153 終わりと始まり②
「うおおおおおおおおおおお!! 舐めるな、クライ・アンドリヒいいいいいいいいいいいいッ!!」
遠く彼方。アーノルドの咆哮に、轟音と悲鳴が重なる。アーノルド達、《霧の雷竜》が襲ってくるバレル盗賊団と戦っているのだ。
大剣は失ったようだが、どうやらレベル7にもなると武器がないなど障害にならないらしい。
アンセムもレベル7だが、彼も武器などなくても平気で戦える人間なので、レベル7というのはそういうものなのだろう。
しかし、どうしてバカンスに来ただけなのにこんな目に遭うのだろうか。高級旅館で籠城戦という意味のわからない状況に、僕はにこにこ頷く事しか出来なかった。
やることなす事、全てが裏目に出ている気がする。あと、どうでもいいけど、僕の名前を叫びながら戦わないでほしい。
「クライさん、お茶が入りました」
「あぁ、ありがとう……」
いつもと変わらないシトリーの様子にほっと息をつきつつ、お茶をずずーっと啜る。
ティノが戦々恐々とした様子でこちらを見ているが、慌ててもどうにもならないのだからしょうがない。
これまで何度も修羅場に出会ってきたが、僕にできることがあった事はないのだ。開き直りとも言う。
さっき温泉に入ったばかりじゃなかったら、入っていたところだ。
「ますたぁ……あの……参戦しなくて、よろしいのですか?」
「うーん……戦いたいなら戦ってきていいよ?」
「!?」
僕にどうしろっていうんだ。ほら、今の僕を見て? 武器持ってないよね? どう見ても戦う格好じゃないよね?
……まぁ、浴衣姿のティノも戦う格好ではないんだが。でも、浴衣姿のティノよりいつもの格好の僕の方がずっと弱い。
ティノは、一度身を震わせるとしばらく沈黙していたが、やがて消え入るような声で言った。目が潤んでいる。
「…………は、はい、ますたぁ。戦いたい……です」
「い、いや、無理しなくていいよ」
「………………戦わせて、ください」
まるで僕が言わせているみたいだ……。
ティノには随分頑張ってもらった。アーノルドさんがいるからもういいんじゃないかな。
そうだ、ここにはシトリーがいるし、シトリーに行って貰えばいいのではないだろうか? 彼女は錬金術師だが、昔はルーク達と混じって前線でポーションを投げまくっていたので、戦えないわけではない。
シトリーに視線を向けると、まるで僕の気持ちを汲み取ったかのようににこりと笑った。
テーブルの上に置いてあった『進化する鬼面』を持ち上げ、子犬のような目で僕を見上げているティノに、押し付けるように渡す。
「はい、ティーちゃん。クライさんが行ってこいって」
「…………ぇ」
「ほら、これをつけて――いいところ見せたいでしょ? ファイトッ!」
「え? え……? ますたぁ……?」
いつも思うんだけど、それ言ってるの僕じゃないよね?
シトリーの代弁も悪いんだけど、ティノが僕の言葉だと認識するのもおかしいと思う。嫌な時は断っていいんだよ……。
苦笑いで、震えているティノから仮面を受け取る。
そして、手に仮面の湿った感触が触れた瞬間――目の前にいたはずのティノが不意に消えた。
一切の前触れがなかった。先程まで、すがりつくような目で僕を見ていた後輩は影も形もない。シトリーも目を大きく見開いている。
は? 何? 何が起こったの?
凍りつく僕の前で、シトリーは小さくため息をつくと、畳の上から、何かをつまみ上げ、自分の手の平に乗せた。
状況がわかっていない僕に、珍しく困ったような表情で言う。
「クライさん、大変です…………ルシアちゃんが、かんかんです。見てください、ティーちゃんが……」
「!?」
シトリーの手の平の上で、小さくて可愛らしい黒い蛙が焦ったようにぐるぐる回転しながら辺りを見回していた。
§ § §
突然現れた灰色の意味不明な生き物に混乱していたジェフロワの頭脳は、その出現で完全にフリーズしていた。
状況が全く理解できていなかった。
宝具で生み出した壁は高さ三メートル。だが、『それ』は、その壁の上から頭が覗いている。
二メートルを越え、ハンターを含めても恵まれた肉体に入るジェフロワの倍近くは大きい、まさしく、人間離れした――巨体。
鈍色のヘルムは僅かに傾き、ジェフロワを見下ろす。
生きている。いや、生き物なのか、あるいはゴーレムか何かなのか? それすらもわからない。
地面に落とした斧を震える手で拾い上げる。巨大な戦斧も、巨人と比べればまるで棒きれだ
「おいッ! なんで、あれは……なんだ? 何故、接近に気づかなかった!?」
「す、すいません、しかし、あんな巨大な物は――」
逃げるか? 逃げられるのか? 見掛け倒しか? 何が目的だ?
様々な思考が脳裏を渦巻く。
魔物の中には極めて大きな種が存在する。中には三メートルを遥かに超える巨大な種も存在するし、狩った事だってある。
しかし、目の前に現れた存在は余りにも異質だった。
人間ではない。間違いなく、人間ではないはずだ。いや、こんなもの、人間であってはならない。
これほどの巨体ならば感じるはずのマナ・マテリアルの気配が信じられない程希薄だ。しかし、そんなちっぽけな事が果たしてジェフロワにとって朗報と言えるだろうか?
これまで数々の傭兵やハンター、騎士団を欺き屠ってきた精鋭達が、その威容に呑まれている。
愛斧を大きく振り回し、見下ろしてくる頭に向かって怒声をあげる。
「な、何者だッ……何が目的だ?」
「おいおい……面白い事になってんな」
その時、巨体の後ろから何かが飛び出した。
深紅の外套をはためかせ、陽光を隠し大きく宙を舞うと、ジェフロワの目の前に右手をついて着地する。
フードを深く被った人影だった。大きさは巨人と比べて遥かに小柄で、武器も持っていない。
無言のまま、その顔がゆっくり上がる。
その容貌が明らかになる。部下たちが小さく息を呑んだ。
やや暗い赤髪の下。目も、口も空いていない奇妙な笑う骸骨の仮面がこちらを見ていた。
知っている。笑う骸骨。
この国に住み着く犯罪者が皆、見ただけで震え上がるという――。
口を開く前に、仮面の向こうからくぐもった声があがる。
男にしてはやや高い声が、静まり返った辺りに響く。
「俺たちを知らねえなんて――おっさん、さてはあんた――モグリだな?」
「ずるいッ! ルークちゃん、私が、言いたかったのにぃッ!」
いつの間にか巨人の肩の上に座っていたピンクブロンドの女が、甲高い声をあげた。
その声を聞いた瞬間、ジェフロワは全てを理解した。
頭が一瞬で沸騰する。力を込め、斧を地面に振り下ろす。
すぐ隣に突き刺さった巨大な刃に、しかし目の前の仮面の男はぴくりとも動かない。
視線は、ジェフロワにまっすぐ向けられたままだ。
「くそッ……罠、かッ……」
「……」
ジェフロワは国外からやって来た。主にこの国で活動している《嘆きの亡霊》については、調べさせはしたが、そこまで詳しくは知らない。
だが、人数と職構成くらいならば知っている。男二人を捕らえたのだから、男のメンバーはもう《千変万化》だけのはずだ。
そして、今、上の女は目の前の男の事をルークと呼んだ。
「貴様…………《千剣》……か!?」
やられた。はめられた。どういうカラクリか知らないが、あの二人は囮だったのだ。バレル盗賊団の逃走経路を読んでいたのだろう。
斧を構え、一歩退がる。
このゼブルディアでトップクラスに数えられる剣の使い手。貪欲に剣の理を求め、古今東西のあらゆる流派と技を修め、数々の名のある剣士を下した事から名付けられた二つ名が――《千剣》のルーク。
その佇まいはまるで敢えてそうしているかのように隙だらけだった。山中で捕らえた二人の方がまだマシなくらいだ。
だが、バレルを背負い、様々な強者を見てきたジェフロワにはそれが全てブラフだということがわかる。
ジェフロワの方が大柄だが、体格だけで強さは測れない。
勝てるのか? 相手は何人いる?
いや――戦うしかない。活路を見出すには戦うしかない。人数的優位はこちらにある。
舐められているのか、ルークが武器を携えている様子はない。
ジェフロワとて、戦闘には自信がある。剣の腕では負けるかも知れないが、これは試合ではない。
振り下ろすだけなら――俺の方が速いッ!
踏み込もうとしたその時、ルークが手の平をこちらに向け、低い声で心底辟易したように言った。
「待て、まずは話し合おう」
「ッ……何……?」
予想外の言葉に手を止める。
あの苛烈で知られる《嘆きの亡霊》のメンバーが話し合う……だと?
ルークはふざけた様子もなく、真剣な声で言う。
「落ち着いて聞いてくれ。俺は、コミュニケーションは大事だと、常日頃からクライに言われててさ……人を斬る前に話し合え、と。面倒くせえが、そういうのが格好いいらしいんだ。俺は格好良くて最強の剣士を目指してる」
「……何を、言っている?」
「さっき俺たちの目的を聞いたな? 俺たちの目的は――バカンスだよ」
奇怪な笑う骸骨の仮面を被っているとは思えない饒舌さに、思わず目を見開く。
油断させるつもりか……?
訝しげな表情をするジェフロワに、ルークは続ける。
「宝物殿を攻略して意気揚々と帝都に戻ったら、クライの奴、バカンスで温泉に行ったときやがる。同じパーティの俺たちを置いてバカンスとか、ずるいだろ? 急いで追いかけて来たってわけだ。そうだ、おい、これ見てくれよ。良い物も持ってきたんだ、ほら!」
ルークが懐に手を入れる。反射的に斧を構えるが、ルークが出したのは紺色の塊だった。
それを意気揚々と広げてみせる。塊は、薄いビニールで、ドーナツ型をしていた。
何だ? 何なんだ?
ジェフロワはもちろん、部下たちも困惑したようにそれを見つめる。ルークは真面目な声で言う。
「浮き輪だ! あいつ、実は泳げないんだよ。だから、気を利かせて持ってきてやった。足がつかない可能性もあるし、大渦に飲み込まれる可能性もあるからな。今回は盗賊? 山賊? とにかく、街攻めだったみたいだしそういったアクシデントはないだろうけど、まぁ多分、持っていったら喜ぶと思う」
何を……言ってるんだ、こいつは?
こちらが呆れているのがわかったのか、ルークが少し苛立たしげに仮面の額を押さえ、ため息をつく。
「あぁ……クソッ。コミュニケーションは難しいな。俺が言いたい事は、つまり、おっさん達にかまってる時間はあまりないって事だ。ルシアも道中、ずっと温泉を楽しみにしていたし、アンセムは――ああ、あいつの入れる広い温泉があればいいんだが。まぁ、最悪、掘ればいい」
「ルークちゃん、話長ーい! クライちゃんの言うコミュニケーションって、多分そういう意味じゃないからッ!」
「っせー! もう終わるから黙ってろッ!」
理解できなかった。言ってる事が、何一つ理解できなかった。少なくとも状況に即した会話ではない。
部下たちに視線を送るが、首を横に振っている。
「…………つまり、見逃すと、そう言っているのか?」
ふざけた会話だったが、目の前の男の実力は確かだろう。そして、特に、巨人の男がやばい。
バレルの得意とする戦法は奇襲であり、無傷の相手に、正面からぶつかり合うのは余りにも危険である。
声を潜め確認するジェフロワに、ルークはしばらく固まっていたが、すぐにあっさりと言い放った。
「いや、おっさん……俺の話、聞いてた? 斬るよ。そりゃ斬るさ。俺は好き嫌いとかないからな。でも、おっさん、腕が二本しかないだろ? ついこの間、腕が六本ある剣士を斬ったばかりだし、本当に申し訳ないんだが今回はバカンスだし、二本とか今更って感じだな。次の相手は八本を探してるんだ」




