12 節穴
あー、そう言えばチャージしてもらわないといけなかったんだ。
そろそろティノ達も宝物殿についた頃かなーとか思いながら、『狗の鎖』を磨いていると、ふと鎖の魔力が空になったことを思い出した。
宝物殿で手に入る宝具は無条件でその効果を発揮できるわけではない。
宝具は魔法使いが魔法の行使に消費する魔力と呼ばれる力を動力としており、強力な宝具であればあるほど膨大な魔力を事前に蓄積しておく必要がある。
トレジャーハンターがあまり沢山の宝具を持ち歩かない理由の一つだ。
宝具に魔力を込めるのは簡単だし、魔力自体は生物ならば皆持っているが、その量には大きな個人差があり、魔力量が戦力に直結する正当な魔法使いでも、数個の宝具に魔力を込めれば力が空っぽになってしまう。
僕の場合、悲しいことに魔力量が常人以下だったのでチャージは友人やクランメンバーに全て任せていた。
ハンターを諦めた理由の一つである。なんか一つくらい長所をおくれよ。
壁全面の窓からは夕日が差し込み、広々としたラウンジ全体をオレンジ色に照らしていた。
並ぶテーブルの幾つかに、見覚えのある足跡のメンバーたちがたむろしている。
さっきまでは誰もいなかったが、今日の仕事が終わって戻ってきたのかもしれない。銘々、リラックスしたように談笑していた。
その中の一つに空気を読まずに突っ込む。
幾つもチャージして貰う場合はパーティを選ぶ必要があるんだが、今回は魔力切れは鎖一個だからどこでもいいだろう。
針金のような黒の髪に無精髭をしたリーダーの男が、僕を見て朗らかに笑う。機嫌が良さそうだ。
「ああ、マスター。昨日は大変だったな」
「まぁよくある話だ。悪いけど、宝具のチャージを頼めるかな」
「ふむ。何人必要だ?」
「鎖一個だから一人でいいよ」
「それくらいなら問題ない、か」
機嫌よく了承してくれて、『狗の鎖』を仲間の魔法使いに手渡す。
魔法使いは女性だったが、そちらも嫌がっている雰囲気はない。
申し訳ない気分でいっぱいだが、宝具の魔力は使わなくても一定期間で空っぽになる。
割と頻繁に頼んでいるので皆慣れているのだ。
魔力は時間経過で自然に回復するが、その消耗は大きな負担になる。
宝物殿に向かう前だと万が一があるので断られることもあるのだが、まだクランマスターの地位が効いているのだろう。
エヴァが頑張ってクランメンバーの不満を解消するクラン運営をしてくれているおかげである。
『狗の鎖』が魔力を流し込まれ仄かに輝く。
その間に、リーダーがふと世間話でも話すような口調で言った。
「ああ、そういえばマスター。聞いたか? 北の街道に『はぐれ』が出たらしい。小規模だが、商隊が全滅だとさ」
帝都ゼブルディアは大都市だ。
そこに至る街道も他の都市とは比べ物にならないくらいに整っていて近辺に生息する魔物も定期的に間引きされているが、時折、運悪く襲われる者が出る。
帝都の街道にはもれなく魔物避けが施されている。魔物は滅多に街道付近に近づかないから、極稀に発生するそういう個体――魔物や幻影は、『はぐれ』と呼ばれて恐れられていた。
事前に予測するのがなかなか難しい存在だ。おまけに、往々にしてそういう個体は並よりも強力な事が多い。
ここらもだいぶ発展しているが、まだ安全に外を出歩くには護衛が必須だということだろう。
僕なら絶対護衛なしで外を歩いたりしないけど、商人というのもなかなか大変だ。
「物騒だなあ。魔物? 幻影? 街道なら幻影か」
帝都の北には資源が豊富な森が広がっている。
魔物が生活に適するそこから出てきて、わざわざ街道を通る商隊を襲う可能性は低い。
リーダーが僕を見上げ、小さく首肯する。
「ああ。騎士団が注意喚起と討伐隊の募集をやっているらしい。そこそこの大物みたいだな。商隊にはレベル3の護衛が三人もついていたらしいし」
「ハンターついてたのに本当に全滅したのか。運が悪いなあ」
幻影には街道の魔物避けが通じない。
マナ・マテリアルから成る幻影は基本的に発生した宝物殿の区域から出ることはないが、帝都周辺には何分、宝物殿が多いので数ヶ月に一度くらいの割合でそういうことがある。
まぁ、心配するほどのことではない。
レベル3が三人やられてるってことは、そこそこ強い幻影だったんだろうが、肉の身体を持たない『幻影』はマナ・マテリアルの薄い場所では長く生きられない。
自然消滅するには時間がかかるが、しばらくすると弱体化されるので帝国騎士団が動いているのならばすぐに討伐されるだろう。
まぁ、僕には関係のないことだ。強力な幻影でも帝都の中に入ってくることはない。
余裕の態度で鎖のチャージを待っている僕に、リーダーが言った。
「なんでも、偶然、近くを通りかかったハンターの証言によると、狼の幻影らしい。大方護衛も油断していたんだろう、開けた街道でやられるとは――」
「へー……ん?」
狼? おおかみ? ウルフ?
本当にごく最近聞いたばかりのその単語に、眉を顰める。
帝都北の街道。
ティノを送り込んだ『白狼の巣』が存在しているのはそのすぐ隣に広がる森の中だ。
『幻影』の形状や種類は宝物殿ごとにある程度決まっている。狼型と聞いてそれを連想してしまうのは当然だった。
僕の様子に気づかず、リーダーが気持ちよさそうに喋る。
「大方、間引きの足りない宝物殿で進化が起こったんだろうな。宝物殿が沢山あるのも考えもんだ。ハンターにとっちゃいいことなんだろうが」
「…………ま、まぁ、帝都北って言っても、宝物殿沢山あるからね。森の中にもいくつかあるし、幻影が狼だって言うならきっと――」
「まず間違いなく『白狼の巣』、だな」
僕の言葉を引き取り、リーダーが名をあげる。さすが足跡に所属するハンター、近辺の宝物殿の情報は頭に入っているらしい。
確信の篭ったその言葉に、しかし笑顔を崩さずに話し続ける。胃がムカムカしてきた。
「そ、そうそう『白狼の巣』と、後可能性があるのは――」
「ん? あの辺りで他に狼の『幻影』が出る所なんてあったか? 宝具の出現率の低い人気のない宝物殿だし、条件通りだと思うが」
……マジか。
表情が引きつるのを感じる。
『狗の鎖』をチャージ中の魔法使いが僕の表情の変化を不思議そうな目で見ている。
「外にまで出てきたってことは、今頃『白狼の巣』は幻影で溢れているだろう。探協でも注意喚起があるはずだ。もしかしたら、国から駆除依頼が出るかもしれないな。稼ぎ時だ」
死骸を残さない幻影は基本的に金にならない。が、それが外まで溢れ出て物流に影響をおよぼすとなれば話は別だ。
規模にもよるが、国から探協にそれなりの金額で駆除依頼が発注されることも少なくない。
……でもまぁ、何かの間違いの可能性もあるし、よしんばその想定が正しかったとしても、ティノ達は四人組で攻略に向かっているのだ。
ギルベルト少年が宝具を持っているし、なんとかなるだろう。
「リーダー、あそこの狼、結構強いんですから油断して死なないで下さいね」
真面目くさったリーダーにパーティメンバーの一人が茶化す。その全てが僕の心に突き刺さっていた。
強い? 強いの? 行ったことないけど、そんなに強いの?
いや、そこそこだよね? そりゃレベル3だ、そこそこ強いよね。そこそこ、ね。大丈夫、ティノも強いから。
……でも念のために、依頼書だけ見せて置こうかなぁ。特に他意はないけど。
僕はニコニコしながら、ポケットから二つ折りにした依頼書を取り出し、テーブルに広げた。
リーダーがそれを読んで驚いたように目を見開く。
その依頼書の内容を上から下まで読んで、納得したように大きく頷き、感心したような笑顔を浮かべた。
「なんだ、マスター。人が悪い。知らない振りして、もう手を打った後だったのか」
「うんうん……そうだね。……ティノに行ってもらった」
「!? ティノって、レベル4の――そ…………そうか。相変わらず、スパルタだな……」
さっきまで闊達な態度を取っていたリーダーの表情が一瞬で引きつったものに変わる。他のメンバーが笑顔のまま少しだけ身を引いた。
いつだってそうだ。僕は運が悪い。タイミングが悪い。
わざとじゃない。わざとじゃないんだ。大体、商隊が襲われたのいつだよ。僕がそんな情報知ってるわけがないだろ。
僕は鬼じゃない。知ってたらティノに振らなかったよ。てか、知ってたら別の依頼貰ってきてたよ。
依頼書を食い入るように見ていた盗賊らしき青年がぽつりと漏らす。
「レベル3の宝物殿だからって、レベル5のハンターが行方不明になってる依頼に……レベル4の、しかもソロの子を投入するなんて……」
「ま、まぁ、これも勉強だから……レベル5?」
「……え? いや、ほらここに……」
未確認情報に聞き返す僕に、『狗の鎖』に魔力をチャージし終えたらしい魔法使いの子が、鎖をテーブルに置き、依頼書の一部を指差す。
救出対象にあげられたハンターの名前がつらつらと書かれた場所だ。特に気にすることなく読み飛ばした場所である。
だが、その子には別のものが見えていたようだ。
「このロドルフ・ダヴーって人、レベル5のハンターですよね。よく探協で見かける、けっこう有名な長槍持ってる人。まさか、ご存知なかっ――」
「馬鹿。帝都中のハンターと宝物殿の情報を全て握ってるマスターが、そんな初歩的なことを知らないわけないだろ。あははは、申し訳ない、うちのイーナが失礼なことを――」
リーダーが引きつったような笑顔で謝罪する。イーナと呼ばれた魔法使いの子が慌ててぺこぺこ頭を下げる。
僕も乾いた笑顔のまま、いいよいいよ気にしていないよと身振り手振りで主張した。
自分のクランのメンバーの顔と名前が全部一致しているのかすら怪しいこの僕が、情報を全て握ってる?
誰だよ僕の変な噂流している奴は。候補者が多すぎて絞りきれない。
外部のハンターなんてしらねーよ。最近、探協に行くのも、怒られる時くらいだってのに。
てか何? 君らハンターの情報網羅してるわけ? 全部で何人いると思ってるんだよ。
まーまーまー、落ち着け。
ティノはアレでいて頼りになるし、もちろんレベル5ハンターが行方不明になっていたと知っていたらティノに振ったりはしなかったんだが、まだ慌てるような時ではない。
……そういえば依頼を見せた時、ティノの奴、私はまだレベル4なのでとか言ってたなぁ。
ガークの野郎、とんでもない依頼を押し付けやがって。可愛い後輩が死んだらどうしてくれる。
深呼吸をして鼓動を整える。
とりあえず、表だけでもクランマスターとしての威厳は保たなければならない。
クランマスターの座を追われるだけなら全然問題ない、むしろウェルカムなのだが、そういう問題ではないのだ。
「こ、これも勉強だよ。大丈夫、ティノには外部のハンター三人つけたから」
ギルベルト少年も一応ティノに従う姿勢を見せていた。
ルーダやグレッグ様もいないよりは良いはずだ。
僕の言葉に、しかしリーダーは思ったような反応を返さなかった。
その申し訳程度に持ち上げられた頬がぴくぴくと痙攣している。
「な、なるほど……」
「……ただでさえ、困難な任務に……さらに足枷を――」
「これが――『嘆霊』をトップパーティにした有名な――」
優秀なハンター――怪物から向けられているものとは思えない、畏怖が込められた視線。
有名!? 有名って何さ……。
僕は、あまりのいたたまれなさに崩れかけた表情を一度フラットにした。
さっきまで朗らかに笑っていたリーダーがガタリと立ち上がりかける。表情がまるで魔物と相対したかのように真剣だ。
僕はテーブルの上に置かれたチャージの終わった『狗の鎖』を取り上げ、いつもの定位置であるベルトにカチリとセットした。
こほんと一度咳払いして、ハードボイルドを装う。
「悪いけど、ちょっと野暮用があってね。この辺でお暇させてもらう。チャージ、助かったよ」
「い、いやいや。こちらこそ、つまらない話で耳を汚してしまって――」
砕けた口調だったのが敬語になってるんだが。
いつの間にか、他のテーブルのパーティも僕達の様子を窺っていた。
やばい。このままじゃ僕がティノにとんでもない依頼を押し付けた最低クズ野郎になってしまう。
違うんだ。わざとじゃないんだ。
踵を返す。とりあえずどこを目指して良いのかわからないので、クランマスター室に急ぐ。
こういう時に限って頼れるアークはいない。嘆きの亡霊のメンバーもいない。
本来、依頼は入念に準備してから行うものだが、今回は救出依頼だったので急がせていた。ティノ達はもう宝物殿についているころだろう。
時間はない。混乱する自分に言い聞かせる。
「だ、大丈夫、大丈夫。煉獄剣が……煉獄剣があるから!」
そう言えば、煉獄剣。
腕試しの時の一件で魔力を使い切ってしまったんだが、ちゃんとギルベルト少年はチャージした後に宝物殿に行っただろうか?




