444 神隠し

　このトレジャーハンター黄金時代、隆盛を誇るゼブルディア帝国には世界各地からあらゆるものが集まる。

　優秀な人材に貴重な宝具、そして、強い光に引き寄せられるかのようにやってくる犯罪者。

　帝国は多くの大都市を有しているが、中でも皇城が存在する帝都ゼブルディアは別格と言えた。

　かつてこの地に絶対不可侵の領域として君臨していた神殿型宝物殿――【星神殿】。

　時の皇帝が、トレジャーハンター達とその攻略に挑み、多大なる被害を出しながらも神の撃退に成功したのは有名な話だ。

　そして、皇帝は皇城をその【星神殿】の存在していた地に建築し、そこを新たな帝都とした。それが、ゼブルディアの栄光の始まりだ。

　帝都ゼブルディアの中心に存在する皇城。

　その内部に存在している第零騎士団のための詰め所で、第零騎士団団長、フランツ・アーグマンは、届いた報告書を確認し、眉を顰めた。

「馬鹿な…………こともあろうに、この帝都で神隠し、だと？」

「内容については確認を急がせていますが……徐々に噂が広がっているようです。第三騎士団が調査をしていますが、人が足りないらしく――」

　帝国では職務に応じて幾つかの騎士団が編成されている。帝都で発生した事件は基本的に、治安維持を職務とする第三騎士団の領分だ。第零騎士団まで話が持ち込まれるのは先日の予言のような、特別厄介な事件だけである。

　だが、今は状況が悪かった。

　精霊人の皇女――セレン・ユグドラ・フレステルの来訪を知りその姿を一目見ようと外部から人が流入した事で、帝都で発生する事件や事故の件数は跳ね上がっている。加えて幾つも厄介な案件が重なり、どこも人が足りていない状態だ。

　第零騎士団とて、暇なわけではない。つい先日までは、世間知らずで自由なセレンの警護で手一杯だったし、先日の予言にまつわる騒動だってまだ後始末が残っている。

　だが、送られてきた資料を確認するに、協力しないわけにもいかないようだった。

　帝都ゼブルディアは帝国の中心だ。街の外壁近くには退廃都区と呼ばれる治安の悪い一角も存在するが、そのあたりは騎士団も織り込み済みだし、人が消えるなどそうそう起こる事ではない。

　しかも、今回は被害者の人数が違った。

「何故、こんな人数になるまで気が付かなかった？　しかも、ゼブルディア魔術学院の生徒は貴族も多いだろう」

　ばんばんと報告書を叩き、部下を見る。

　ハンターが行方不明になるのならばまだわかる。ハンターは危険な仕事だし、荒事に関わる事もある。恨みを買う機会だって多い。どこで野垂れ死んだとしても不思議ではない。

　だが、今回送られてきた報告書に載っていた行方不明者は、ハンターだけではなかった。

　行方不明者の中でも特に目に付くのは、帝国における魔術系学術機関の最高峰、ゼブルディア魔術学院の生徒だろう。リストに載っているだけでも、数十人――その中には、ごく少数だが生徒だけでなく教師側も混じっている。これは明らかに異常事態だ。

　ゼブルディア魔術学院は魔導師の中でも特に才ある者――エリート中のエリートのみが通う学院だ。生徒の中には貴族の子弟も多いし、国外から留学してきた者だって少なくない。一人でも行方不明になればすぐに大騒ぎになってもおかしくはないのに、ここまで人数が膨れ上がるまでフランツまで情報があがってこないとは――。

「それが、つい先日まで、誰一人、いなくなった事を察知できなかった、と。後から確認して、そこでようやくこれだけの数が消えていた事が判明したようで――ゼブルディア魔術学院のセージ教授は、何らかの超常の力が働いているという見解です」

　セージ・クラスタは、皇帝陛下が直々に招き入れた半精霊人の魔導師だ。魔導師としては一流なのはもちろんだが、これまで数々の高レベル宝物殿を攻略した実績の持ち主でもある。その知識と経験がゼブルディアでもトップクラスである事に疑いの余地はない。

　そういえば、セージ・クラスタはあの《千変万化》の妹――《万象自在》の師だったか……。

「超常の力、か…………先日の呪物に続き、厄介な話だ。確かに、セージ教授にそこまで言わしめるとは、ただの賊の仕業などではないな………………これも、地脈の影響か」

　かつて神殿型宝物殿があった場所に存在する帝都ゼブルディアの付近には太い地脈が何本も奔っている。それは、ゼブルディアが付近に多くの宝物殿を擁し、ハンターの聖地と呼ばれている理由でもあるが、同時に無視できないアクシデントが起こる可能性を示していた。

　地脈を流れるマナ・マテリアルはまだまだ未知な力だ。特に昨今の研究では、地脈を循環する力の量が増加傾向にある事がわかっている。帝国側も対策はしているが、限度というものがある。

「セージ教授は…………一部、高レベル宝物殿の持つルール改変効果によるものではないかと」

「ふん…………つまり、この帝都の内部に宝物殿が発生している、と？」

　それは、考えうる最悪の状況である。そして同時に、今の場所に帝都を移した当初から想定されていた事態でもあった。

　何しろ、ここは神殿型宝物殿が顕現していた場所なのだ。ソリス・ロダンの協力で神を追放し宝物殿を消滅させる事には成功したが、そもそも大地を奔る地脈の構造が変化したわけではないので、また宝物殿が発生するというのは不思議な事ではない。

　というよりも、正確に言うのならば、だからこそ、時の皇帝は帝都をこの場所に移したのである。

　地脈を流れるマナ・マテリアルを多数の帝都臣民に分散吸収させる事で新たな神殿型宝物殿の顕現を阻止すると同時に、帝都臣民の能力を強化する。

　これまで、その目論見はうまくいっていた。遷都からもう千年経つが、これまで帝都内に宝物殿が発生した事はない。

「何故このタイミング……などと言っていても始まらない、か。だが、セレン皇女からの情報によると、世界樹は今、正常に動いているはずだ。増加傾向にあったマナ・マテリアルも落ち着くという話だったはずだが――」

　ユグドラ陣営との接触成功は快挙だった。ユグドラの皇女が転移でやってくるなど好き放題したり色々問題もあったが、間違いなくこの出来事は帝国の歴史に刻まれるだろう。

　そして、それによって得られた情報もある。中でも、マナ・マテリアルの調整機能を持つとされている世界樹の現状について知ることができたのは大きいだろう。

　

「しかし宝物殿が発生したのならばこの被害者数は少しばかり少なすぎる気もします」

「本当に宝物殿があるのならば、まずは入口を見つけねばならんな。ゼブルディア魔術学院の生徒に行方不明者が多いのならば、学院内に入口がある可能性が高いが、それは既にセージ教授が調べているだろう」

　となると、国が調査すべきは学院の敷地外という事になる。

　だが、帝都は広い。人も溢れかえっている。ただでさえ手が足りていないのに、この状況で帝都全域を調べるのは並大抵の事ではない。

　行方不明者の情報をまとめればある程度絞れそうではあるが……。

　フランツは思わず頭を掻きむしった。

「まったく、最近では本当に前例にない事ばかり起きるな」

「………………《千変万化》に助力を求めましょうか？」

　《千変万化》に助力を求める……？

　部下の出したそのあまりにも情けない言葉に、フランツは思わず睨みつけた。

「だめだ。断じて、却下だ！　陛下の護衛やユグドラの件についてはあの男を使うのもやむを得なかったが、これはゼブルディアの問題だッ！　大体、こうも頻繁にあの男に声をかけていたら帝国の威光も陰る」

　加えて、《千変万化》は徒らにとんでもない事をしでかす男でもある。今だって探索者協会本部の機能が半分麻痺しているのはあの男がやりすぎたせいだし、これ以上あの男に好き放題させるわけにはいかない。

　《千変万化》にはフランツも散々振り回されてきた。冷静さを失うのは愚策だとわかっているが、声が低くなるのは止められない。

「そもそも、あの男は現在謹慎中だ。この件はなんとしてでも帝国主導で解決する。わかったな？」

「わかりました」

　ゼブルディア帝国は大国である。確かに《千変万化》の手腕が少しばかり常軌を逸しているのは認めるが、様々な部門や有識者の力を結集すれば必ずや今回の件の原因究明や解決も成し遂げられるだろう。いや、そうでなくてはならない。

　大きく頷くフランツに、部下が真剣な表情で言う。

「それで……一つ、追加でご報告せねばならない事があります。先ほど判明したばかりなのですが――第零騎士団の中にも被害者がいるようです」

「第零騎士団に被害者、だと？　馬鹿な……誰だ？」

　第零騎士団は近衛の役割を持ち、少数精鋭で形成されている。その人数は他の騎士団と比べれば遥かに少なく、当然団長であるフランツは全員の顔と名前を記憶していた。誰かいなくなればすぐにわかるはずだ。

　腕を組み眉を顰めるフランツに、部下は一度大きく呼吸をすると、その名を告げた。

「ヒュー・レグランドです。あの予言騒動の後、しばらく療養して本業に戻ったはずなのですが――」

　ヒュー・レグランド。騎士学校を首席で卒業し、近衛騎士団に入った男。

　野心に溢れ少々うぬぼれが強いところはあるが優秀で――そして、予言周りでの事件の際に自ら進んで《千変万化》の元に赴き、利用され倒れた男でもある。

　その名前は青天の霹靂だった。今そう言われるまで、全く頭に浮かんでこなかった。まるで記憶からその情報が削られていたかのように。

　これまで感じた事のない初めての感覚だ。これが、今まで誰も問題を認識できなかった理由なのか。

　そして、神隠しなどと言われている理由もわかった。身を以て体験するとわかる。

　誰にも気づかれずに人を消すなど、まさしく神の御業だろう。

「他の団員に聞き取りをしたところ、どうやら姿を見なくなる直前、ヒューは何か噂の調査をしていたようです。どんな噂なのか知る者はいませんでしたが――」

§　§　§

　謹慎生活は最高だ。緊急の依頼が飛び込んでくることもガークさんからお叱りの連絡がくる事もなく、ただ平和な時間がクランマスター室を流れていた。

　部屋から出てはならないという縛りがストレスになる人もいるのかもしれないが、僕は違う。

　金銭的な保証もあるわけだし、ある意味この生活は僕の求める終着点なのかもしれなかった。

　唯一申し訳ないのは、完全に部屋から出てはいけないので食事の時にわざわざ誰かにご飯を持ってきてもらわないといけない点だろうか。

　どうやらエヴァの話だと、国や探索者協会の人達が、僕がちゃんと部屋にいるか定期的に見張りにきているらしい。ご苦労な事だ。

　…………もしかしてこれって、謹慎ではなく幽閉なのでは？

　今の僕に許された行動範囲はクランマスター室と、そこから繋がる私室（と、みみっくんの中）だけだ。必要十分と言えば必要十分だし快適と言えば快適なのだが、味気ないと言えば味気ない。

　コードの部屋には色々画期的な機能が存在していたが、もしかしたらずっと部屋に閉じ込められていたおひいさまもこんな気分だったのだろうか？

　まあ、僕には特に用事もないのに割と頻繁にやってくる幼馴染達がいるけどね。

　エヴァが毎朝新聞や雑誌を持ってきてくれるので外の情報を知りたければそれを読めばいいのだが、特にそんな気も起きない。宝具も磨いたばかりだ。

　だらだら昼寝でもしようかと思ったその時、エヴァが持ってきてくれた雑誌の一冊が目に入る。

　『月刊迷い宿』。それは、都市伝説やくだらない噂話などを集めたゴシップ系の雑誌だ。

　その手の雑誌の中では大手であり、都市伝説的な宝物殿の中でも【迷い宿】の知名度が高い理由の一つでもあった（ちなみに似たような雑誌として月刊ユグドラもあったのだがそちらは精霊人達の猛抗議により廃刊になったらしい）。

　なんとなく手に取り、ぱらぱらと雑誌を捲る。大きくページが割かれているのは、最近のホットな話題であるユグドラについてだ。

　セレンが帝都にやってくるまで、ユグドラは伝説の都市だった。『月刊迷い宿』で取り上げられるテーマの常連だったユグドラが今や普通の新聞でも話題をかっさらっているのを考えると、なんだか不思議な気分だ。

　そう考えると、もしかしたら他のなんとも言えない噂の数々も突き詰めれば真実なのかもしれない。何しろ、この世の中で何が起こるかわからないのは僕が一番思い知らされてるからなあ。

　久々に確認する『月刊迷い宿』の中身は相変わらず荒唐無稽なものばかりだった。

　むしろ前回さらっと流し見した時よりも内容が過激になっている気がするのは、予言周りの事件だとかユグドラの皇女がいきなりやってきただとか、リアルがフィクションを越えてしまったからだろうか。

　どうやら今月の『月刊迷い宿』では神隠し特集をやっているようだ。

　突然やってきた見ず知らずの客についていくと消えるだとか、帝都のそこかしこには謎の穴があってそこに入ると消えるだとか、色々書いてあるが…………見ず知らずの客についていっていたり穴に入っている時点で自業自得だろ！

　鏡の中を覗き込んだら吸い込まれるとか、夢の中で魔物に追いかけ回されて捕まると現実世界からも消し去られるとか、むしろ誰がその光景を目撃していたのか気になるところだ。下水道や退廃都区に向かった人間が帰ってこないなどは、神隠しの前に他の事件である。ゼブルディア魔術学院の生徒が行方不明とか書かれているが実在する機関の名前を出していいのだろうか？

　神隠しに遭った際の対処法なども書かれているが、こんなところに載っている対処法を試すような事態にならない事を祈るばかりだ。

　くだらない雑誌だが、暇つぶしがてら読むにはちょうどいいかな。

　そもそも、少なくとも僕がこれまで遭遇してきた神に連なる者達はそんなくだらない神隠しをしそうにないが…………いや、《止水》のテルムとケチャチャッカが【迷い宿】に捕まっているのも一応神隠しと呼べるか？

　特集は最後に警戒を呼びかける文言で終わっていた。怪しい誘いに乗らないとか、危険なところに近づかないとか、一般常識の範疇だと思う。

　他にも、雑誌には目に見えない何かに襲われる話だとか、人を無限に飲み込む宝箱の話とか、空を飛ぶ超古代文明の都市の話なども載っていた。なんか凄い身に覚えがあるんだが…………ゴシップ？

　おっと、そう言えば神と言えば、やろうと思っていた事があったんだ。

　おひいさまから貰った宝具――スマホを手に取り、机の中にしまってあったメモを確認する。

　スマホというのは様々な機能を持つ宝具だが、その中にスマホを持っている遠方の相手に声や映像を届けるという共音石に似た機能がある。

　共音石と異なるのは、通話をするのにその相手のスマホを特定するための番号を入力する必要があるという点だ。これは番号がなければ誰にも通話できないという事であり、番号さえあればどのスマホを使っても通話できるという事でもある。

　そして僕はしっかり妹狐と兄狐のスマホの番号をメモしていた。僕の知り合いでスマホを持っているのはその二人しかいないし、番号をなくしてしまったらスマホの機能が一つ役立たずになってしまうので当然だ。

　スマホは物によって機能に差がある宝具だ。妹狐から貰った前のスマホもまだ使いこなせてはいなかったが、今回おひいさまが出してくれたものは恐らく最新式――妹狐がくれたスマホよりも多くの機能を持っているはず。妹狐達に聞けば何か新しい機能がわかるかもしれない。

　鼻歌を歌いながらメモしてあった番号を打つ。

　スマホを耳に当て待つこと数秒、通話が始まると同時に、僕は早速テンション高く声をあげた。

「やあやあ、久しぶり、僕だよ、僕僕。元気にやってた？」

『ッ！？　…………』

　息を呑む音。無言で通話が切断される。

　耳からスマホを放し、僕は貰ったばかりのぴかぴかのスマホを見下ろし、目を見開いた。

　突然の切断……これはもしや――スマホマニアの間で電波が悪いと呼ばれる現象ではないだろうか？

　このスマホという宝具は便利極まりないが、幾つかの不可思議な欠点が存在している、その一つが、通話にノイズが走ったり突然切断されてしまう現象だ。

　元となる道具に同じ欠点が存在していたが故に欠点ごと再現されてしまったのだと考えられているが、それはスマホという宝具が余り浸透していない理由の一つだった。

　スマホマニアの間では面白いだとかロマンだとか喜ばれる切断現象も、ハンターにとってはリスクでしかないのである。緊急事態に通話が切断される可能性がある宝具など怖くて使えないし、それならば共音石を使った方が確実だ。まぁ共音石もかなり貴重な宝具ではあるのだが、当然の判断だと思う。

　ただの宝具コレクターの僕には関係ない事だけど。

　もう一度スマホに番号を入れて妹狐に発信する。先程よりも少しだけ長い呼び出し音。繋がると同時に僕はハードボイルドに言った。

「ごめんごめん、ちょっと電波が悪かったせいで切れちゃったみたいで――」

『！？　私が、切ったの！』

　妹狐の叫び声と同時に再び通話が切れる。

　………………僕なんかやったっけ？

　まぁ、もしかしたら忙しいのかもしれない。いつでも通話できるってのは便利だが、受ける側にも都合があるだろう。

　僕は気を取り直して、続いて兄狐の番号を入力した。

「やあやあ、久しぶり。元気？」

『…………はぁ。危機感さん、君は我々をなんだと思っているんだ？　妹が震えているよ』

「………………メル友？」

『それはもう死語だよ。それで、新しいスマホを手に入れたみたいだが、我々に何か用？　我々は、一応危機感さんと敵対していると思っているんだけど……』

　スマホのプロを気取って出した言葉に、兄狐が呆れたように言う。メル友ってプロスマホ使いの間では死語だったのか……恥ずかしい。これからは使わないようにしよう。

　僕は小さく咳払いをして動揺を誤魔化すと、兄狐に言った。

「いや…………なんというか、元気かなって……別に敵だなんて思ってないし」

『ッ…………悪いけど、もうツッコまないよ。母上はケラーとの戦いの傷も癒えてないし、もう危機感さんの相手をするのはうんざりなんだよ。言っておくが、もう我々を言葉で動かそうとしても無駄だ、我々は危機感さんの相手はしない事にした。人は短命だ、どうせ危機感さんも三百年もすれば寿命で死ぬだろうさ』

　別に特に何かやった記憶はないのだが、随分な言われようだ。ついでに人の寿命は三百年もない。

　危険な【迷い宿】の幻影に相手をするのはうんざりと言われた事を僕は喜ぶべきだろうか？　いや、でもなぁ。彼らは僕の唯一のメル友（死語）なのに……。

「何度もスマホで通じ合った仲なのにそんな事言われると寂しいな」

『本当に、危機感さんは自分の行動を省みた方がいいと思うよ、絶対。用事が終わったならもう切るよ？　妹がずっと震えてるから』

　やばい、久々にスマホで通話できたってのに切られる。

　僕はとっさに開きっぱなしだった雑誌に視線を落として言った。

「そ、そうだ！　君達、神隠しについて何か知らない？　こっちで最近、流行ってる？　みたいなんだけど」

『知らないよ。ゼブルディアはうちの縄張りじゃないし、かつてそこに在った神は追い出されただろう。今もまだ戻っていないはずだよ。さすがに戻っていたらわかる』

　神様に縄張りなんてあるのか……そしてやはり、噂はただの噂のようだ。知ってたけど。

　帝都は今日も平和だ。人が多すぎるので事件がなにも起きないって事はないだろうが、神隠しなんて流行っていたらもっと周りが大騒ぎしているだろう。　

　兄狐がまるで話を早く切り上げたがっているかのように早口で言う。

『かつてそこにあった【星神殿】の主は侵略者だった。テクノロジーは持っていたが人を知らなすぎた。だからロダンと帝国に追い出されたんだけど、もしも帰ってきたら人の弱点を知る事から始めるだろうね。根本が母上やケラーとは違うわけだ』

　まるで【星神殿】の神を見知っているかのように兄狐が言う。

　ゼブルディアが今の場所に移ったのって千年前のはずなんだが、幻影って年を取らないのだろうか？

　そして神を追い出すなんてロダンは凄い。アークと友達になれたのは僕の数少ない幸運の一つだろう。頼りになりすぎて引っ張りだこなのが玉に瑕だが、次になにかあったらまたアークを頼る事にしよう。

「でも、神は戻らないだろ？　だってアークの先祖が倒したんだし、宝物殿もなくなったんだから」

　一般的な宝物殿のボスというのは倒してもマナ・マテリアルが蓄積すれば再発生するが、神殿型宝物殿だけは例外だ。

　神殿型宝物殿のボスとは唯一無二なのだ。その有する莫大な力が宝物殿自体の根幹を担っているため、倒せば宝物殿ごと消滅するし、当然ボスが再発生したりしない。

　地脈が変わるわけではないのでマナ・マテリアルが蓄積すれば同じ場所に宝物殿は現れるだろうが、現れる宝物殿は消滅したものとは別のものだ。故に、神殿型宝物殿の攻略は英雄的な功績とされているのである。

　だが、僕の言葉に、兄狐はあっさりと言った。

『違うね。何故なら、【星神殿】の主は幻影ではなかったからさ。この星に流れる力に魅せられ、星の外からやってきて、下等生物だと思っていた人に予想外の一撃を受けて驚いて逃げていった。もう彼らは人を舐めていない。せいぜい警戒する事だよ』

　宝物殿のボスは基本的に幻影だ。だが、稀な例として外からやってきた強力な幻獣が居座り宝物殿を支配する例がある。

　そういうボスは当たり前だが通常その宝物殿に発生する幻影よりも遥かに強力な存在であり、幻影ではないが故に宝物殿の外でも自由に行動できる。

　神の幻影が顕現する神殿型宝物殿を支配できる力を持つ侵略者がいたとすればそれと神との間に何の違いがあるだろうか？

　まったく、この世界は危険でいっぱいだな。レアな情報と言えばレアな情報だろうし、今度フランツさんとガークさんあたりに言っておこう。

　僕は机に脚を投げ出すと、ハードボイルドに言った。

「外からやってきた神ねえ。まぁ、今いないならいいんだよ」

『危機感さんは本当に危機感がない。君に怖いものはないのかい？』

　怖いものなんていくらでもあるよ。命の危険にも数え切れないくらい晒されてきた。

　だがこれまでもなんとかなったし、兄狐も言ったが僕の寿命は三百年どころか、多分百年もない。セレンと話した時にも思ったのだが、超常的な存在は皆、気が長くて助かる。

　後の事はきっと後の人達がなんとかするだろう。僕のような凡人はいつかやってくる天災に怯え続けながら生活できる程強くも繊細でもないのである。

　じゃあそろそろ本題（スマホの使い方）に入ろうか。

　声を上げようとしたその時、不意に後ろから声がかけられた。

「…………何の話をしてるんですか、リーダー？」

「！？　じゃ、じゃあ、もう切るよ。またね」

　聞き覚えのある声に、慌てて通信を切る。

　部屋の扉付近。眉を顰めこちらを見ていたのは、妹のルシアだった。

　いつの間に部屋に入ったのだろうか、全く気づかなかった。さすが高レベルハンター、魔導師でも常人では全く理解できない隠密性能を持っている。

　僕の注意力がなさすぎるだけかもしれないけど。

　別に聞かれて困るような話をしていたつもりはないが、相手が【迷い宿】の幻影だと知られれば何を言われるかわからない。

　いや、もしかしたらもうバレてるかもしれないけど……。

　一度咳払いをして、近づいてくるルシアに確認する。

「どこから聞いてた？」

「君達、神隠しについて知らない？　ってところからです」

　圧力すら感じさせるルシアの眼差し。そこには数多戦いを乗り越えた者のみが持つ事を許されるオーラがあった。

　眼差しだけで妹に負けそうです。

　なんとかハードボイルドを装い、言う。

「…………なるほど、ならセーフだな」

　いや、別に最初から聞かれていてもセーフだけど。

「…………リーダー、謹慎の意味、わかります？」

「楽しく雑談していただけだよ。本当だ」

　開いたままだった『月刊迷い宿』を閉じ、姿勢を正す。

　神隠しについても本当にあると思っていたわけではない、ただの話題の一つなんだ。そしてこれからスマホトークを繰り広げるはずだったんだ。

　まぁ、兄狐と話すのはいつでもできるからいいんだけど。

「ところで、どうしたの？　宝具は昨日チャージしてもらったばかりだけど」

「…………私がチャージ以外で来ないと思ってます？」

　ルシアの目つきが冷ややかすぎる。氷の魔法が得意なのも納得の冷ややかさである。彼女がこの兄に臆面もなく懐いていたのは幼少期の数年間だけなのであった。

　色々迷惑かけてしまい申し訳ございません。

「い、いや、いつでも歓迎だけどね……でもほら、ルシア、なんか頼まれて調べてるって言ってたじゃん？」

　セージさんから仕事を頼まれているとか言っていたはずだ。

　何を調べるって言っていたかな……良く覚えていないが、レベル６ハンターに依頼するとなると相応に大きな仕事だろう。ただでさえ忙しいのに、謹慎を食らった兄の様子を見に来る時間などないはず。

「ッ…………兄さんが、余計な事をしていないか、見に来たのッ！　正式に謹慎処分を受けているのに、これ以上動いたら面倒なことになるってわかってます？」

「ルシアは心配性だなあ。大丈夫だよ。余計な事なんてしない。頼まれたって動かないから」

　僕が動くのは何かから逃げる時だけだ。