435 ジーンの場合
とうとうこの日が来た。この、ジーン・コードが高機動要塞都市コードの頂点に立つ日が。
元アンガス・コードの居城。三日の準備期間。打てる手を全て打ち、ジーン・コードはその玉座で身を休めていた。
もともと、アンガスの軍勢は、ジーンが手ずから揃え、鍛え上げたものだ。
アンガスが担当したのは概ね兵器の研究開発が主であり、特に外部から傭兵を引き入れる作戦はジーンが陣頭に立って実施してきた。それ故に、王の交代も、軍の掌握も容易かった。これが、コードの市民を騎士に仕立て上げたノーラだったらこうもスムーズにはいかなかっただろう。
ジーンの軍は、アンガスが研究開発した高度物理文明の兵器で武装した傭兵達と、アンガスの研究結果の一つであり、人数差を覆すために外部からの傭兵達を模倣して作った模造兵。そして、突出戦力の三人。
不意に後ろから、三人の切り札の内の一人――ケンビが、声をかけてくる。
「ふふふ……本当に、いいの? あんな宣戦布告して」
「今まで我慢したんだ、構わんさ。それより、そっちこそいいのか? 私になんかついて」
「組織が欲しいのはコードの力だけ。私は勝てる方につくだけよ。もっとも、《千変万化》がいる限りアリシャ王女にだけはつくわけにはいかなかったから、ジーン王子が出てきてくれて助かったわ」
恐ろしい女だ。つい先日まで裏組織の重鎮のみがその名を知っている組織だった『九尾の影狐』。構成員ですらほとんど知らないボスに比べれば、ジーンなど小物だろう。
だが、取引相手としては魅力的だ。『狐』の影響力とコードの軍事力があればなんだってできる。
そして、その記念すべき初戦は、勝って当然の勝負だった。
何しろ、アンガスの軍事力は圧倒的だったのだ。特に、機密中の機密、模造兵の技術はトニーやノーラにとっても想定外だろう。アンガスからその存在を知らされれば、勝負を諦めてもおかしくはない。
障害になるのは《千変万化》だけだ。あの男だけは、何をやってくるか全く想像できない。
「ケンビ、間違いなく《雷帝》は倒せるのだろうな? 奴らは死物狂いで王杖を狙ってくる。それしか勝ち目がないからな。門番のお前が負けたら全て台無しだ」
問題はそこだけだ。いくら兵隊で分厚い壁を作っても一騎当千は防げない。一騎当千には一騎当千をぶつけなければならない。
戦闘にもある程度自信のあるジーンでも《雷帝》に追われたら逃げ切れまい。
「誰にものを言っているの? こちらには《破軍天舞》と《夜宴祭殿》までいるってのに」
心外そうに言うケンビ。そう、ケンビを仲間にしたメリットの一つ、『狐』の情報能力があった。
正体不明だった二人の名も知っていた。これは大きな成果だ。
――だが、その狐でも《夜宴祭殿》の能力はわからなかった。
わかったのは、その能力が凄まじく強く、一人で七日七晩戦い続けた逸話を持つという事。生息する魔物の凶悪さで知られる場所で、不敗を誇っているという事。
捕縛して以来ずっと都市システムを使い解析を続けてきたが、未だその能力は全くの不明だ。
使ってみるしかないだろう。新たなデータがなければ埒が明かない。
アンガスはその能力が判明するまで使用を禁じていたが、慎重すぎるのはあの男の弱点でもある。リスクを侵さねば力は手に入らない。
「念の為、もう一度確認する。クライが解放した、封印指定――空尾とやらの相手も問題ないのだな?」
「問題ないわ」
薄い笑みを浮かべ即答するケンビ。その言葉を信じるしかない。
最低でも、この女にはジーンが王杖を手に入れるまでは足止めして貰わなくては。
「《夜宴祭殿》の能力の使用を許可する。仮面で縛っているから、危険はないはずだ。試しておけ、今後必要になるかもしれない」
「了解、王様」
さぁ、《千変万化》。いかなる手段でケンビを、お前の仲間の残り二人を突破する?
§ § §
ようやく任務も終わりか。本当に長い任務だったわ。
三日の準備期間を経て、閉ざされていた王塔の扉が開く。
その様子を、剣尾は周辺で最も高いビルの屋上から見ていた。
これより、王のエリアへの立ち入りが許可される。ここから先、最初に王塔の頂上にある王杖を手に入れた者が次代の王になるのだ。高度な都市の割には単純なルールである。
既にジーンは全軍を展開していた。
元アンガス軍の基盤を引き継いだジーンの兵力は圧倒的だ。加えて、ジーンの支配エリアは王塔の入口に面した広範囲――最も有利な立地である。
遥か遠くから地響きが聞こえる。有利な初期位置を利用し、エリア解放と開始と同時に全軍を動かし、王塔を囲みアリシャ達の動きを妨害するつもりなのだ。
無論相手もその事は理解の上だろう。
そこかしこで銃撃の音が聞こえ始める。街並みが蠢き、悲鳴が響き渡る。王族の誰かが都市システムを使い、街を動かしジーン軍の動きを妨害しているのだろう。
市民達は皆、戦争に巻き込まれるのを恐れて息を潜めている。
戦争の空気はいつ感じても最高だ。
と、その時、その気分に水を差す通信が入った。
『ケンビ、どこにいる? 戦の時間だ』
「今行くわ、王様」
全く、心配性な王だ。剣尾はため息をつくと、屋上を蹴り、王塔に向かって跳んだ。
§
ジーンが揃えたという軍勢は本当に呆れる程の数だった。
戦力でも誇示しているのか……『狐』でも任務を達成するためならばあらゆる手を使うが、そういうレベルではない。
王塔周辺のエリアには誰もいなかった。恐らく、他の王族もエリア解放と同時に進軍はしているはず……こうして妨害なく進めている事実が、想定外が何も起きていない事を示している。
周りを固める強面達を見て、剣尾は一応確認する。
「王様、連れてきた兵隊が多いわ。向こうの軍勢を止めるのに使う予定では?」
「念の為だ、気にするな。それにノーラの騎士団を止めるには十分な数は置いてきた」
アンガス軍をそのまま引き継いだジーン軍の構成員はほぼ全員が傭兵だ。傭兵と、それを模して生み出した人造人間である模造兵。
隣を歩いていた小柄な男がまるで威嚇でもするかのように言う。
「俺達だって、あの男を、《千変万化》を、ぶっ殺してやりたいんだよ! ここには俺達、ドンタンファミリーのように、《千変万化》に恨みを持ってる奴らが大勢いる。そうだろ?」
「うおおおおおおおおおおおお!」
小男の言葉に、軍勢が吠える。
なるほど、私怨か……《千変万化》も随分と恨みを買っているものだ。そして、大勢で囲めるこの機会に飛びついた、と。
小者にも程があるが、まぁ、弾除けくらいにはなる、か。
誰もいない道路を歩いていくと、コードの中心。王塔が見えてくる。
これまで見たどの建物よりも巨大なビルだ。色は王の喪に服すように漆黒で、見上げても頂点が見えない程高い。
王塔の周りには予定通り誰もいなかった。正面に存在する入口は大きく開け放たれている。
開け放たれた扉の中には何もなかった。ただただ広いスペースだ。ジーンが中を確認し、剣尾に言う。
「入口を封鎖しろ。王塔の入口はここだけだ。鼠一匹入れるなよ」
「了解。護衛はいらない?」
「いらん。この塔に入っていいのは、次期王だけだ」
それが王の意向ならば、剣尾が言える事はなにもない。
――そこで、剣尾は抜刀した。
地面を奔りこちらに向かってきた『雷』を切り捨てる。周囲を固めていた軍勢の一部が余波を受け吹き飛ばされる。
想像よりもだいぶ早い。恐らく、足手まといになる軍勢を置いて少数で駆けてきたのだろう。そうでなくてはならない。
剣尾は唇をぺろりと舐め、硬直しているジーンに叫んだ。
「行きなさい。次に会った時は王様よ、ジーン王子」




