182 信頼
戦々恐々としながら赴いたフランツさんからの呼び出し。
それを終わらせ、重い身体を引きずりながら部屋に戻ると、いきなり絨毯が飛びかかってきた。
チャージされ、元気いっぱいにぺしぺししてくる絨毯を暖簾のようにくぐり中にはいる。
部屋ではクリュスが他の宝具のチャージをしながら待っていた。いやいやながらもチャージしてくれるのは、ルシアから頼まれているかららしい。理由は何であれ、とてもありがたい。
呼び出しの結果を聞いたクリュスは、目を丸くして不思議そうな声をあげた。
「……はぁ? 一体どうしてこの流れでそうなるんだ、ですか?」
「そんなの僕が聞きたいよ」
「何をしたんだ、ヨワニンゲン、です」
「……強いていうなら何もしていないをしている」
「ヨワニンゲン、お前本当いい加減にしろ、です!」
護衛を途中で抜け出し、絨毯を拾いに行った結果、僕達は明日から皇帝陛下のお側で護衛をすることになった。
自分でも言っていて思うんだが、さっぱり意味がわからない。
フランツさんから厳かに言いつけられた時には思わず「は? 何言っているの?」と言ってしまった。フランツさんは顔を真っ赤にしていた。
だが、僕の行為は信頼が失墜し即座に首になってもおかしくないものだったのだ。僕が相手の正気を疑ってしまうのも仕方がないと言えよう。
もしかしたら、信頼のおけない僕を置くことで皇帝陛下の目に入りやすくして、何か次にミスしたら首を斬るつもりとかだろうか?
だが、それは皇帝陛下の立場を利用するという事である。それは良くない……それは良くないよ。不敬だよ。やめなよ。
身構えていたのだが、途中で抜けた件は何ということか不問になった。終わったことはどうでもいいから次からしっかり護衛しろというのがフランツさん側の要求のようだ。
心が広いというか、不相応に高いレベルが有効に働いたというか……だが、不問になったからと言って僕の気が晴れるわけではない。
もう、おうちに帰りたい……。まだ二日しか過ぎていないなんて、嘘だろ。
僕はメインの護衛は騎士団がやるという前提条件の下、動いていたのだ。いくら名誉な事だったとしても。皇帝の側で護衛しなくてはならないとなったら話が違う。
だが、とても断る事はできなかった。詰んでいた。
呪われている皇帝陛下と運の悪い僕を組み合わせたらどうなってしまうのでしょうか。
「ほら、宝具のチャージ、終わったぞ、です。他にはないな? です」
「あ、これもお願いできる?」
チャージの切れた結界指を三つ取り出す。クリュスはそれを見てあからさまに顔を顰めた。
「げ……ま、またそのやたら魔力を食う宝具……ヨワニンゲン、その宝具いつ使ってるんだ、です!」
「あはははは……」
僕には空笑いする事しかできない。
フランツさんからの呼び出しを終えて外に出た後、衝動的に壁に頭を打ち付けてしまったのだ。三回打ち付けたから三つ消費したのだ! です……。
「さぁ、ここからが本番だ……万全な態勢でいかないと……何が起こるかわからないから。クリュスにも働いて貰うよ」
「ふ、ふん……そんな事言われるまでもない、です! だが、断じてヨワニンゲンのために働いているわけではない事を、覚えておけ、ですッ! これは、ラピスから命令があるから、仕方なく働いてやるんだ、ですッ!」
「うんうん、そうだね……」
よく考えてみると、テルムも《深淵火滅》の命令で働いているし、キルナイトはシトリーが預けてきた者だ。
純粋に自分から僕の味方をしてくれるのはケチャチャッカだけか……変な名前だから入れようとか思ってごめん。
呪術師と聞いて若干嫌な予感がしていたが、どうやら彼の戦闘能力は普通に高いらしい。
チルドラが現れてもいつも通り怪しげな笑い声をあげていたのだから、逆にかなり頼もしい。頼りにさせて頂きます。
そうだ、テルム達にも明日から皇帝陛下の近くでの護衛を押し付けられたと連絡しておかないと……。
僕と呪われし皇帝陛下の相乗効果で、きっと明日からひどい目に遭うだろう。だが、僕にはどうしようもない。
シトリー達が先行しているし、どうせなるようになるさ。最近は狐、狐、うるさいが、迷い宝物殿に遭遇した時だってなんとかなったのだ。
僕は完全に捨鉢な気分で、眠くもないのに大きく欠伸をした。
いまだかつて体験したことのない地獄の護衛依頼が(きっと)始まる。
§ § §
裏の仕事をする上で肝要なのは常に冷静沈着でいることだ。
そうやって、男はこれまで数々の危険な任務をこなしてきた。だが、今回の件は初めてのパターンだった。
もはや何がどうなっているのか全く理解できなかった。
男の手のものではない大量の魔物の群れに襲われた点。恐らく男の呪いの結果であろう竜の死骸が幾つも見つかった点。本来ならばそのどれもが任務中断を決意させるレベルの想定外である。
だがそれでも、状況は男にとって極めて好都合な方向に転んでいた。
男の想定していたうまく行ったパターン以上に好都合な方向に、である。
こうも意味不明だと、さすがの男でも冷静ではいられない。
これまでは皇帝陛下――ラドリック・アウルム・ゼブルディアの近くは近衛が常に固めていた。その重要な任務が他人に任される事はなかった。
だが、何ということだろうか……明日からは近衛にまじり、すぐ近くで護衛することになったと連絡がきたのだ。
最初に連絡が来た時は耳を疑った。
《千変万化》の行動はあまりにも不可思議だった。護衛を放り出してどこかに行くなど、そしてまともな言い訳すらしないなど、おおよそハンターのするべきことではない。
外される、と思った。馬鹿げた行動を取ったのは《千変万化》だが、パーティのリーダーがミスをしたのならばメンバーにもしわ寄せがくるのは当然である。
そして、その事実に柄にもなく男は少しだけほっとしたのだ。これでこの任務から引き上げられる、と。
だが、実際の結果は予想と相反したものだった。
男の本分は極めて特異な呪いを使った消耗戦だが、直接戦闘だって負けるつもりはない。これまでその行動を取らなかったのは、万一討ち損じた時の事を考えたのと、高レベルハンターという不確定要素が存在したためだ。
だが、近くに配置されるのならば隙を突いて仕留められる可能性が出てくる。呪いなど使うまでもない。後は逃げればいいし、逃げ切れなかったとしても目的は達成できる。
《千変万化》は馬鹿なのか……? 被ったフードの中、眉を顰める。
これまでの行動を見てきたが、神算鬼謀の噂がなければ仮想敵から除いている所である。
呪いの要の宝玉――『反竜の証』をここまで連続で使うのは初めてだ。
替えの効かないアイテムだ、男自身よりも価値があると言ってもいい。これ以上使わないに越した事はない。
考えねばならないのは、ハンター達の守りを突破する方法である。
幸い、《千変万化》は男の正体に気づいていないだろう。うまくいけば守りの隙間を抜けて暗殺、気づかれる前に逃げることも不可能ではないはずだ。
唯一、問題なのは――キルナイト・バージョンアルファだった。
護衛ハンターの中で唯一純粋な近接戦闘職にして、《千変万化》が連れてきた正体不明の存在である。
男は有名なハンターの名は大体覚えているが、キルナイト・バージョンアルファの名は聞いたことがない。というか、名前の時点で偽名の可能性がかなり高いが、問題なのはキルナイトが戦士として、チルドラゴンを容易く切り払える程の凄腕だという事だ。
魔導師の攻撃魔法には一瞬のラグが存在するが、優れた近接戦闘職はその間に数撃を繰り出すことができる。
男は魔導師である。近接戦闘ならばキルナイトに一歩劣るだろう。
そして、仮に不意打ちで攻撃魔法を当てたとしても、あの片時も脱がない真紅の鎧には何某かの守りの魔法がかかっている可能性が高い。
ラドリックは結界指を持っている。殺すには二撃が必要だ。一撃ならばまだしも、キルナイトの側で二撃与えるのは限りなく不可能に近いと言わざるを得ない。
手口が不明の《千変万化》も注意が必要だが、キルナイトも注意が必要だ。
できれば二人が不在のタイミングでの暗殺が望ましいが、流石にそんな都合良くはいかないだろう。
難しい顔で考えていると、ふと扉の向こうから小さな音がした。ノックの音だ。返事をする前に扉が開く。
現れたのは背筋がぴんと伸びた老齢の魔導師だった。
オールバックにまとめた灰色の髪に、両腕につけられた、杖代わりの魔法の腕輪。
護衛に入ったハンターの中で二番目のレベルを誇る魔導師、《止水》のテルム・アポクリス。水属性という地味に見られがちな魔法を極限まで極めた帝都でも屈指の使い手だ。その実力はかの《深淵火滅》とほとんど変わらないとも言う。
だが、その表情はいつもと違い険しかった。眉を顰め一度周囲を確認すると、小声で男に言った。
「ケチャ……急な話だが――――《千変万化》は、『狐』の構成員の可能性がある」
その言葉は、男――ケチャチャッカ・ムンクにとって予想だにしていなかった言葉だった。
まるで落雷に打たれたかのような衝撃だった。思わず目を見開き、小さく疑問の声をあげる。
「けけ……?」
「驚いたか……ああ、馬鹿げた事を言っている自覚はある。だが、これまでの不自然な挙動、状況を考えると、そうとしか思えん。恐らく、《千変万化》の連れてきたキルナイトという男もその手先だ。もっと早く気づくべきだった、あからさまに怪しすぎて逆に気づかなかった。きるきると鳴きながら魔物の群れに突っ込みぶった切る奴がまともなわけがないッ!」
極めて真剣なテルム・アポクリスの目に、ケチャチャッカは何も言う事ができなかった。
これは…………計画の変更が必要だ。
活動報告に今週のストグリ通信、投稿されています。書籍発売後編です。
プロトタイプあの人! などが見られますので、よろしければご確認ください。
/槻影
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