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クラウスは、その部屋に、最近見慣れた以外の顔があることに、入ってしばらくして気が付いた。
部屋の隅に置かれた二脚の椅子に、並んで座る少年と少女がいたのだ。
よく似た兄妹だった。十歳前後に見える二人は、同じ焦げ茶の髪で、顔立ちも似ている。もちろん、カセルアの兄妹のように、どちらか一方の容姿にそっくりというわけではないが、二人が並んでいれば、全員が二人を兄妹として見るのは間違いない。
そして、クラウスは、その二人の面差しに、兄と、もう一人の顔を思いだしていた。
今は、兄妹揃って顔色が悪い。それがますます、そのもう一人の顔を思わせて、クラウスは思わず目を逸らす。
だが、その目を逸らされた二人は、クラウスの姿を見て、目を見張っていた。
「今回の降伏を決定した責任者だ。元アルバスタ王太子のリデロ殿と、イレーネ殿だ」
クラウスが、二人を見つめていたのに気が付いたトレスから、二人を紹介される。だが、その言葉にあった疑問が、思わずクラウスの口を付いて出た。
「……元?」
「国王に対する叛意を示したことで、自ら王太子の位を辞されたのです。次のアルバスタ国王は、第二王子のラウル殿下が即位される事になります」
クラウスの傍にいた、赤銅騎士団の団長が説明した。
「……はじめまして、だろうか。リデロ=ラケーレだ。私はあなたの姿を、見た事がある気がする。最も、その時は、そのような勇ましい姿ではなかったが」
「初めましてですよ、リデロ殿下。クラウス=ノルド=ブレスディンです」
「……そんな名だったろうか」
「あなたが覚えているのは、私の母でしょう。私の姿は、誰が見ても、母に瓜二つだそうですから」
「ブレストアの王太后陛下。たしかにそうかもしれない。あの方の姿は、絵画でいつも見ていたから」
「わたくしは、お会いしたことがあります。髪の色も眼の色も違ってらっしゃいますが、確かにお顔立ちはそのままですわ」
妹姫が微笑み、立ち上がるとクラウスに丁寧に頭を下げる。
「イレーネでございます。この度は、皆様にご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした」
「あなただけのせいではないのですから、詫びる必要もありません。それで、ここに集まって、私を呼び出した理由をお聞かせ願えますか、トレス殿下」
難しい顔で腕を組んだまま、窓辺にいたトレスに、改めて問いかける。
「とても面倒になった」
「それはわかります」
「……ブレストア軍が、どれくらいアルバスタに兵を送れるか、ここにいる将達に尋ねたら、それを完全に把握しているのは黒騎士団だけだと伝えられた」
「……もしかして、ホーセルとの間に本格的に戦になりますか」
「同盟にアルバスタが入る。しかし……アルバスタは国土の三分の一を、ホーセルに平地で接している。しかも、あちらは、アルバスタの地理についてはすでに掌握しているはずだ。この四年ほど、彼らは事あるごとに、この地をブレストア攻略のための駐留地にしていたのだからな。もしこのまま、アルバスタの軍にこの地を任せれば、ひと月もしないうちに、ここはホーセル王国になるだろう」
そしてトレスは、軽く額を押える。
「そして、即位する国王は、現在九歳。宰相が補佐するとは言え、若すぎる。ブレストアかカセルアからも、人をやる必要がありそうだが、その前に、この国にいるホーセルの息がかかった官僚達を一掃する必要がある。……ラウル王子は妾腹なので、ホーセルの血は入っていないが、周りをホーセルの手の者で固められては、今回の二の舞だからな。ランデルの意見も聞きたい所なんだが……。ああ、いっそランデルもここに首根っこ掴んで引っ張ってくることは出来ないか?」
「首根っこを掴んで引っ張らないと出てこないと理解しているあたり、兄上の人となりをよくご存じですね。なら、あの人が、こういう面倒ごとを最も嫌がることも、ご存じでしょう」
肩をすくめてクラウスが告げると、トレスはそうだなと納得したように頷く。
「アルバスタを守るのは、あくまでアルバスタ人。今まで敵だった私達が、この地で戦陣を敷くのを、民衆が素直に受け入れるでしょうか。ひとまず、アルバスタ軍が主導で動く必要があります」
「その事は、すでにアルバスタの将軍に伝えてある。……アルバスタの王宮内では、ホーセルとの同盟を重視する王妃派と、ホーセルとの同盟を破棄し、我々と組みたがる王太子派とで、勢力が二分していたらしい。将軍は、王太子派だった」
「……将軍がこちら側だったということは、軍はこちらに着くということですね? そして宰相が国王を補佐するということは、宰相もそうだと見ても良いんでしょうか」
「宰相は、元々王太子派だ。この国内での、王太子の後ろ盾だからな。軍に関しては、残念だが、掌握できるのは三分の二ほどらしい。国中から民兵を集めたとしても、最大で二万行けばいいだろう。ただ、この数字は、ホーセル流に兵の年齢を問わず集めた数だ」
「……では、半分も動かせませんね」
ホーセルの民兵は、それこそ下は十歳くらいから、上は六十を過ぎた老人までが駆り出される。だが、その中で、実際に働けるのは、やはり半数ほどになる。志願制ではあっても、やる気だけでどうにかなるほど、戦場は甘くはない。彼らの仕事は、それこそ騎士のために盾になることくらいしかできないのだ。何度も見てきたホーセルの兵士に対する扱いは、どうしてあれで志願する者がいるのか、不思議なほどだった。
あれを見たなら、たとえ本人が志願しても、使う気はなかった。
「どうなさるんですか」
「ひとまずは休戦すべきだろう。今のアルバスタに、突然ホーセルと戦えといわれても、王宮の混乱が収まらない限り難しい。今、こちらに向かっている千四百は、我々の力で退けることが可能だが、我々が去ったとたんに再び攻めてくるのは、目に見えている」
「……つまり?」
「アルバスタの混乱が収まるまでは、ブレストアかカセルアで、アルバスタの国境を守るしかないだろう。今来ている部隊は……相手次第だな。今のところ、あちらは攻める気満々だ」
トレスの言葉に、思わずため息が出る。
「ほんとに面倒なことになりましたね」
「逃がさんぞ、黒騎士団長」
クラウスは、笑顔と共に告げられたトレスの言葉に、思わず近くにあった窓硝子に映る己の顔を確認した。
うっかり表情に出たかと思ったのだが、そこに映っていたのは、常と変わらない、あまり表情のない、母そっくりの顔だった。
一通りの説明を受け、黒騎士の隊長達が揃う場所に帰るために外に向かっていたクラウスに、背後から声がかけられる。
振り返り、その相手が自分の元に小走りで近寄ってくるのを待つ。
焦げ茶の真っ直ぐな髪。自分よりランデルに似ている、この国の元王太子。
「すまない、どうしても、聞いてみたい事があった」
「なんでしょう」
「……その、私でも、黒騎士になれるだろうか?」
クラウスは、その問いを聞いて、改めて目の前にいる、自分のはとこの顔を見つめた。
「黒騎士になりたいと仰るのか?」
「……だめだろうか」
「あなたが何も持たぬ者なら、受け入れましょう。しかし、国のために強くなりたいという理由なら、受け入れられない。黒騎士は、他への忠誠を全て捨てさせる組織。いつか国に帰る者を、受け入れる黒騎士はいないのです」
「……他への、忠誠……」
「かつての主君だろうが、親だろうが、国だろうが、神だろうが、他へ忠誠を捧げることは許されません。黒騎士の忠誠は、ただ黒狼のみに捧げられる。それができないとわかっている者を、受け入れることはできません」
「では、黒騎士公も、そうなのか……? あなたは、王弟だろう。あなたは、国よりも、兄君よりも、黒狼に忠誠を捧げているというのか」
「……私は元より、何も持たぬ者。産まれながらに、両親も、身分も、何もかも、持つことは許されませんでした。私が王弟と認められたのは、黒騎士の長になったからですよ」
くっと唇をかみしめた、自分より年若のはとこに、クラウスは微笑んで見せた。
「あなたが学ぶべきなのは、黒騎士の戦い方ではなく、カセルアの治世ではないでしょうか。かつて芸術の都とうたわれた平和の時代を、民のために取り戻したいと願うなら、その方がよほど役に立つはずですよ」
クラウスの笑顔に、はっと顔を上げたリデロは、クラウスをまぶしそうに見上げていた。
翌朝、大至急再編成されたアルバスタ軍と、ブレストア、カセルアの同盟軍が、そろってアルバスタの首都から出陣していく。
アルバスタは、王宮の守りを全てブレストアの白銀騎士団に任せて出陣するという、ほぼ捨て身の状況だった。
王宮内に、まだ王妃派と呼ばれる人々が残っている中でのこの決定は、異を唱える者も多かったが、それよりも今は、ホーセルの手を退けるのが先だという将軍の説得で、アルバスタの現在の首脳陣は結局頷いたのだ。
白銀騎士団は、元々、王宮の近衛も務める騎士団である。王族を守るのが元の役割であるため、前線にいるよりも、王宮を守る戦いは向いている。
それを決めたのはトレスだが、トレスが言わなければおそらくクラウスが進言していた。
トレスはどうやら、ブレストア国軍に関しての情報も、頭に入っているらしい。トレスの頭に入っているということは、おそらくサーレスもだろう。
おもわず、半月前に自分の出陣を見送っていた新妻の表情を思い出し、アルバスタ軍の行軍速度に合わせてゆっくりと進む軍の中で、ディモンの背に揺られながら、クラウスは項垂れた。
フラガンが確保できれば終わると思っていたのが、思わぬ長居になりそうな事態で、泣きそうだった。
今、ホーセルを退けたとして、単純にこの戦の事後処理まで終わらせたとして、あと二週間ほど。その後、このアルバスタの国境警備の計画を立て、実行させたとして、最速で追加で一週間。
全てが素晴らしくうまくいっても、最低ひと月ほどは、自分は帰れない計算になる。
今からひと月先なら、ノルドはもう、雪に包まれる。
初めて迎えるノルドの雪の季節を、あの人から離れて見守らなくてはならないのが辛い。
サーレスなら、城の人々にも受け入れられているのだし、それほど心配しなくてもいいとは思う。彼女は彼女なりに、城の過ごし方を考え、過ごすことだろう。
だが、その彼女の隣に、自分がいられないのが、残念だった。




