109 楽しいバカンス④
「なになに? 何が起こるの?」
リィズが目を輝かせている。僕はシトリーの入れてくれた美味しい紅茶を飲みながら、のほほんと現実逃避した。
十分程経つが、雷鳴と警報の協奏曲は終わる気配はない。
先程まで赤く染まっていたティノの頬から赤みが引いていた。少しだけ頬が引きつっていたが、僕を責めることなく居心地悪そうに窓の外に視線を投げかけている。
ぴかりと雷光が瞬き、僕はごくりと紅茶を飲み込んだ。
ゼブルディアは他の国と比べて治安がいいことで知られている。ある程度大きな町には国や領主の編成した騎士団が配備され、魔物や幻影、人間の犯罪者から町を守っている。
ゼブルディアの騎士団は優秀だ。もちろん場所によって質は多少変わるが、元ハンターが所属していることも少なくなく、並大抵のトラブルならば解決できる。手に負えない時は探索者協会に救援依頼が張り出される事もあるが、そんな事は滅多にない。
それではこの警報はなんなのか?
この家があるのは大通りから大きく外れた住宅街だ。そもそも小さな村ならばともかく、そこそこ大きな町であるエランで警報が鳴らされる事自体ちょっと信じられないのだが、こんなところまで届く程の警報を鳴らすとなると、市民に危険が及びかねないような事件が起こったと考えるべきだろう。
僕は大きくため息をつき、とりあえず脚を組んだ。
「シトリー、なんかおやつとかない?」
「あ……そうでした! クライさんの好きそうなチョコレートがあるんです」
リィズから解放されたシトリーが、色とりどりのピカピカの包装紙で包まれたチョコレートを小鉢に入れて持ってくる。どこか工業系国家からの輸入品だろう。
僕はがんがん鳴っている警報を必死で脳内から追い出し、チョコレートの紙を剥いた。ティノが恐る恐る尋ねてくる。
「ますたぁ……いいんですか?」
警報? 僕には関係のないことだ。
依頼が来ているわけでもないし、よしんば依頼がきたとしても受領するかどうかの決定権はこちらにある。
そもそも、ハンターの主な仕事は宝物殿の探索であって、都市の治安維持は騎士団の領分だ。そのために税金だって納めている。レベル8だからって何でもかんでも持ち込まれたら堪ったものではない。
まぁ一流のハンターならば警報を聞きつけたら率先して協力するのが筋ではあるが、いかんせん僕にはそれを成すだけの力もない。
なんだかんだ一ハンターとして思う所があるのか、そわそわしているティノに向かって手招きをする。
おずおずと近づいてきたティノに剥いたばかりのチョコレートを差し出し、安心させるように微笑みかけた。
「大丈夫、この程度、僕の想定の範囲内だよ。それに今回は戦いはなしって約束しただろ?」
アクシデントに巻き込まれるのは慣れている。警報を聞くのだって初めてではない。
そして僕は知っていた。こういう時はじっとしているのが一番なのだ。じっとしていれば、だいたい誰かが解決してくれる。
リィズが身を乗り出し、甘ったるい声をあげる。
「えぇ!? 首をつっこみにいかないの?」
「行かないよ。リィズさ、僕達の目的忘れてない?」
「目的?」
目を丸くし、本気で首を傾げているリィズ。あれほど説明したのにもう頭から抜けてしまったらしい。彼女のお祭り好きは常軌を逸している。
「バカンスだよ。バ、カ、ン、ス!」
こんな第一歩で躓くわけにはいかないのだ。ましてや首を突っ込んだら、僕がここにいることがバレてしまうではないか。
直接何事か頼まれてしまったら、僕は《足跡》のクランマスターとして何か手を考える必要が出てしまう。それは避けねばならない。
「シトリー、僕達がここにいることは誰も知らないね?」
「もちろんです。探索者協会の支部にも顔を出していませんから。入町審査は受けているので調べれば町にいることはわかるはずですが、この隠れ家はまずバレていません」
素晴らしい。さすがシトリーは僕のような間抜けとは違う。今回こそはティノを巻き込む心配はないようだ。
今僕がすべきことは嵐が過ぎ去るのをじっと待つことだけだ。外に出て万が一僕の顔を知る人に出逢えば面倒なことになる。
慌てて町を出ようとして捕まってもつまらない。引きこもり一択だな。
そして引きこもる事にかけてだけは、僕は《足跡》の誰にも負ける気はしない。僕は即座に判断した。
「騒動が収まるまでこの家から出ない事にしよう。備蓄はあるんだっけ?」
「食料的には一月くらいは問題ないでしょう。その他の資源についても――」
一月、か。十分だろう。
というか、余裕ありすぎである。本当にシトリーは何を想定していたのか……籠城戦でもやるつもりなのかな?
「いいか、ティノ。こういう時は――落ち着くのが大切なんだ。言っただろ? 戦いには参加しないって。大丈夫、警報はすぐに止まるよ、ほら座って」
「な、なるほど……これも全て、ますたぁの、手の平の上なんですね……ですか?」
ティノとて無理してまで騒動に首を突っ込みたくてしょうがないというわけではないだろう。
僕の言葉に、ティノが無意味な僕への信頼を見せつつ、ソファに腰を下ろす。
だが問題は基本的に素直なティノではない。
「うんうん、そうだね。リィズも座って。絶対に外に出ちゃだめだよ?」
リィズだ。問題は無理してまで騒動に首を突っ込みたくてしょうがないリィズだ。すぐに僕の言うことを忘れてしまうリィズだ。
ずっと押さえつけておかないと壊れたバネのおもちゃみたいにトラブル目掛けていなくなってしまう。
「えぇ……クライちゃんひどーい」
なんとか言った通りに僕の隣に腰を下ろすリィズの腕――その手首を捕まえる。
嬉しそうな声をあげ身を寄せてくるリィズの髪を手ぐしで梳き宥めつけながら、僕はあらゆる手を使いこのバカンスを何事もなく終える事を決意した。
そして、帰還後にクランメンバー達にとても楽しいバカンスだったと自慢してやるのだ。
その暁には、ティノも僕の言葉をもう少し信じてくれるようになるだろう。
§
不安と不穏な空気に押しつぶされそうな一夜が明け、空には昨日の嵐が嘘のような雲ひとつない蒼穹が広がっていた。
ベッドから身を起こし、清々しい気分で外を見る。住宅街には平穏が戻っていた。警報もなっていないし、悲鳴も聞こえない。
ほら見ろ、何もしなくてもなんとかなった。
隣のベッドには誰もいなかった。
シトリーの隠れ家に存在する寝室は二つ、それぞれベッドが二個ずつ配置してあったが、結局性別で分けることになったのだ。
僕はあまり気にしないのだが、誰と同じ寝室にしても角が立つ。僕がソファで寝るとなると、それも認めてもらえない。
リィズにはベッドに潜り込んでくる悪癖があるが、シトリーがいれば安全だ。
大きく伸びをして、シトリーが用意してくれた服に着替える。
隠れ家は隠れ家とは思えないくらいに快適だった。大きなバスルームもついているし、料理してくれたしシトリーの腕がいいせいか備蓄食料を使った料理も僕の舌にあっていた。ちょっとした旅館よりも上だったかもしれない。
雨の中の行軍で溜まっていた疲労もすっかり抜けている。
寝室を出てリビングに向かうと、私服のティノが迎えてくれる。
「……ますたぁ、おはようございます」
「おはよう。……どうしたの? その隈」
快適に眠れた僕と違い、ティノの目の下には濃い隈が出来ていた。
足元はしっかりしているし口調もいつもと変わらないが、表情には濃い疲労が見える。
「眠れなかったの?」
「……少しだけ。ソファで横にはなっていたのですが――外が不安で。全ては私の未熟故です」
ベッド貸してもらえなかったのか……確かにリィズは弟子を同じベッドに入れるような性格ではないし、シトリーに混ぜてもらうことになったらそれはそれで危なそうだ。何も考えず言われるままに就寝したが、もう少しティノの事を考えるべきだったかもしれない。
しかし、ハンターというのはいつでもどこでも眠れるように訓練しているものだが(僕が一番得意な分野だ)、それでも眠れないくらい外が不安だったのだろうか?
「大丈夫です、ますたぁ。私もハンターです、一晩眠らないくらいなら、活動に支障はありません」
「それならいいけど……」
トラブルがまだ収まっていないようだったら今日も引きこもるつもりだったが、どうやら警報の原因は無事解決したようだ。
シトリーの手料理を食べると準備を整え、皆で隠れ家を後にする。深くフードを被り顔を隠しながら大通りを歩くと、自然と警報の噂が耳に入ってきた。
商人もハンターも騎士団も町民も皆が昨日の事を噂している。
どうやら相当厄介な魔物が町に近づいてきたらしい。騎士団とハンター達が総出で迎え撃ったようだ。
その名を聞き、前を歩いていたシトリーが目を大きく見開く。
「雷精、ですか……上位精霊がこんな人里に現れるなんて――」
「あーあ。私も戦いたかったなぁ……」
精霊とは意思を持つ力の固まりであり、ハンターが戦い得る相手の中では一際厄介な存在である。
必ずしも人類と敵対しているわけではないが、その自然現象を操るという特性から神と同一視している地域もあるらしい。
魔導師が扱う術の中では精霊の力を借りる物があるが、相当強力な魔法として知られている。
あの大嵐も精霊の仕業だと思えば納得がいく。
リィズを止める事が出来て本当に良かった。
内心ほっとしながら町の外に向かい歩いていくと、昨日通った頑丈そうな門が完全に破壊されているのが見えた。思わず立ち止まり目を見開く。
焦げた大穴にそこかしこに散らばった瓦礫、飛び散った血のシミは昨日の戦いがどれほど凄惨なものだったのか示しているかのようだ。門付近の家屋も半壊している。
騎士団達が役に立たなくなった門に代わり、忙しげに人の出入りを整理していた。
警報を無視してよかった。精霊相手ではコミュニケーションを取ることすら困難だ。
僕ならば木っ端微塵にされていただろう。
「雷精が出たのに町に被害がないなんて……相当頑張ったんですね」
ただひたすらに安堵している僕と違って、シトリーが思うことはまた異なるようだ。
しかし、確かに言うこともわかる。
精霊は空を飛べるし、門などあってないようなものだ。おとぎ話の中には一体の怒れる精霊に滅ぼされた町が幾つも出てくる。この程度の被害で済んだのは幸いだったのかもしれない。
その時、シトリーの言葉を聞きつけたのか、人員整理していた騎士の一人がどこか自慢げに言った。
「ああ。突然の精霊の襲撃に全く対応できていなかったんだが――偶然にも高レベル認定のハンターがこの町に来ていてな……迎撃戦に参加して頂けたんだ。精霊は強かったが、ハンターも強かった。激戦だったが、こうして無事雷精を追い払ってくれた。おかげで人員被害もそこまで大きくならずに済んだ、ハンター様様だよ」
雷精を迎撃できるハンター……凄いハンターもいたものだ。
一体、誰だろうか? もし出会えたらお礼を言いたいものだ。




