142 ストーカー
スルスでの時間はまさしく飛ぶように過ぎていった。
やはりバカンスはいい。心も身体も洗われるような気持ちがする。ご飯も美味しいし温泉も気持ちいい。温泉ドラゴンの件があるせいか、旅館の従業員に尊敬の目で見られる事にだけは辟易したが、色々おまけしてもらっているし気にしなければいいだけだ。
一日の終わり、過ぎ去った日々を思い起こし今日もまた無駄に過ごしたと後悔することすら楽しい。
大浴場は破壊されたので部屋つきの露天風呂しかないが、それはそれで周囲を気にせずゆっくり入れていい。少し警戒していたのだが、初日以降はドラゴンが出ることもなかった。
唯一残念なのはルーク達が一緒に来れなかった点だけだ。
既にパーティについて行かなくなって久しいとはいえ、旅行に行く際などは大体一緒だったのだ。もしかしたら帝都に戻ったら文句を言われるかもしれない。
まぁ、それもまた今度一緒に行けばいいだけだ。帰ったら思い切り自慢してやろう。
ここの温泉は湯治にも使われるというのは事前にシトリーから聞いていたが、癒やし効果は確かだった。
僕には古傷などないが、いくらでも延々と入っていられる気がする。湯はやや熱めだったが、熱耐性の宝具の指輪をつければそれも問題ない。
今日もゆっくり温泉に浸かり、上半身だけ外に出しながらうつらうつらしていると、いつも通りリィズとティノが言い争う声が聞こえてきた。
リィズは自重しない。パーティで山奥の温泉に入った時も、一切の慎みなく一緒に温泉に入ろうとしてくる娘だ。駄目だと言っても入ろうとしてくる子だ。彼女は僕を男である前に幼馴染だと思っているのである。
ちなみに、少し下世話な話だが、ハンターのパーティでは男女の垣根が割と薄い事が多い。装備が壊れたりすることもあるわけで、互いの裸を気にしていてはどうにもならないのである。だが、恥じらい一つ見せないのは何か違うと思う。
僕も実際は男だし、ルークのように剣の事以外に興味がないわけでもないので、気になるものは気になるのだ。
スキンシップには慣れていても肌を見せつけられるのは目の毒だし、そのまま抱きつかれるのはもっと毒だ。いつもはルシアが魔法を使ってうまいこと遠ざけてくれるのだが、今回は天敵がいないので元気いっぱいである。温泉を目指した時点で大体予想はついていたのだが、温泉欲求の方が勝っていたのであった。
ティノの悲鳴があがり、間断なくがらりと部屋への扉が開けられる。
「ますたぁあああああ逃げてくださいッ! っていうか、ますたぁ、お風呂入りすぎですッ!」
「クライちゃんッ! あのねぇ、お酒、持ってきたの、一緒に飲も?」
僕は、浮き浮きしているリィズの声に、眠気を堪え大きな欠伸をしながら答えた。
「……しょうがないなあ、リィズは。ちゃんと身体洗ってから大人しく入りなよ」
§
浴衣を着たティノとリィズを引き連れ、両手に花の状態で町を散策する。
どうやら温泉ドラゴンの出現は町に衝撃を与えたらしく、その討伐を成した僕達一行は有名人扱いだった。
もともと観光客がほぼゼロだったので目立ったのだろう。
温泉ドラゴンはドラゴンの中ではかなり低位のようだが、それでもドラゴンはドラゴンだ。一般人からしたら手に負えない幻獣である。
それを倒せば称賛を受けるのもある意味では必然なのだが(もちろん、何もしなかった僕がそれを受ける権利はない)、ティノはこういったシーンに慣れていないのか少し表情が硬い。
「こういう時はニコニコしていればいいんだよ。どんと構えればいいんだよ。すぐに収まる」
「は、はい。ますたぁ……」
散歩中にただで貰った温泉ドラゴン饅頭を食べながら町中を歩く。温泉町なだけあって町中にはのんびりとした僕好みの空気が漂っていた。
泊まっている旅館以外にも、町中には幾つもの浴場がある。泉質は変わらないだろうが、幾つか試しに入ってみるのもいいだろう。
ティノとリィズがいつもと違う服装をしているのも新鮮だ。
いつもと比べると露出は少ないが、浴衣姿はその体型がスリムなのもあって、とても良く似合っている。蒸気のせいかその肌もいつもより少し赤く、なんとも言えない色っぽさがあった。
そう言えばシトリー曰く、浴衣の合わせが右前なのは、右手を懐に入れて胸を揉めるようにするためらしい。
明らかな嘘つくんじゃない、こら。そんないやらしい服があるわけないだろう。
外周近くでは、シトリーが数人の立派な服を着た男性を連れてビジネスに勤しんでいた。
浴衣姿でにこにこしながら、お腹辺りまでしかない低い外壁を指して言う。
「景観と安全では安全の方が大切です。結界は霊的存在は遠ざけますが人間を遠ざけてはくれません。如何でしょう、最新のゴーレムを買いませんか? 少々お値段は張りますが、戦闘はもちろん土木作業にも使えます。人件費を考えれば安いでしょう。入浴していたのがレベル8ハンターなんて幸運、二度とありませんよ? この町はクライさんも気に入ったようですし、まだ試験期間中なので――今なら半額、武器もセットで付けて三十体で十億ギール、プラス税です!」
いつもローブで隠されているが、シトリーのスタイルはリィズ達と比べてかなりいい。背も少し高いが、胸が比べ物にならない。
町のお偉いさん達は、シトリーの艶姿に視線を取られつつも、小声で話し合っている。この規模の町に十億ギールはかなり重いだろう。
そもそも、ゴーレムでドラゴンに勝てるのだろうか?
何故バカンスに来たのに商売をしているのだろうか? 何もかもわからない。
「シトリーお姉さま……抜け目ないです」
「弱みをつくことに関してはシトは一流だからねぇ……」
ティノもリィズも呆れ顔だ。
余りにも自由すぎる。まぁ、初日に温泉ドラゴンを探しに山を登ったリィズもリィズだが……。
シトリーは僕を見ると、商談中にも拘らず微笑みを浮かべながら駆け寄ってきた。つい右前の襟元に視線を取られてしまう。
「……精が出るね」
「これ以上、温泉ドラゴンがでたら台無しなので……ついでに新兵器の性能も確認できて一石二鳥かと」
死の商人かな?
だが、確かにシトリーの言う通り、この町は余りにも無防備に思える。一時的な話なのだろうが、今しかいない僕にとっては問題だ。
しかしそれにしても十億は高い。少なくとも即決できるような額ではないだろう。原価はいくらなのだろうか……。
町のお偉いさんも少し諦め顔だ。性能も目にしていないゴーレムに即決はできまい。
僕は少し迷ったが、シトリーに確認した。
「シトリー……もう少し安くならないの?」
「え…………おいくらにしましょうか?」
シトリーが目を丸くして、僕を窺う。
おいくらにしましょうかって、新しいな……まさか僕の言い値にするつもりかな?
僕は錬金術師ではないし、ゴーレムの価値などわからない。本来ならば口出しすべきじゃないこともわかっている。
「…………町の安全のためだし。そうだな……現金支払じゃなくて、物品で支払って貰うとか…………」
「物品ですか。この町の名物は温泉くらいですが………………利権……?」
「後、売るにしても、実際のゴーレムを見て納得してもらったほうがいいと思うんだけど……」
「そうですね…………」
シトリーが思案顔になる。ただにしろとは言わないし、言ったとしてもそうはならないだろう。
彼女はできるだけ僕の意見を尊重するが、決して言いなりではない。
しばらくして考えがまとまったのか、シトリーが笑顔で手を打った。
真剣な表情で話し合っていた町の人達に近づき、明るい声をあげる。
「決めました。お悩みなら――私達の滞在中に限り、完全無償でゴーレムをお貸ししましょう! クライさんからのご厚意です。これ以上、バカンス中に温泉ドラゴンが現れても厄介ですから……購入するかどうかは、その力を見てからでも遅くはありません」
§
半ばボランティアに近い商談を終え、シトリーを回収し、四人で町を歩く。
ゴーレムとやらを連れていなかったが、どうやらこれからここで製造するらしい。シトリーは働き者だ。
「…………よかったの?」
「はい。クライさんの……ためですから……」
幾度目かの問いに、シトリーは躊躇いなく頷く。
僕は素人だが、今回の商談は明らかにシトリーが損をしているように見えた。そもそも、スルスの町は平和だ。唯一の違和感は観光客がいないため少し空いている点だけだ。
僕達の滞在中に外敵が来たりはしないだろうし、結局ゴーレムも売れないのではないだろうか。
っていうか、僕のためじゃなくて町の人のためじゃないの?
だが、シトリーは僕の疑問には答えず、半歩だけこちらとの距離を詰める。
その髪から仄かな甘い香りが漂ってくる。
シャンプーの匂いだろうか? 口には出したことはないが、うっかり顔を近づけたくなりそうなとてもいい香りだ。頭が少しくらくらする。
そこで、にこにこしているシトリーと僕の間に、リィズが入ってきた。
「クライちゃん、露骨な点数稼ぎに惑わされちゃだめッ! こいつ絶対、いざという時に今日の事を貸しとして、ちらつかせるつもりだからッ!」
「そんな事しないよ…………お姉ちゃん、疑い過ぎッ! ねぇ、クライさん?」
「うんうん、そうだね」
…………普通にされたことがあるな。そう言えばお金貸しましたよねー、今度部屋に遊びに来ませんか、みたいな。
まぁ、貸しを作ったのは僕が悪いんだし、なんだかんだで結局踏み倒したりするんだけど。
わーわー言い争うスマート姉妹を見ながら、平和を噛みしめる。
ティノも、温泉ドラゴン戦で負った心の傷も癒え、少しは元気が戻ったようだ。
後は『白剣の集い』が終わるまで温泉入ったりしてまったり時間を稼ぐだけである。色々あったが終わりよければ全てよしだ。
しばらくリィズとシトリーを受け持って、これまでお姉さま二人に挟まれ散々な目にあっていたティノを解放するのもいいかもしれない。
そんな事をのんびり考えていると、ふと視界に大きな馬車が目に入った。
やせ細った馬に引かれた、ぼろぼろの馬車だ。
新たな観光客だろうか? ぼうっと見ていると、扉が開き、土気色の顔をした男が降りてくる。
僕は思わず目を見張った。
姿が変わりすぎて一瞬わからなかったが間違いない。
馬車から降りてきたのは――アーノルド・ヘイルだった。
《豪雷破閃》の二つ名を持つレベル7ハンター。何故か僕を狙ってきた男だ。
身体に包帯を巻き、髪もぼさぼさで、頬も痩けているが、ここ最近悩みの種だった男の事を見間違える訳がない。続いて、見覚えのあるアーノルドの仲間たちと、そしてギルベルト少年達が降りてくる。
雰囲気が違った。装備が変わっている者もいる。重傷は負っていないようだったが、その足取りはフラフラで満身創痍に見えた。
こうして僕がアーノルド達に気づいているのに、アーノルド達が僕に気づいていないのがその証拠だ。いつものコンディションならば、僕の方が先にその姿に気づくなどありえない。
ストーカーか? だが、ストーカーならばこうして無様に姿を現すわけがないし、その姿はまるで遭難から生還したばかりのように見える。僕も砂漠で遭難した事があるからわかるのだ。
……せっかくのバカンスなのになんて事だ。神は僕の事が嫌いなのだろうか。
ティノが目を丸くしている。リィズの目がアーノルドを確認し、その口元に笑みが浮かぶ。このパターンはまずい。
気づかれる前にこの場を去るべきだ。相手はそれどころではないのだろう、周りが見えていない。
リィズの手をぎゅっと握って後ろに下がる。
まるでそれと互い違いになるかのように、シトリーが前に出た。
止める間もなかった。アーノルドに向けて、まるで歓迎するかのように手を叩く。
シトリーの表情に驚きはなかった。まるでこの展開を読んでいたかのような満面の笑みが浮かんでいる。
「これはこれは……ようこそ、スルスへ。随分遅かったですね、アーノルドさん。待ちくたびれました。余りに遅いので、ドラゴンはティーちゃんが始末しちゃいましたよ……」
「……ッ!?」
まさか、シトリー……この展開を読んでいたのか? どうやってアーノルドの行動をコントロールしたのだろうか?
全く理解できないが、読んでいたのならば教えて欲しかった。目的地を別の温泉に変更したのに……。
アーノルドの目がシトリーに向き、続いて僕を捉え、限界まで見開かれる。
そして、その巨体がぐらりと揺れ、アーノルドは一言も上げることなくその場に昏倒した。




