439 とあるレベル8の場合
ようやくアリシャの言葉を認めたのか、クライが駆け出す。後はジーンを倒すだけだ。
自分で言うだけあって、ジーン・コードの動きは俊敏で戦う事になれていた。
だが、アリシャだってここ三日間、遊んでいたわけではない。ノーラお姉様の騎士団と散々模擬戦を行ってきたのだ。
強化装身具をつけ、ノーラお姉様のサプリを飲んで、様々な強化兵になるための訓練をした。施術は間に合わなかったが今のアリシャは強化人間に限りなく近い。
万能ユニットを剣に変えると同時に、都市システムと思考を繋げシステムの演算能力を使い、思考を加速させる。
剣と剣が交わり、ジーンが驚愕に目を見開いた。
「ッ!? 何だと!?」
ジーンお兄様は――全く都市システムの使い方がわかっていない。
都市システムとは道具ではない。コードの王族にとって都市システムは自分の肉体のようなものなのだ。
システムと渾然一体となれば少し先の未来すら見える。
かなり鍛え上げられているようで、ジーンの能力はアリシャと比べて少しだけ高いし、戦闘にも慣れているようだが、そんなの簡単にひっくり返せる程度の差だった。
動きの自由度もモリスお兄様のユニットがあるアリシャの方が高い。
「ッ! クソッ、こんな馬鹿な事がッ!!」
投擲される古いナイフを弾道予測で回避し、鋭い蹴りをアームに変えたユニットで受ける。
所詮、この程度なのだ。
確かにジーンはかなり強いが、それはクウビや《雷帝》のような突出した強さではない。
王杖を手に入れる前にアリシャに追いつかれた時点で、ジーンは詰んでいた。
一撃交えるたびに、ジーンの表情からは余裕が抜けていった。状況の劣勢を悟ったのだろう。
「クソッ! ケンビがッ! ケンビさえ、来ていればッ!」
入口での戦いがどうなっているのかを確認する余裕はない。だが、まだ増援がないという事はきっとクラヒ達は無事ケンビ達の足止めに成功しているという事だろう。
アリシャの操るユニットのアームに殴られ、ジーンが壁に叩きつけられる。
もう決着はついた。アリシャはうずくまるジーンの前に立った。
「もう終わり。負けを認めて、ジーンお兄様」
「ッ…………まだ、だッ!」
ジーンが懐から球状の機械を取り出す。しかし、それを予測していたアリシャは即座にアームを差し込みそれを無力化した。
呆然とするジーンお兄様に微笑みかける。
「まだ何か、ある?」
「…………クソッ」
ジーンの処遇は恐らくノーラお姉様達が相談して決めるだろう。共に王塔を歩ける仲間がいなかったのがジーンの敗因だ。
何か一つでも変わっていたら、勝敗は逆だったはずだ。
アンガスお兄様の仇は取れた。戦いは終わった。後は王杖を手に入れ王位につくだけだ。
そして、アリシャの新たな楽しい生活が始まるのだ。
そんな事を考えたその時、不意にビル全体に警報が鳴り響いた。
「え!?」
「!? な、なんだ!?」
赤い警告灯が広い廊下を照らす。ジーンも強張った表情で周りを見ている。
アリシャは状況を確認するために都市システムにアクセスし、そして――凍りつく。
「クライ!? 何してるの!?」
§ § §
おひいさまの指示に従い、何もない王塔の廊下を小走りで駆ける。
僕はちょっと良くわからない状況に、割と諦めの境地だった。
僕はずっと王族の保護だけを目指してやってきたはずなのに、どうして王塔を走らされているのか。
しかも、なんかおひいさまが……世界征服するとか言っているのだが?
僕は貴族達に行動を強制させられている王族を助けにきたんだよ。助けに来ただけなんだよ。
ただでさえおかしな状況になっているのに、更におひいさままでおかしな事を言うなんて――。
ともあれ、最後の王族のジーンさんも見つけた事だし、後は保護するだけなんだが――王杖をお願い、か。
お願いされてしまったなら仕方あるまい。
それに、僕もちょっと気になっていた事があるのだ。
王塔には人っ子一人いなかった。何事もなく最上階――大きな黒い扉の前にたどり着く。
前に立つと、持っていたカードが仄かに熱を持ち、扉が開いた。
扉の中にあったのは、王が死ぬ寸前に僕を呼んだあの部屋だった。
広々としたスペースはあの時と同じだが、きらきら輝いていた天井は暗く輝きが失われている。
王座のあった場所には台座があり、その上に一振りの杖が浮かんでいた。あの時、王が見せてくれた杖だ。
物音一つしない玉座の間を歩き、宙に浮かぶ杖の前に立つ。
王杖は、不思議な光沢の金属でできた奇妙な杖だった。
杖頭の上にはどういう理屈か、丸い大きな宝石――宝玉が浮かんでいる。
そして、やはりこうして間近で見ると――僕はこの杖を見た事があった。
というか、一本持ってる。
「これ、『丸い世界』じゃん」
間違いない。相手の言葉を通訳してくれる杖型の宝具である。
希少品で滅多に見つからず、他の大抵の杖型の宝具と違い、装備者の魔術行使をサポートしてくれない、奇妙な杖。
これまでは高度魔道具文明のアイテムだとされていたが、ここにあるという事は『丸い世界』は高度物理文明の宝具だったらしい。これは新発見である。ハンターの醍醐味だね。
手を伸ばすと、宙に浮かんでいた王杖が降りてきて、僕の手に収まる。
ひんやりとした感触に、杖にしてはやけにずっしりとくる重量。間違いなく『丸い世界』だ。見た目も寸分も変わらない。
王様はこの杖がコードの起動キーだったと言った。ならば僕の杖もどこかのコードを起動できるのだろうか?
まぁまず見つからないだろうけど、ロマンがある話だと思う。
さて、この杖を…………どうしよう?
おひいさまの所に届ければいいのか、あるいは――。
僕の視線は眼の前の台座に釘付けになっていた。
台座にはまるでこの杖を突き刺せと言わんばかりの穴が空いている。というか、王に呼ばれて来た時は刺さってたし。
うーん…………おひいさまに杖をお願いって言われちゃったからなあ。
だが、悩んでいても仕方ない。こうしている間もクラヒ達は戦っているのだ。
僕は自分を納得させると、杖を持ち上げ、台座に突き刺した。
硬い手応え。不意にうるさい警報が鳴り響き、天井が赤く発光する。
え!? え!? 何だ、これは? 思わずぱっと手を離し、周囲を確認する。
台座の向こう、すぐ上に、先ほどまではなかった奇妙な文字列が浮き上がっていた。なんと書いてあるのかはさっぱり読めないが、警報と光は止まる気配がない。
落ち着け、クライ・アンドリヒ。こういう時こそ冷静にならなくては――。
何かを間違えている? 何かが足りていない?
大きく深呼吸をして周囲を観察する。
台座に刺さった杖を見る。王様に見せて貰った時はもっと深々と刺さっていたような気がする。
宝具マスターの勘が言っていた。僕は指をぱちんと鳴らして、杖を握りしめた。
これはつまり――多分もっとしっかりと刺さなきゃいけないんだな。今日の僕は、冴えてる。
思い切り体重をかけ、杖を深く突き刺す。杖頭の宝石が明滅している。
そして、ガコンとした硬い手応えと共に、警報と光が止まった。
ほら、やっぱり奥までしっかり入れないといけなかったんだ。杖を握ったままほっと息をついたところで、僕は台座の向こうに表示された文字が読めるようになっている事に気づいた。
『非王位継承者による侵略を確認。都市法に従い都市機能シャットダウン。機能完全停止まで、後4:35』
ぎょっとして思わず杖を離す。表示された文字は再び読めなくなっていた。
あー……。
地面が大きく揺れる。黒く変色していた壁が、透明なものに変わる。
都市が、沈んでいた。王塔の頂上とはつまり、この都市で高い場所だ。窓の近くに行くと、無数に生えていたビルが崩れ沈んでいくのがよく見えた。
それは、素人目に見ても明らかな、コードと言う都市の終焉だった。
や…………やってしまったッ。というか、コードって空中都市なんだが?
もしかして……落ちる?
「クライッ!? 何をやったの!?」
「馬鹿なッ…………私の、都市が――」
おひいさまとジーンが駆け込んでくる。おひいさまは端末を呼び出し必死の表情で確認すると、台座に突き刺さった杖に触れた。
しかし、崩壊は止まる気配はない。おひいさまが強張った表情で近づいてくる。
僕はとっさに言い訳した。
「何もしていないのに…………壊れたんだ」
「こ、これが……クライの、プランなの? 世界を見て回るっていうのは、嘘だったの!?」
今にも決壊しそうなおひいさまの表情。今が僕の本気の土下座を披露する時かもしれない。
僕は泣きそうなおひいさまの両肩に手を乗せ、とにかく心を込めて言った。
「おひいさま……コードがなくても世界は見て回れるよ。君はもう自由だ」
「ッ!!」
おひいさまが何かに気づいたように目を見開く。
冷静に考えてみたら、依頼は王族の保護である。別にコードを壊すななんて言われてないし、壊してしまってもいいのではないだろうか。
「このクソがああああああああああッ! なんてことをしてくれたんだ、無能無能と思っていたがここまで無能とは! 何故そこで王杖を台座に刺すのだッ! アホなのか!?」
「ッ……ジーンお兄様、うるさい」
「あべッ」
崩れ落ち慟哭していたジーンが、いつになく辛辣なおひいさまに蹴飛ばされ床に転がる。
おひいさまが急いで杖にしがみつくと、僕を見て言った。
「クライ、何が欲しいの?」
「え? な、何って――」
「欲しいものがあるんでしょ? 急いで!」
おひいさまに急かされ、とっさに答える。
「スマホ! スマートフォンが欲しい!」
僕が元々手に入れたいと思っていた宝具である。
僕の答えに、おひいさまが無数に仮想端末を表示させ、険しい顔で操作する。そして、程なくして、眼の前の床が開き、台座がせり上がってきた。
台座に乗っていたのは、僕の要望通り、ピカピカのスマホだった。この間の端末と違って、メタリックなモスグリーンが如何にも格好いい。
望外の幸運に固まる僕に、おひいさまが言う。
「これでいい?」
「……他にも欲しいものがあるんだけど」
「時間切れ」
王杖に罅が入り、粉々になる。杖頭に浮遊していた宝玉だけが残り、床に落ちる。
揺れは徐々に強くなっていた。王塔も急がなければ他のビルのように崩れるかもしれない。
おひいさまは宝玉を拾い上げると、少しだけ寂しげに微笑んで言った。
「コードはもう終わり。クライ、帰ろう」
§ § §
その日は、良かれ悪しかれ、探索者協会にとって歴史に刻まれる日となった。
機動能力を取り戻し、急速に探協本部に接近していた高機動要塞都市コードは、慌てふためく面々の前で急速に高度を失い、大地に堕ちた。
街から五キロ程しか離れていないごく近くに、である。
墜落したコードから脱出した大勢の市民達は街に駆け込み、空前絶後の大騒ぎとなった。
諸国からはこの件には高レベルハンターが密接に関わっていると見られているが、探索者協会は正式な回答を行っていない。




