退していった。
アルバスタの王宮では、新しく王太子となったラウル王子によって、戦功報償の授与が行われていた。
後ろに宰相が控え、都度説明を受けながら、たどたどしく今回の戦の功労者達をねぎらう王子はやはり幼く、まだまだ王として一人で立つには、時間がかかりそうに見える。
その様子を、少し離れた場所から見守りながら、トレスとクラウスは今後のアルバスタの事について、話し合っていた。
「主には、ブレストアから兵を送ってもらうことになる。今回、こちらに来ているうちの兵を残せればいいのだが、彼らの一部は、別の隊から身柄を借りている状態なのでな。そのまま残すには、少し都合が悪い。改めて、カセルアの国軍を編成し直してから、こちらに送ることになるだろう」
「では、その編成が完了して、兵が送られてくるまでは、今回こちらに来ている赤銅と青銅の部隊から合計六百人ほどを、こちらに残します。アルバスタの編成については、こちらの将軍にお任せしたままで良いんですか」
「王に意見を求めようにも、さすがに今の状態では無理だ。宰相と将軍とで考えてもらうしかないな。……十一歳で宰相と将軍に対して、従わせるだけの能力を示せていた王太子を、そのままここに残せればよかったが、さすがに自分から罪人の汚名を被った者を裁かないわけにはいかない。アルバスタにとっては、今回で最も手痛い損失だな」
トレスの言葉に、クラウスは、黒騎士になれるかと問いかけてきたこの国の王太子を思い出す。
「……リデロ殿下は、どうなりますか?」
「イレーネ王女とは別々に預かることになるだろうな」
「リデロ殿下なら、もしかして、わざわざ王を幽閉などしなくても、軍を掌握出来たのではないでしょうか」
「そうだな。でもまあ、まだ成人に達していない王太子が、軍を動かしホーセルを完全に排除するのは難しいだろう。それに、頭のいい王子だ。この王宮にホーセルの血が残っていると、たとえ反乱を起こして軍を先導し、自分が王位に就いたとしても、結局はホーセルから手が回ってくると思ったんだろう。ホーセルを振りきるつもりなら、王族の中にホーセルの血が残っているのはまずい。だから、自分の妹も引き込んだ。こういう場合、むしろ王女が残っている方が都合が悪い。アルバスタは、女王も認められているからな。王太子がいなくなれば、その次に王となるのは、間違いなくイレーネ王女だったはずだ」
幼いイレーネを女王として立て、その摂政として夫候補の王族を送り込めば、ホーセルは簡単にアルバスタを掌握出来る。
反乱を先導したとして王太子が排除されても、イレーネがいてはその意味もない。だからこそ、王太子は、妹も共に城から出せる方法を考えたに違いない。
そこまで考えて、あの時の王太子の真剣な表情を思い起こした。
「……リデロ殿下は、黒騎士になりたいようでした」
「自由に見えるからな、黒騎士は。処遇は一応、ブレストアに一任したが、リデロ王子はおそらくうちで預かりになる」
「そうなんですか」
「イレーネ王女は、ブレストア預かりになるだろう。ランデルならそうする」
「……そうですか?」
「ブレストアでは、まだアルバスタに対して、敵対感情がある。そんな中、王太子を預かれば、間違いなくその感情は王太子にぶつけられる。たとえその王太子が、降伏した本人だとしてもだ。まだ、王女の方が、騒ぎは少なくてすむだろう」
「そうですね」
「カセルアには、アルバスタにもホーセルにも、まだ特に悪感情はない。だからといって、二人ともカセルアに渡すと、もし二人を救出しようとする勢力があれば、何かあった時に二人揃って確保されてしまうからな。ただ……」
言いよどんだトレスを見上げ、クラウスは首を傾げる。
「その処分は、アルバスタ王宮で幽閉されている、国王と王妃の処遇が決まってからだろう。今の段階では処刑までは出来ないが、それではブレストアでは納得できないだろう。おそらく、王太子と王女を二国で預かる条件は、国王の処刑ではないかな。王妃は、生涯幽閉か、もしくは国外追放だろう」
「……」
「カセルアは、この件に関しては、ブレストアに一任している。アルバスタ降伏の知らせと一緒に、その事を手紙に書いて梟に持たせたら、つい先程無駄に長い愚痴の手紙を返事として受け取ってきた。そんな手紙を書く暇があるなら、本人が来いと言いたかったよ」
兄の性格を思い起こし、その手紙の内容がなんとなく想像できたクラウスは、おもわずトレスに同情の眼差しを向けていた。
「その表情は、そちらもその手の手紙を受け取ることがあるんだな」
「ええ、まあ……」
「ここに来て、直接苦労しない分、頭くらいは精一杯働かせてもらおう。その代わりにあいつは、こちらでの判断を、私達に押しつけたんだからな」
「……そうなんですか?」
「王子と王女が無事に到着したら、その二人と相談の上、こちらに結果を伝える。その後は、こちらで判断よろしくだそうだ。当然、判断は、私達二人でという事だからな。まだ帰るなよ、黒騎士団長殿」
「……私は新婚なんですよ?」
「わかっているよ。私の妹がその花嫁なんだから」
「その新婚の夫を、いつまで足止めする気なんですかあの人は」
「……しばらくは、すぐにアルバスタに来られるようにしておいてもらわないといけないからな。これから、ノルドは雪の季節だろう。黒騎士団の初動が遅れるのは、アルバスタの防衛の観点からまずい。しばらくはアルバスタとの国境で足止めだな」
告げられた事実に、クラウスは愕然としていた。
「まあ、出来るだけ早めに、カセルアから部隊を送る。それまでは、国境でしばらく駐留してもらいたい」
クラウスの目に、にっこり微笑むトレスの顔が映る。うかつにも、その微笑みが妻に見え、逆らえなかった。
クラウス一生の不覚だった。




