14:想定外の敵
連続投稿です。最新話で飛んできた方はご注意願います。
目の前で腹立たしい少年が無念の表情を浮かべて消失するのを見て、ようやく畑橋は溜飲を下げた。
たまたまうまくいったものの、激情に駆られて危うくせっかくの仕込みを台無しにしてしまうところだった。実際魔方陣を向けられてすんでのところで冷静さを取り戻さなければ、今頃畑橋は電撃に貫かれ、下手をすれば刻印の効力まで露見していたことだろう。
(やはり、始末しておいた方が無難だな)
実を言うと畑橋には、必ずしも智宏達を殺さなければならない理由はない。逃走という本来の目的を鑑みればこのまま姿をくらましてしまってもいいくらいだ。
だが、『同志』に言われた言葉を考えればそういうわけにもいかない。
『あなたの刻印の効力は、できるだけ他人に知られない方がいいと思いますよ。知られてしまえば意外にあっさりと対策ができてしまいますし、フェイントなども使いづらくなる。あなたの刻印は相手に効力を知られていないことに価値があるのです』
これから『同志』のところに行こうというこの時に、まさか自身の刻印の価値を下げてしまう訳にはいかない。
(そうだ、『同志』の言葉は正しい。私たちを騙していたこいつらも、私の言葉を信じず、貶めまでした彼も、ここで殺しておくべきなのだ!! ……そう。後ろでこの場に居合わせてしまった彼女も)
そこで畑橋は、ようやく先ほど背後で声をあげた少女の存在に意識を向ける。止せばいいのに、わざわざ畑橋達を追ってきてしまった愚鈍な少女。先ほど智宏達と話していた間も、彼女は不思議そうな表情を浮かべ、時折しきりに首をひねるばかりでほとんど話に参加してこなかった。消し飛ばすのは智宏達よりもはるかに簡単だろう。それどころか、智宏達を目の前で消されたショックでろくな抵抗もできないかもしれない。
(そうだ。『同志』も言っていたじゃないか。もう今までのルールに縛られる必要はない。私たちこそが新しいルールだ。私達が従える側なのだと!!)
『同志』の言葉を思い出し、自身を鼓舞しながら畑橋は背後を振り返る。自身がこれから消し飛ばすべき少女を見据えようとしたその眼は、しかし、なぜか目前に鱗模様を見た。
「ん?」
瞬間、突然視界が滅茶苦茶に掻き回され、足裏が地面の感覚を喪失する。顔面の神経が一斉に危険信号を脳に送り付け、脳がそれを痛みという感覚に変換したことで、ようやく畑橋は自身が殴り飛ばされたことを悟った。
(なん、だとぉぉぉぉぉおお!!)
意識が驚愕に満たされると同時、全身に激しい痛みと衝撃が襲ってくる。畑橋の体が地面に叩きつけられ、地面が皮膚のむき出しになった場所を削っているのだ。
「う、がぁ!!」
ふらつく体に鞭打って、どうにか畑橋は体を起こそうとする。それと同時に、自身を殴ったものの正体を視界に収めようとして、その存在がこちらに向けて突進してきているのを見た。
「いぃ!!」
突進してきていたのは、案の定ミシオという少女だった。だが、予想外にもその体からは黒い煙が噴き上がり、浴衣の袖や裾から伸びる細かったはずの手足は、なぜか鱗だらけの異形のそれへと変化している。とどめとばかりに頭に装着された鱗模様の兜からは、まるで爬虫類のそれのような尾がたなびいている始末だ。
そして次の瞬間、振りかぶられた少女の肘から下が、突然ドラム缶大の大きさにまで変化した。
「うぉああああ!!」
迫る危機に対して、畑橋はなりふり構わず横っ跳びに回避する。地面に転がり、さらにはい回るような無様極まりない回避行動。しかしそれは、直後にその場を通り過ぎた拳が、背後に積んであったコンクリートブロックを粉々に砕き割ったことで気にすることすらできなくなる。
(なんだこいつ!! なんだこいつ!! なんだこいつ!!)
混乱に満たされながら、それでも畑橋は自身に迫る次の危機を察知する。先ほど見てとった少女の異常な格好。その中でもひときわ異彩を放っていた兜の後ろの尾が、工事の足場に使用する鉄パイプを掴んでこちらに向けて振りかぶられているのだ。
「ギィィィィィィィイ!!」
ほとんど悲鳴に近い声を漏らしながら、回避が不可能と判断した畑橋は、とっさに自身に向けて刻印を行使する。
その瞬間、目前まで迫っていた鉄パイプは消失し、代わりに体の反対側からパイプが地面を跳ねる音が聞こえてきた。
先ほど魔術による雷撃を回避したのと同じ刻印の運用法は、しかしそれでも畑橋に安全をもたらさない。目の前には、まるでこちらを待ち構えていたとでも言うように、巨大化した拳を構える少女がいる。
「ああああああああ!!」
目の前の光景に、とっさに畑橋は自身の手を突き出すことで答える。迫りくる拳を受け止めるような動き。魔力を手の平に込めているため、拳は接触と同時に少女もろとも消し飛ばされるはずだが、その衝撃が全く手に伝わらないとも限らない。最悪腕を砕かれることすら覚悟で突き出した手はしかし、なんの手ごたえも得られないまま空を掴んだ。
見れば、直前に畑橋の手に触れることを危険と判断したらしい少女が、バックステップで体ごと畑橋から離れることで自身の安全を確保していた。
そして、少女がいったん距離をとったことで、その全身を目にすることができた畑橋は、ようやく少女の力の正体に思い当たる。
(そうか、これは報告書にあった……!!)
刻印使い発見の報告と同時期にあった、異世界で行われていた違法実験の報告書の内容が思い出される。そこにあった実験の被害者が獲得したという異能は、今目の前で少女が使っている能力の特徴とまったく同じものだった。
(ってことはこの娘、イデアの人間か!?)
報告書には被害者が獲得した異能と一緒に、被害者に関する最低限の情報が載っていた。名前どころか年齢や性別すら乗っていなかったが、それでも必要な情報と判断されたのかイデア出身の通念能力者であることはその能力にかかっている制限まで明記されていた。まさかその能力者が自身の世界であるイデアではなく、このアースで生活しているなど考えもしなかったが。
(それにしても、なんだ? この娘の冷静さは)
先ほどからの動きとあわせて考えても、決して激情に任せて飛び込んできたのではない。明らかに冷静さを伴った行動だ。とても目の前で人を消された人間の態度ではない。
「ずいぶんと冷静じゃないですか。自分の男が目の前で消滅したって言うのに」
自分を鼓舞し少女の内心を少しでも揺るがすために、畑橋は言葉を突きつける。
「あなた、わかっているんですか? 今目の前で人間が三人も消えたんですよ? さっきの二人も合わせれば合計で五人だ。それなのにその冷静さ。とても人間のメンタリティーとは思えない」
それは、畑橋自身の良心をマヒさせるための言葉でもある。相手が人でなしの類だと思えれば、畑橋も何のためらいもなく相手を消すことができる。
だが、その言葉に対して帰って来たのは、畑橋が想像すらしていなかった言葉だった。
「消えてなんかいない」
「なに?」
「本当に消えてしまう刻印だとしたら、例え後で戻すことができたとしても、自分に使おうなんて思わない。自分に使えるっていうことは、あなた自身が何かをしなくても、戻ってくることが前提の刻印ってこと」
「!?」
少女の言葉に、畑橋は先ほどとは別種の戦慄を覚える。それは畑橋が強く恐れていた領域に、少女が踏み入って来たような感覚だった。
「でも、どこかに移動する刻印でもない。もしも移動ができるならそれを使って逃げればいい。さっきみたいに消えたときとまったく同じ場所と状態で現れる意味もない」
「まさか、あなた……!!」
それ以上言わせてはならない。そう思う一方で畑橋はその意識の無意味さも同時に理解している。畑橋の予想が正しければ、目の前の少女はとうに畑橋の刻印を理解しているのだ。
「『対象を未来に送り飛ばす』。それがあなたの刻印の正体。さっきから突然現れていた小石も、あなたが智宏達が来る前に注意を引くために送り飛ばしたもの。貴方が突然消えたり現れたりするのも、自分を未来に送って一時的にこの世界から消えているから」
「……なぜ、どうして私の【失われた時間】の効力が……!!」
「【失われた時間】って言うの。この刻印」
「っぅう!!」
思わず口走ってしまった言葉をしっかりと捉えられ、畑橋はさらなる不快感に顔を歪める。なまじ脅威として意識していなかった相手なだけに、その屈辱は大きかった。
「そう考えれば、事件のときの二人がいなくなってから殺されるまでに三日間も時間が空いたことも、貴方がわざわざ両手に腕時計をしてるのも納得できる。いなくなったのはその時間分未来に飛ばされたからだし、両腕に時計をしておけば、何かを未来に送ったときにどっちの手でも時計が目に入って時間の目安にできる。いつ、どの場所に現れるかが分かっていれば、迎え撃つことも罠にかけることも簡単」
実際、畑橋は先ほど能力を行使した後に能力の全貌を知るミシオに待ち伏せを受けている。いつ出現するか分かっていたらタイミングまで合わせられて敗北していたかもしれない。
「トモヒロ達は消えてなんかいない。どれくらい未来に送られたのかは分からないけど、時間がたてば必ずこの世界に戻ってくる!!」
それは、言い逃れもしようのないほど完璧な解答だった。能力の内容はおろか、それをどう使っていたかまで完全に看破されている。
だが、そうなると一つ、無視できない疑問が残る。
「あなた……、一体なぜそんなことまで知っている!! あなたがこの場に現れたのはついさっきのはずだ。通念能力だって、情報だと触れなければ使えなかったはず!! まさかずっと隠れて見ていたとでも言うのか!!」
「これは全部トモヒロが教えてくれたこと。ここで何があったかも、あなたの刻印の正体も、さっきトモヒロが全部教えてくれた」
「な、に……?」
矛盾に満ちた答えに、畑橋はしばし混乱を覚える。少女が報告にあった被害者と同一人物なら、その能力は他人の心を読むとき相手に触れていなければならない。なのに少女は、触れてもいない智宏の心を読んだかのような発言をしている。
「確かに私の能力は、相手に触れていなければ心を読めないはずだった。だけど私は、今日お祭りに行く直前くらいから、何度か触ってないはずのトモヒロの声を感じてる」
「……!?」
「最初はぼんやりとしていて気のせいかとも思ったけど、さっきトモヒロ消える直前に抱いていた意思はしっかりと読み取れた。感じられるのはトモヒロの意思だけみたいだけど、それでも私の能力は、この世界に来て少し強くなったみたい」
「!!」
瞬間、少女周囲で暴風のように黒い霧が荒れ狂う。同時に少女は躊躇なく浴衣の帯を解きはなち、現れた黒い霧に包まれた体の表面に、鱗におおわれた鎧のようなものが作り上げる。
完成するのは、竜鱗の鎧の上に浴衣をはおったようなこの世界の物とは違う戦装束だ。
「あなたには、もう何もさせない。智宏達になにもできないように殴り倒して、そのままレンドに引き渡す!!」
その瞬間、畑橋にとって全く眼中になかった少女が、最大の脅威となって立ちはだかった。
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