往診 1
週に一回、往診がある。正しくは訪問診療だけれども、要するに身体が悪く、病院に通えない患者さんを、こちらから診に行くのだ。
午後の時間を用いて、だいたい6-7件ぐらいだろうか。運転手さんと看護師さんの3名で、車を用いてまわっていく。車の中でちょっと休めるし、家族ともゆっくり話ができるので、私はとても好きだ。
以前、胃ろうを増設した「駒田太樹さん」も往診先の一つ。
ただ、その往診先を尋ねてみて、びっくりした。
そこは大きな、とても大きなお寺だった。
浦佐には大小様々な神社やお寺があるが、一番大きな、このあたりをお守りしていると言われるお寺さんがある。
「毘沙門様」
と街の人に呼ばれて愛されている「浦佐毘沙門堂 普光寺」。
浦佐の駅からほど近くにあり、何と807年に坂上田村麻呂が建立したと言われる、由緒あるお寺さん。
境内もたいへん広くて、綺麗にされている。
「先生、来てくださり、ありがとうございます」
お出迎えしてくれたのは、娘さんの翠さん。
あの気品は、やっぱり良いところのお嬢さんでした。
今日もきちっとした佇まいで、こちらまで背筋を伸ばしたくなる。
翠さんに誘導され、大きな家の中の一室に案内される。
そこはやや広いが普通のお部屋で、おそらく大樹さんご本人が昔から使われていた部屋。
今は介護しやすいベッドが置かれ、周りには痰を引く装置や、栄養のパックが置かれている。
雑然としやすい介護だが、きれいに整理整頓されていて、慌ただしさを感じさせない。
「それでは、診察させていただきます」
「よろしくお願いします」
布団をめくり、ゆっくりと診察させてもらう。
血圧はどうか、脈拍はどうか。
胸の音を聞いて、肺炎になりかけていないか。
腹部を押して、便秘になっていないかどうか。
足を触り、浮腫を生じていないか。
背中を見て褥瘡が生じていないか。
診ることはたくさんがあるが、きちんとされていて、この方になにかあることは少ない。
「特に問題ありませんね。何か気になるところはありますか?」
「……そうですね。ちょっと痰がゴロゴロしているのに引けないときがあります」
「なるほど……身体の体勢をちょっと変えてみるといいかも知れませんね」
そんな遣り取りをして診察を終えると、いつもお茶菓子が出る。
お断りしているが、「ぜひ」と言われると断れない。
甘いものは嫌いじゃないし。
今日は栗きんとんだ。大好物。
それに緑茶がまた美味しい。
「美味しいです。秋ですね」
「そうですね。少し境内の緑も紅葉してきました」
「いつ見に来ても、綺麗にされていて素敵なところです。時折、お参りに越させてもらっています」
「あら、先生ならいつでも声をかけてもらえれば、お会いしますのに」
「いえ、お忙しいでしょうから」
そうなのだ。この方、介護だけでなく、このお寺のこともされているのだ。
住職はこの大樹さんのままなのだが、代わりを務めているという。旦那さんはサラリーマンで、携わっていないらしい。子供さんふたりは東京とのこと。
つまりたった1人で介護とお寺を支えている。それなのに、簡単なことですよ、と言わんばかりにいつも穏やかだ。
それでもよく見ると、私には疲れが見えるような気がする。
「疲れていませんか? 介護する人が倒れたら大変です。デイサービスやショートステイも利用されていますか?」
「この人、お家が大好きなんです。それに、私も隣りにいるのが落ち着くんです」
こういう言葉を穏やかに微笑みながら言う彼女、私は心配しつつも「イケメンだな……」と思う。女性だけど。
「帰って、元気なときのほうがいろいろ忙しかったような気もします。今は喋れない分、穏やかな二人の時間を過ごせています。たぶんそんなに長いことはないのだと解っています。だから大事にしたいのです」
「…………」
彼女は解っていた。
胃ろうにはしたが、だんだんと動きも反応も悪くなっている。痰もだんだんと出せなくなっている。どこかで肺炎を生じて、最期を迎えるのだろう。
「だから先生、この貴重な時間をくださった先生には、本当に感謝しています。ありがとうございます」
「いえ、私はお手伝いだけど、実際にやっているのは翠さんの方ですよ。本当によくやられていると思います」
私がそう言うと、翠さんはすこし嬉しそうに微笑んでくれた。
在宅介護といっても、なかなかこうはいかない。
十分にできない介護に苛立ち、どうやればよいか解らず不安になることもある。
本当にこの人は、肝が座っているというか、覚悟をしている人なのだろう、と思う。
私は、お菓子のお礼を言いつつ、次のお家へ向かった。




