55 嘆きの亡霊は引退したい②
あー、もうダメだ。何もかも放り出して今すぐ逃げ出したい。
クランマスター室でいつものように行儀の悪い格好をしながら僕はため息をついた。
ティノとアイスを食べに行って数日。状況は何一つ変わっていなかった。
帰宅してから色々調べて見たが出てくるのはなんかやばいという情報ばかりで、どうしようもない。
というか、今回の件は完全に僕の手に余る。
『アカシャの塔』が有名な魔術結社だと言うのも確からしく、まぁ僕からすれば秘密結社なんてだいたいやばいところなので関わりたくないのだが、真理探求を名目にかなりあくどいことをしでかしている組織らしい。
殺しから希少素材や生物の強奪。集団誘拐や人体実験、生贄を使った古代の神の召喚まで、その辺のマフィアでもここまでやらんだろというような事までやっている正真正銘の人でなしだ。ゲロ吐きそうだ。
アークやルーク達は誰一人いないし、帝都にいる他のクランメンバーたちは既に探協の依頼で動いている。宝具もない。
なんでウサギの巣穴に隠れていたのかもわからないが、魔術結社なのならばそれっぽい仕草をしていて欲しかった。
まぁあの時もしも相手がそんな危ない魔術結社だとわかっていたら僕が選ぶのは逃げの一択なのだが、一番まずいのはリィズちゃんが、ガークさん達に啖呵を切ってしまった事である。そして、何故かガークさんがそれを信じてしまっているらしいのがやばい。詰んでる。
数年来の付き合いなのになんでガークさんには僕の無能っぷりがわからないのだろうか。レベルは高いけどこのレベル、あんた達探協が認定したレベルだからね。別にレベル高く認定してもらったら強くなるとかないから。
僕よりも間違いなく現状を把握しているエヴァが、机に脚を乗せてだらだら現実逃避している僕の机にお茶を入れてくれる。
あ、すいません。仕事してないからお茶いらないです……。
「クライさん、アカシャの方は大丈夫なんですか?」
「……まだその時じゃない」
ラビ研のリーダーの憎悪に染まった顔を思い出しながら大きく欠伸をする。
あの時は何とも思わなかったが、あれがやばい魔術結社のリーダーだったとしたらやばい。間違いなく恨みを買っているだろう。
悪気はなかったのだが、そんな事あのノトさんには関係あるまい。
僕は無能だが今まで散々な目にあってきたので自分の命を守る術だけは心得ている。
今僕に残された選択肢はたった一つ――クランハウスから一歩も出ない事だ。
このクランハウスはクランメンバー憩いの場であると同時に、僕のセーフスポットだ。僕の寝室をここに作ったのも、設備が他のクランと比べて豊富なのも地下室があるのも、いざという時の襲撃に備えるためでもある。
ここに集まっているのは帝都屈指のハンター達だ。怪物退治のプロである。
たとえ相手が魔術結社であっても、ここほど安全な場所は恐らく帝都にはない。
もし万が一これで襲撃を受けて死んでしまってもまぁ仕方ないよねと納得できてしまうレベルの堅牢さだ。
だから僕は一切ここから出たりしない。ティノでは護衛として少々力不足だろうし、リィズがいたら少しは安心なんだが、まぁ犯人が捕まるまでは外に出ない方がいいだろう。
『物理攻撃なんて超越してるんだよお』とか言いそうだし。……してないよ。
「その時じゃないって……いつその時が来るんですか? ガークさんが少々焦っているようですが……」
「うーん……そんな事言われてもこればかりはなぁ……」
っていうか、ガークさんの僕への信頼厚すぎない?
スライムみたいなのが出てきたのは偶然だし、ラビ研メンバーに遭遇したのも偶然である。そりゃそれらの出来事が全て計算によるものだったらこの信頼の厚さも納得できるが、そんなわけないことは既に言ってある。
言われなくても理解しているべきなのに、言っても理解してくれないなんておかしくありませんでしょうか。
泳がせるって何さ……泳いでいるのは僕の目くらいだよ。
「目ん玉節穴かよ。今まで何見てきたんだよ……」
僕は無力だ。外に出れば宝物殿が出来上がるし、リィズの暴虐を止めることもできない。
それどころか…………そう、シトリー。
シトリーが汚名を着せられ『最低最悪』なんて酷い二つ名をつけられた時にも止めることはできなかった。
一応庇いはしたのだが、力不足だったのだ。国からの圧力が働きすぎていた。証拠もないのに容疑を受けただけでペナルティなんておかしいと思う。状況証拠でシトリーが限りなく黒に近かったのもきっと何某かの陰謀があったのだろう。
シトリーちゃんは笑って許してくれたが、その時の事は僕の中で帝都に来てから一番の失敗として記憶に残っている。(ちなみにその時、肝心の姉の方は手を叩いて大笑いしていた)
なんか思い出したらムカムカしてきた。小さな声で文句を言う。
「脳みそまで筋肉になってんじゃないだろうな」
「……クライさん、言い過ぎですッ」
……だが冷静に考えると、ガークさんが誤解してしまうのも無理もないかもしれない。
シトリーはいい子だが、昔からよく知ってる僕でも話していてたまにズレを感じる事はあるし、もっと知らない他人から見れば頭のネジが数本飛んでいるようにも見えるだろう。二つ名をつけられた時は僕以外の誰もが納得していた。
『次はちゃんと犯人が見つかるようにします』ってどういう意味ですか……。
……本当にやってないよね?
と、その時、クランマスター室の大きな扉が音を立てて開いた。
現れた予想外の姿に、僕は確かに自分の血の気の引く音を聞いた。
「よお、クライ。忙しいところ、急に来ちまって悪いな……一応、状況の確認だけ、しておこうと思って、な……ああ、悪かった、な。忙しいところを」
青筋立てて引きつった笑みを浮かながら、ガークさんが室内に入ってくる。タイミング悪すぎる。
反射的に土下座をしようとして、脚をテーブルに乗せっぱなしだったため椅子から転げ落ちる。
激痛にもんどり打っている間に、ガークさんが止める間もなく間合いを詰めてくる。
痛む腰を押さえながら立ち上がった時には、既に目の前にいた。
やばい。怖い。どこから聞かれていたんだろうか……。
「いやぁ、悪いなぁ。クライ君。俺は――武闘派でよお、脳みそ筋肉なもんで、なんでも知ってるお前と違って情報共有してくれねえと何もわかんねえんだ」
「…………」
「目も節穴なものでなあああッ!? 見えてるもんしか見えねえんだよおッ! お前と違ってなぁッ! 目ん玉交換して欲しいくらいだなぁッ!」
大きな声で話していたわけでもないのに、扉越しに全部聞かれていたらしい。これだからハンターっていうのは人外じみてて困る。
僕はこちらを剣呑な目つきで見下ろすガークさんに空笑いを浮かべる。
「あは、あはは…………耳も悪かったら良かったのに」
「馬鹿にしてんのかッ、お前はッ!」
「まぁまぁ、落ち着いてくださいッ! クライ君の言うことを真に受けちゃダメですッ!」
「いつもうちのマスターがすいませんッ! 後で言い聞かせるので、どうか平にご容赦をッ!」
すかさず後ろから苦笑いで入ってきたカイナさんとエヴァがガークさんを宥める。
さすが慣れてる。まるで姉妹のように息もぴったりである。僕は彼女達が側にいればガークさん相手でも軽口を叩く自信がある。ずっと側にいて欲しい。
慌てて謝罪に乗っかる。
「す、すいません。つ、つい口に出ちゃっただけで、本気じゃないんです」
「知ってる。おお、わかってるぞ。だから、俺はまだ、唯一の長所である筋肉を使ってないわけだッ!」
ふーふー荒く呼吸しながらガークさんが笑う。
やばい。ガークさんも全盛期と比べて丸くなったと聞くが、それでも元『戦鬼』だ。いつ手が出るかわからない。
謝罪だけでは足りないだろう、明らかに怒っている。僕はとっさの機転でフォローに入った。
「そ、そんな……ジョークセンスと忍耐力も凄いと思うよッ!」
「馬鹿にしてんのかッ、お前はッ!」
あ、ダメだこれ。黙っていた方がいいわ。
恫喝するように声を荒げるガークさんをカイナさんが必死に押し止める。エヴァが余計な事は言うなという目で僕を見てくる。
慌てて口を挟むとろくなことにならない。
黙っていると、ようやく落ち着いたのかガークさんが大きく深呼吸をして、僕の机に分厚い資料を叩きつけた。
表紙に大きく部外秘と書かれている。
まだ額に青筋は浮いているが、ゆっくりと言葉を出す。
「お前の優秀な『耳』にはもう入ってるかもしれねえが、探協と帝国が調査した結果だ。外の研究室らしき部屋を幾つか発見した。中は空っぽだったが、今専門家が詳しく調べてる」
調査しているということはティノ経由で聞いていたが、まだ調査開始から一週間かそこらしか経っていない。
帝都近辺の宝物殿といってもピンからキリまで全部含めれば百じゃきかない。この短期間で研究室を見つけるなど、その本気度が見て取れる。
「へぇ……この短期間で見つけるなんて凄いなぁ」
「ッ…………」
「落ち着いて、ガークさん。クライ君は煽ってるわけじゃないんです。これが素です、わかってるでしょ?」
射殺すような目を向けてくるガークさんをカイナさんが宥めている。
「え? いやいやいや、煽ってないよ? 凄いなぁって思っただけで……」
「クライ君は、黙っててくださいッ!」
一喝され仕方なく口を噤む。僕は凄い事を凄いという事さえ許されないのか。
なんて言えばいいんだよ。この程度かとでも言えばいいのか? レベル8らしく?
「ふん、この程度か――」
「ッ…………クライ? お前、俺の忍耐力でも、試してんのかッ!?」
ほら、やっぱり怒られる。僕はどうしたらいいんだよ。
僕は深々とため息をつき、怒りを堪えるガークさんに言った。いい加減建設的な話をしよう。
「まぁまぁガークさん、落ち着いて。まだ焦る時じゃない。資料はすぐに読ませてもらうよ。他に何かある?」
「ッ…………上の方が、しびれを切らしているッ……てめえの方の目処が知りたい」
あー……そうきたか。それは僕も知りたい。八方塞がりだ。僕ではどうすることもできない。
だが怒り狂ったガークさんにそんな事言う勇気はない。時間稼ぎするかな……。
僕はもっともらしく考えている振りをして首を傾げ、答えた。
「……そうだなぁ……助けが必要、かな」
アークか、遠征している僕の幼馴染達が帰ってきたらどうにかなる気がする。
彼らは運命の女神に愛されている。きっといつか英雄として謳われることになるだろう。
強いだけでなく、なんというか――引きが強いのだ。僕も嫌な意味で引きは強いが、アーク達はそれに加えて高い問題解決能力を持っている。
今回の件もどうにかできるだろう。なんかこの前も言った気がするが、彼らにどうにもならなかったら僕にもどうにもならない。
僕の答えに、ガークさんの眉がぴくりと動いた。
「ッ…………助け……だ? 誰の、だ?」
誰の、か。難しい質問である。全員と答えたいところだがきっとガークさんはそんな事認めないだろう。
一番安定しているのは言うまでもないアーク・ロダンだ。彼はあらゆる意味で優秀だ。『嘆きの亡霊』じゃないのが悲しい。
反面、うちのメンバーで言うのならば、ルークやリィズはガークさんより脳筋なのでこういう調査系は向いていない。エリザは盗賊だが、最近外から入れたメンバーで僕の頼み事なんて聞いてくれないのでNG。
ルシアやアンセムはいつも冷静沈着なので頼りになるが、どちらもとても目立つのが玉に瑕である。
というか、スライムの件もあるのでシトリー一択だよ。シトリーに帰ってきて欲しいよ。ファイナルアンサーだ。
卓上のカレンダーになんとなく目を向け、答える。
「シトリーだよ。…………多分そろそろ帰ってくるんじゃないかな」
むしろ遅すぎるくらいである。帰宅予想日につけておいた丸印はとっくの昔に過ぎていた。
もうちょっと待って来なかったら様子を見に行こう。何かあったのならば見捨てるわけにはいかない。
ガークさんが険しい表情を作る。
「……シトリー? ……そう言えば、アカシャと敵対しているらしいが……シトリーじゃなきゃダメなのか? いつ帰ってくるんだ? 錬金術師が必要って話なら何人か呼んで――」
「ただいま、帰りました」
!?
聞き覚えのある声と共に見覚えのある姿が入ってきた。
ガークさんが勢いよく振り向き、その姿を捉え絶句する。
リィズと同じピンクブロンドの髪と瞳。身長は姉であるリィズよりも少し高いが、地味な色の外套を羽織り、リィズのように騒がしくないせいか、実体以上に小さく見える。
背には大きな鞄を背負い、腰のベルトにも普通のハンターが装備しているものより二回り大きなポーションバッグが下がっている。
杖は持っていない。シトリーの役割は戦闘ではない。彼女は司令塔だ。準備と後始末、宝物殿の情報収集をこなす『嘆きの亡霊』の功労者。
シトリー・スマート。僕が待ち望んでいたハンターの到着だった。
その出で立ちには汚れ一つなく、帝都を発った時と比べて何一つ変わっていない。どうやら無事だったらしい。
「おかえり、シトリー」
内心ほっとしながら手をあげる。
しかし、凄まじく都合のいいタイミングだな。外で聞いてたんじゃないだろうな。ガークさんといい、もう少し扉の防音性を高めた方がいいのかも知れない。
疑心を抱く僕の前に、シトリーが何故か神妙な面持ちでやってくる。顔を引きつらせたガークさんの前を小さく会釈して通り過ぎ、何も言えないカイナさんとエヴァの隣を抜け、僕の前に立つと涙目で言った。
「クライさん、過保護過ぎです。そんな事しなくても、逃さないって!」
「????????? あ、はい。ゴメンね?」
開口一番に何言ってるんだろう。何かやってしまっただろうか?
「クライさんのせいで台無しです。説得して降参してもらうつもりだったのに…………加減してほしいです。あれじゃ……同情を引いちゃいます」
「何の話?」
状況が理解出来ていない僕に、シトリーが信じられない事を言った。
「『アカシャの塔』の話です」
ガークさんの表情が凍りつく。僕の方を見てくるが、今帰ってきたばかりのシトリーからなんでその話が出てくるのか、僕にもさっぱりわからない。
言葉を出せずただ瞬きすることしか出来ない僕の前で、シトリーが背負鞄を下ろし、中から小さな黒い鞄を取り出し、唖然としているガークさんに押し付けるように渡す。
行動の端々から怒りのような物がにじみ出しているが、姉の方と違い勢いが圧倒的に足りていないので怖くない。
「主犯は下に捕えてあります。クライさんがやりすぎたせいで、早く行かないと死んじゃうかも」
「ッ!? カイナ、行くぞッ! おい、クライ。話は後でたっぷり聞かせてもらうからなッ! 急げッ」
ガークさんがカイナさんを連れ、慌ててクランマスター室を後にする。
残されたのは何がなんだかわからない僕と、達観した表情のエヴァ、そして帰ってきたばかりなのに何故か事情を知りおまけに主犯とやらまで捕らえたらしいシトリーだけだった。
……ありえない。優秀すぎる。どうなってるんだ、うちのメンバーは。
確かにシトリーの手助けが必要だとは言ったが、そういう意味じゃない。引きが強いとは言ったが、強すぎじゃないだろうか。
シトリーが黙って僕の言葉を待っている。
僕はなんと言っていいものか迷った結果、先ほどまで悩んでいた全てを忘れることにした。
立ち上がり、シトリーの前で大きく腕を広げる。
魔術結社もスライムも、ごたごたは後でいい。今はただ帰還を喜ぼう。
なんと言われようと、僕にできることは英雄の帰還を待つ、ただそれだけなのだから。
僕は笑顔を浮かべ、もう一度はっきりとシトリーに言った。
「おかえり、シトリー。無事で良かった」
「はい。ただいまです……クライさん」
お疲れ様です。槻影です。
これにて『嘆きの亡霊は引退したい』の第二章、完結になります。いかがでしたでしょうか?
第二章は一章とは少し変え、勘違い要素強めでお届けしました。
楽しんで書けましたので、楽しんで読んで頂けたら嬉しいです。
シトリーちゃんについては感想欄で色々予想が立っていましたが、こんな感じの子でした。
まだまだ色々エピソードはあるので以降少しずつ出していこうかなーと思っています。
実は第二章は二通りくらいアカシャメインとスライムメインで二通りくらいルートを考えていました。
スライムについてはいずれ詳しく補完できればと思っています。
(シトリーちゃんは試行錯誤しながら研究を進めており、シトリースライムもその途中で生み出されたものの一つです)
さて、第三章についても一応投稿予定です。
第三章ではまた雰囲気を少し変え、今までぼんやりと内容をお伝えしてきた宝具関係について詳しくやろうかなーと考えています。時期は未定ですが遠くない内に再開出来たらなーと思っております。しばしお待ちくださいませ。
また、書籍版については、随時活動報告やらで情報お伝えして参りますので、そちらも宜しくおねがいします。
もしここまで楽しんで頂けましたら評価、ブックマーク、感想宜しくおねがいします。
/槻影
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