140 茹でドラゴン
「大変申し訳ございませんでしたッ!!」
「ははは……いーよいーよ。まぁ、割とよくある話だと思うよ、うん」
どうやら、温泉へのドラゴンの乱入は旅館にとっても初めての出来事だったようだ。
本来は町の外の山に生息する固有種らしい。町の中に入ってきたのは十二年ぶり、この旅館の温泉に入られたのは初めてだとか。
そりゃそうだ。ちょこちょこドラゴンが入りに来る温泉で旅館なんてできるわけがない。
どうやら、盗賊団のせいで人がいなくなり見張りが甘くなってしまったのが主因のようだが、僕は一同揃って今にも死にそうな表情で土下座する旅館の皆さんを笑顔で許した。
アクシデントなんてハンターにとってはつきものである。迷いドラゴンも迷い巨鬼も迷いサイクロプスも迷い宝物殿も経験したことがある僕に隙はない。運悪すぎであった。
たまに僕の方に引き寄せられているんじゃないかなんて、ありえない妄想を抱いてしまう時もあるくらいだ。
客がハンターじゃなかったら死者が出ていた案件だが、現実に死者は出ていないのでこれから気をつけてくれればいい。
ドラゴンを無傷で討伐した今、僕が気にしているのはティノのメンタルケアだけだ。
ティノは服を着た後も疲れたような眼をしていた。何度か声をかけるが、いつものような笑顔が返ってこない。
突発的に起こった戦闘なのだから全裸での戦いもやむなしだと思うし、僕もできるだけ視線は背けていたのだが、ティノくらいの年齢ならばショックは大きいのだろう。
リィズはそういうのを全く気にしないので僕の感覚が麻痺していたようだ。
「そうだ……今日は茹でドラゴンにしましょうッ!」
「え!? ドラゴンを……食べるんですか!?」
にこやかに手を打つシトリーに、意気消沈していたティノが顔をあげる。
ドラゴンはあまり一般的な食べ物ではない。珍しいし、血、肉、骨、どれも等しく高く売れるからだ。
だが、うちのパーティはあまり利益とか考えていないので、ドラゴンを狩ったその日はその一部を食べるのが定例行事であった。
始まりは何だったか覚えていないが、うちの野生児達はムカデだろうが蜘蛛だろうがなんでも口にするのでドラゴンなどまだマシな方だ。
「ねぇ、クライさん。クライさんもドラゴン、好きですよね? 今日はティーちゃんの狩った初ドラゴンですよ!」
シトリーが明るい声で話を振ってくる。ティノが目を白黒させている。
どうやら、ポジティブな方向に持っていくことでティノに嫌な思い出を忘れさせる作戦のようだ。もしかしたらただの素の可能性もあるが、僕は全力で乗っかった。
「うんうん、ドラゴン美味しいよね。楽しみだなぁ」
ドラゴンに限らずシトリーの料理は何もかも美味しいし、人里で野宿みたいな真似しなくてもいいとも思うが、指摘はするまい。旅館に来てまで料理することもないような気もするが、それも言うまい。褒め殺しでいこう。
「ティノは強いなぁ。よくやった、よくやった」
「きょ……恐縮、です」
ティノがうつむき、小さな声で答える。恥ずかしそうな、でも嬉しそうな声だ。もうひと押しだな。
シトリーがノリノリでさらなるフォローを入れてくれる。
「武器もなし、防具もなしのあんな格好でドラゴンと戦うなんて――ティーちゃん、とっても可愛かったですよね」
「うんうん、そうだね…………え?」
「…………ッ」
せっかく立ち直りかけていたティノが再び震えていた。うつむき、顔を耳まで真っ赤にして震えている。ささっと僕から距離を取ってくる
いや、見てない。見てないよ。本当だよ。大体、ドラゴンが暴れている時点でそんなゆっくり観賞している余裕などない。顔には出さなかったし、具体的な行動もしていなかったが、あの時の僕は焦っていたのだ。
シトリーがしたり顔でウインクしてくる。僕は文句をいいたかったが、近くにティノがいたので仕方なく小さくため息をついた。
§
「え…………? 温泉にドラゴンが出たの?」
温泉ドラゴン探しから戻ってきたリィズが、経緯を聞いて目を丸くする。
山に探しに行ったが、どうやらそっちは空振りだったらしい。なのに探してもいない僕たちの方にドラゴンが現れるのだから、本当に人生ままならないものだ。
部屋の畳の上でティノが正座し、身体を縮めて上目遣いで師匠を窺っている。
どこか不安そうな表情だが、獲物を取られて怒られるとでも思っているのだろうか。リィズはそんな事しないよ。
リィズは真剣な表情で僕の話を聞いていたが、ティノが全裸で温泉ドラゴンとの激戦に勝ったという話を聞くと、ぱぁっと花開くような笑みを浮かべ、正座するティノに飛びついた。
短い悲鳴を上げるティノを抱きしめ、その頭をぐりぐりと撫でる。
「きゃー! 初ドラゴン、おめでとう、ティー! あんたもようやく『竜殺し』ね」
「え? え???」
「今日はドラゴンを食べてお祝いしないと! ね、クライちゃん?」
「うんうん、そうだね」
「え? ええ? そ、そういうものなんですか?」
師匠の喜びっぷりに、ティノが激しく混乱して、こちらを見る。僕は初耳なんだが、リィズがそういうのだからそういう物なのだろう。
リィズの機嫌はここ最近ないくらいよかった。弟子の成長が誇らしいのだろう。そして、それは師匠としてのリィズの成長も示している。
ティノの背をばんばん叩くと、
「でも、やるなら私がいるところでやって欲しかったなぁ。せっかくの記念なのに――」
「お姉ちゃんがいたらお姉ちゃんが倒しちゃうでしょ? 私達はもうドラゴンなんて掃いて捨てるほど倒したし、もういいでしょ」
まぁ、倒さなかったら生きて帰れなかったからね……。
まるで可愛い弟子のためにドラゴンを譲ったような言い方に、ティノが目を見開く。だが多分シトリーは適当に言っているだけだ。
彼女は何事にもそつがない人間だが、ああいう正面からの戦闘には乗り気じゃないのである。これまでだって、だいたいシトリーが戦う時は前にルークやリィズ、アンセムがいた。根が後衛なのだ。
「えー。クライちゃん、もっかい一緒に温泉行こ? 私もドラゴンと戦いたーい!」
「うんうん、だめだね」
街全体の警備を強化すると言っていたし、多分二体目は出ないだろう。
そもそも大浴場は破損が酷く、しばらく閉鎖するらしいので、滞在中は部屋の風呂で我慢するしかない。部屋の露天風呂にドラゴン来たらもう終わりだよ。
そもそも僕がドラゴンと戦いたいと言われて、うん、いいねなんて言うわけがないのに、リィズは僕を見て唇を尖らせた。
「えぇ!? ティーばっかりずーるーいー。クライちゃん、最近ティーの事贔屓しすぎじゃない?」
「!?」
「そうですよ……クライさん、ティーちゃんと私、どっちが大事なんですか!? はっきり答えてください!」
「!?」
頭の中にドラゴンが詰まっているリィズと、悪乗りするシトリーを見て、ティノが困惑している。
セリフにするならば、「え? え? 私、贔屓されてるの?」といったところだろうか。高レベルハンターの常識に流されると取り返しがつかない事になるよ……。
しかし幸いなるかな、少しは調子が戻ったようだ。嫌な事は忘れるに限る。
ふと、リィズが訝しげな表情になり、弟子を見下ろす。
「でも、ティーって素手でドラゴンに勝てる程強かったっけ? あんた、もしかして私の訓練で手抜いてた?」
「!? ち、違うんです、お姉さまッ! あの……えっと……」
それは僕も考えていたことだ。
ティノは才能があるし、リィズに拷問に近い訓練を受けている。だが、それでも彼女はレベル4だし、今回が初ドラゴンだったのだ。
『竜殺し』が称号として定着しているのは、竜という存在が一線を画した強さを持っているからである。
今回温泉に入っていたドラゴンはふざけた名前だし、ドラゴンの中では最下級だったのだろうが、それでも全裸で倒せるような相手ではない。
ティノはしばらく唇を震わせていたが、恐る恐る僕の方を見て、小声で言う。
「えっと……その……ますたぁの、仮面に乗っ取られてから、身体が軽いと言うか――身体の動かし方が少しだけ理解できた、というか」
マジか……。確かにあの仮面は潜在能力を引き出すと言っていたが、そんな作用もあるのか。
確かにあの時、仮面を被ったティノの動きは卓越していた。普段ならば一方的にぼこぼこにされるリィズに一時とはいえ、食らいつけるだけの力を発揮したのだ。意識はあったようなので、ティノがその時の肉体の動かし方を覚えていても不思議ではない。
おい、ふざけんな。僕の潜在能力も引き出せよ。本気出してみろよ。
最後に、ティノが身を縮め、許しでも乞うように言う。
「い、いえ、でも、もうかぶりたくはないです…………はい」
「へー。そんな効果あるんだぁ……クライちゃん、私にも貸して?」
「!?」
相変わらず強さに対する欲求が強い。
丸めてしまわれていた『進化する鬼面』を請われるままに手渡す。ティノが目を見開く中、リィズはしげしげとそれを観察し、躊躇いなく被った。
伸びた触手が後頭部に伸び固定される。シトリーが興味深そうにその様子を見守っている。
仮面を被ったリィズはしばらく沈黙していたが、大きく舌打ちすると、触手を無理やりべりべり引き離し仮面を外した。
仮面を返し、肩を竦めてみせる。
「使えな……規定以上の能力になるから、セキュリティの都合上、出せないって言われたぁ」
「……!! そ、そう言えば、ますたぁも――」
ティノがはっとしたようにこちらを見るが、多分違う。
むしろ正反対である。見ただろう、僕の時のあの固定する触手のやる気のなさを! リィズに張り付いた触手とは雲泥の差だ。
しかし、下限と上限があるんだな。想像より使いづらい宝具のようだ。やはりティノ専用か。
そこで、シトリーがぱんぱんと手を叩いた。満面の笑顔で言う。
「とりあえず仮面の事は置いておいて、お祝いにしましょう。今回は先方に弱みがあるので厨房も借りられるでしょうし、大抵の事は押し通せると思います。茹でドラゴンですよ、温泉ドラゴンの茹でドラゴン!」
まるで温泉で茹でられたみたいだな……。
だが、異論はない。辛いことがあったら楽しい事で上書きするのがハンターのやり方だ。
僕は弟子の成長に上機嫌なリィズと、何事か考えているティノを見ると、リラックスした気分で立ち上がった。
「どうしたんですか?」
「ハイイロさん達呼んでくるよ。ドラゴンはこの人数じゃ食べきれないだろうし、お祝いは大人数でやるものだろ?」
帝都を出てから、ハイイロさん達とはあまり仲良くやってこれなかった。食事を共にしなかったし、町でも見かけなかった。
犯罪者らしいし何か僕にはわからない経緯があって従っていたのだろうが、ここまで御者をやってくれたのだ。最後くらい労ってあげてもいいだろう。




