446 さらさら
ゼブルディア帝国。太い地脈の上に領土を持つ世界屈指の大国の一つにして、トレジャーハンターにとって聖地とされるその国は無数の宝物殿を擁し、実力さえあれば冨、名声、力、全てが手に入るという。
その国の話は前々から聞いていた。逆に言うのならば、遠く離れた城塞都市テラスにまで轟く程、その都市は有名だったのだ。
だが、まさかこうして実際に訪れる事になるとは思わなかった。サヤはレベル9認定試験に参加する期間を空けるだけでも周辺諸国から腕利きのハンター達を呼び込まねばならなかったのだ。唯一のレベル8が長く空けられる程、魔境テラスは甘くはない。
そもそも、距離の時点でゼブルディアに行くのは現実的ではない。
だから、こうして足を運ぶ事ができたのはきっと、生涯でただ一度の幸運だろう。
転移魔法陣使用時の特有の目眩。
暫定レベル9、《夜宴祭殿》サヤ・クロミズは、帝都ゼブルディアに降り立った。
魔法陣発動のために集められた魔導師達が、転移してきたサヤに畏れ半分、興味半分の視線を向けている。サヤは小さく息を吐き、拳を握る。
「ここが……ゼブルディア帝国」
「良くきたな、《夜宴祭殿》。探索者協会ゼブルディア支部はサヤ・クロミズを歓迎する」
待ち構えるように正面に立っていた、頭に入れ墨の入った禿頭の大男が野性味溢れる笑みを浮かべ、サヤに言う。
探索者協会ゼブルディア支部長、ガーク・ヴェルター。元ハンターだというその男は、サヤ・クロミズを帝都ゼブルディアに招いた張本人でもあった。
「歓迎、痛み入る。ガーク支部長。余り暴れないように注意するから、安心して」
「ちょっとくらい暴れてくれても構わんがな。いい刺激になるだろう。この間もネブラヌベスからレベル7がやってきたが、まあいい刺激になったみたいだしな。殺さないようにだけ注意してくれればいい」
さすがゼブルディア、ハンター層は随分厚いらしい。支部長が太鼓判を押すくらいだ、よほど暴れない限り問題はないのだろう。そして、サヤは基本的に襲われない限り力を行使したりはしない。
何より、今は時期が悪い。レベル9試験で一つの壁を越えたサヤの『さらさら』は今、少し不安定な状態にある。
真剣な表情で頷くサヤに、ガーク支部長が肩をすくめて言った。
「世界中からハンター達が集まる都市だ、時間は余りないかもしれないが、じっくり見学していってくれ。何か必要なものがあったら支部にくるといい」
§
レベル9認定試験の結果、サヤ・クロミズは暫定合格となった。
試験でサヤはほとんど活躍できなかった。やったことと言えば、狐のボスを二人捕まえたくらいである。本命の任務をたった一人で達成した《千変万化》を差し置いてレベル9になる事についても思うところはあったが、一番の問題は暫定となった理由だ。
『さらさら』に一種の危険性が想定されるため。それは、確かに言われてみれば納得できる内容だった。
さらさらは未知の能力だ。サヤに味方してくれている者達が何者なのかすら、サヤは知らない。
それは、サヤの一族に寄り添い、ずっと味方をしてくれた。だから、使い続けた。その結果、サヤはレベル8になった。
だが、確かにそれらはサヤの命令を完全に聞いてくれるわけではない。よく言えば柔軟に、悪く言えば身勝手に、それらは動く。
実質的にサヤがそれらに対してできるのは見る事だけだ。夜に現れるそれらを見る事だけ。
そう――レベル9試験の最中、《千変万化》の言葉をヒントに、無理やり朝に力を発動したあの時までは。
あれ以来、サヤの目はこれまでよりもずっと強くなった。恐らく、日の降り注ぐ朝に能力を発動した事で、壁を一つ破り、力が成長したのだろう。
サヤは審査会の場にいなかったので詳しいやり取りは知らないが、危険性を憂慮し話し合う審査会のメンバーに、先程のガーク支部長が言ったらしい。
世界中から高レベルハンターや情報が集まる帝都ゼブルディアならば、さらさらの能力を制御するヒントが見つかるかもしれない、と。
そして、その案は審査会で受け入れられ、サヤは暫定レベル9の地位と帝都への切符を手に入れた。
懸念だったサヤ不在のテラスをどうするかについては、なんということだろうか、共にレベル9認定試験に挑んだ《破軍天舞》のカイザー・ジグルドが代わりに対応してくれる事になった。
曰く、『ははは、遠慮しないで行ってきたまえ。何、私もちょうど一度テラスのステージに立ってみたかったのだよ。もう母国でやることのない私はゼブルディアになどいつでも行けるからね。故郷については、大船に乗った気分でいたまえ……だが、テラスのハンター達がこの英雄、カイザー・ジグルドを忘れられなくなってしまっても、恨まないでほしいものだね』との事だが……あの男も大概、人がいい。
ともかく、様々な人の協力でサヤは遠くゼブルディアまでやってきたのだ。何かヒントの一つでも見つけなければ帰れない。
戦いが絶え間ないテラス支部とは少し空気の違う探索者協会支部の建物から出る。
そして、サヤは目を見開いた。
「凄い……これが、あの有名な帝都」
探索者協会の建物から一歩外に出たサヤの眼の前に広がっていたのは、見渡す限りの人だった。
大通りを行き来する武装したハンター達に、大きな馬車で行き来する商人達。
観光にでもきたのか、旅装をした人に、学生。降り注ぐ陽光の下の賑わいはテラスしか知らないサヤにとって光り輝いて見えた。
何より、人々の表情に陰がない。長年の戦いの結果多少楽になったとはいえ、まだまだテラスが他の都市とは違う事を否応なしに実感させられる。
様々な装いの人々が行き交う中、なんだか紺の制服を着た自分が場違いに感じた。だが、この制服はサヤが実際の両親から引き継いだ数少ない物なのだ。捨てるわけにもいかない。
サヤは首を振りしょうもない感覚を振り払うと、気を取り直して帝都を見て回る事にした。
§
初めての大都市散策は楽しかった。遊びに来たわけではないが、その都市には世界有数と呼ばれるだけの凄みがあった。
故郷のテラスとは何もかもが違った。文化も、人の数も、文明レベルも――唯一テラスが勝っている点があるとすれば、実戦経験だろうか。
テラスでは都市を守るために徴兵が行われているため、老若男女問わず戦えない者など一人もいない。だが、戦わずに暮らしていけるのならばそうであるに越した事はないのだろう。
トレジャーハンターの聖地と呼ばれるだけあって、ハンターの数もテラスと比べて遥かに多かった。
この地に存在する宝物殿の数はテラス周辺より遥かに多い。ハンター達はそれを求めて集まってきているのだろう。つくづく、この世界は不公平だ。この帝都にいるハンターの一部でもテラスに来ていれば戦いも楽になったのに。
幾つか店を覗いてみるが、取引されているものもテラスよりも多種多様だ。何より、娯楽品が並んでいる。代わりに魔物の死骸が露店で売っていないけど。
事前にガーク支部長にはヒントが手に入りそうな場所を教えてもらっていた。
世界各地から集めた希少な書物を所蔵しているゼブルディア大図書館に、未知の神秘について研究する帝国の機関、占星神秘術院。そして、帝国を拠点に活動するハンター。
ついでに、共にレベル9認定試験に挑んだクライ・アンドリヒにも会いに行くべきだろう。今はコードでのやり過ぎが原因で謹慎中らしいが、ゼブルディアでは唯一の知り合いだし、その青年が作ったクランにも興味がある。
そんな事を考えながら賑わう通りを歩いていると、後ろから早足で歩いていた人がサヤにぶつかり、そのまま追い越していった。
サヤは小柄だし細身の方だが、ハンターだ。近接戦闘職ではないが相応にマナ・マテリアルを吸収しているので、一般人に少しぶつかられたくらいでは揺らいだりしない。
だが、初めての感覚に一瞬思考が停止する。後ろからぶつかられるなど初めての経験だ。テラスでは顔が売れているし、誰もがサヤを畏れていて、ぶつかるどころかサヤの周りには空白ができていたのだ。
すぐに我を取り戻すが、その時にはサヤにぶつかったチンピラ風の男は見えなくなっている。
――だが、既に彼らが追っていた。
人混みの中で悲鳴があがった。鈍い打撲音。周りの人には見えないだろうが、サヤには見える。黒く塗りつぶされた巨人が、人混みの中に立っているのを。
『さらさら』の力の源泉。正体不明の闇よりの来訪者。生き物なのかすら定かではない、この世界の外の理に属する者達。
その長い手が、サヤにぶつかった男を地面に押さえつけていた。
巨人が、サヤに革製の財布を放ってくる。サヤの財布だ。
あの男はスリだった。もちろん財布が盗まれた事には気づいていたのでそれが取り戻さなくても自分で取り戻していただろうが、あの男にとって不運としか言いようがないだろう。地面にめり込む程に押し付けられた男の目は何が起こっているのかわからない、恐怖に歪んでいた。
思わず眉を顰める。
壁を越え成長した『さらさら』はもう夜を呼ばない。朝にも発動できるとサヤが理解してしまったからだろうか。
あるいは、気づいたのはサヤではなく、彼らなのかもしれない。日光が彼らを害するものではない、と――。
かつて、サヤは任意でそれらを認識する事ができた。だが、今はずっと見えている。能力発動時にのみ赤く変色していた瞳孔も、今はずっと赤いままだ。
その事実は、探索者協会の憂慮が必ずしも見当違いではないという事を示していた。
昔のサヤは能力発動前の不意打ちに弱かったが、現在のサヤに死角はない。
じっと見つめると、スリを押さえつけていた巨人が手を離し、緩慢な動作で路地に消える。
まだ、一応は言う事を聞く。勝手に動く事はあってもサヤの意志に反して相手を殺したりはしない。
ほっと息を吐く。まだ地面でぴくぴく痙攣しているスリの男は、きっと誰かが救助するだろう。
安心するサヤを見て、人混みに交じったさらさらの来訪者達が子どものように笑う。だが、その声はサヤにしか聞こえない。
気をつけなくては……今回、彼らがスリを殺さなかったのは、スリがサヤに与えたのが危害と呼べるほどのものではなかったからだ。だが、これがスリではなく強盗だったら、間違いなく彼らは強盗を処刑していただろう。しかも、大喜びで。
彼らは相手を攻撃する事を楽しんでいる。それも、さらさらの危険性の一つだ。
能力の説明をするのは難しいだろう。騒ぎに巻き込まれるのはごめんだ。
人が集まりつつあるその場からそっと離れようとしたその時、遠くから何か大きなものが近づいてきている事に気づいた。
「!????? なにあれ……」
巨大な全身鎧だ。一瞬、来訪者かと思ったが、違う。
思わず目を見開き、凍りついてしまう。明らかに大きすぎる。サヤがこれまで見た最も大柄のハンターと比べても倍はある。まさしく、見上げるような体躯だ。
だが、何より驚くべき点は、想像以上に騒ぎになっていない事である。もちろんサヤと同じように呆然としている者もいるが、あんなに巨大な人間(?)が現れたのに皆割と落ち着いているのは、あの大鎧がこの帝都では珍しくない存在だからだろうか?
なんという事だろうか、先ほどスリを制圧した黒い巨人よりも二回りは大きい。
大鎧は人の波をかき分けるようにしてスリの近くに座ると、手のひらを向ける。そして、神々しい光が迸った。
「??? 回復魔法?? ヒーラー??? ヒーラーなの????」
しかも、サヤがこれまで見たヒーラーの中でも突出して強い。
まるで雄大な大自然を想起させるような穏やかで膨大なマナ・マテリアル。重傷だったスリの傷が一瞬で消える。そのあまりの回復力の高さに、サヤはなんとも言えない気分になった。
あんな大きなヒーラーがいるなんて、大都会って凄い……。
大鎧に、近くにいたハンターの男が声をあげる。
「ア、アンセムさん、そいつ、スリですよ。何度も捕まってるのに全く反省していない。どうせ盗みでもしようとして反撃されたんだ」
「…………………………うーむ」
どうやら中身は男だったらしい。重々しく頷き、大男が回復させたばかりのスリの片足を掴み、立ち上がる。その体格と比べれば平均程度の身長の人間なんて玩具みたいなものだ。
なすすべもなく逆さ吊りにされ、スリが恐怖の悲鳴をあげる。まさかここでは悪人はああやって宙吊りにされるのだろうか……大都会って怖い……。
あちこちに潜んでいるさらさらの来訪者達も硬直し、大男を見ている。とにかく、その大男はあまりにも異質過ぎた。
これまで来訪者達はどんな魔物の軍勢が相手でも怯まなかったのに――大柄のハンターが多いテラスのハンターでもあんなに大きい男はいないのに、一体何を食べればあんなに大きくなるんだろう。
都会の洗礼(?)に呆然としていると、その時、不意に肩を掴まれた。
「ッ!?」
「んー…………?」
びくりと身を震わせ、振り返る。そこにいたのは――一人の女ハンターだった。後ろで結い上げたピンクブロンドに同じ色の瞳。大きく目を見開き、覗き込むようにしてサヤを凝視している。
恐らく、職は盗賊だろう、かなりの腕前だ。小柄だが、燃え盛る炎のようなエネルギーをその身に秘めているのを感じる。
即座に周りを固めたそれらが、首を伸ばし覗き込むようにしてその顔を確認している。
サヤは小さく咳払いをして、何故か穴が空くほどサヤを見つめてくるそのハンターに尋ねた。
「………………何か?」
こんなに見つめられる理由はないはずだ。倒れたスリについても、サヤの仕業だと気づける者はいないだろう。財布が飛んでるところは見られたかもしれないけど……。
無言の時間が数秒続く。そして、女ハンターは目を瞬かせると、首を傾げて言った。
「もしかして………………クライちゃんが言ってた、サヤちゃん?」
「!?」
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