17:手にした魔力
地面が消え、視界が切り替わる感覚と共に顔面に強烈な拳がめり込む。
「ぐ、う!!」
それでも負けじと付きつけた魔方陣の先は、再びの場所の変化で虚空へと変わる。
同時に襲ってくるのは、胸倉を掴まれる乱暴な感覚。
(っ!!)
ほとんど反射に近い速度の思考で、腕で腹をガードする。すると間一髪、渦のはなった膝蹴りがそのガードによって阻まれ、同時に胸倉を掴んでいた手が離れていく。
(させ、るか!)
着地と同時に地面をけり、こちらとの距離をあけようとする渦に肉薄する。
渦と戦う上で、智宏が最初に取った対策は、まず超のつく接近戦だ。渦の能力はどれだけ距離をおいてもそれを好きなタイミングで無力化できるものだ。そんな能力を相手に距離を置いて戦っても優位には立てない。遠距離で攻撃できる魔術を発動しても、位置を変えられて見当違いの方向に放つはめになるのは目に見えているし、下手をするとはなった攻撃の盾としてトモヒロ本人が使われてしまう可能性すらある。
故に接近戦。それも、相手の体を死角として使えるほどの超の付く接近戦だ。
だが、相手もそれを理解している以上、易々と距離を詰めさせない。
「あまりよるな」
距離を詰めようとする智宏に対し、渦はその顔の先に手を突きつけることで対応する。智宏が相手の意図を理解すると同時に、現れた海水が智宏の顔に大量に浴びせられた。
「っ!!」
混乱はしない。だがかけられた海水は、智宏の眼に入り込み一時的に視界を奪う。そして瞬きによってその痛みから回復する頃には、すでに渦の拳は振りかぶられている。
「ご、あ……!!」
顔、ひいては脳への攻撃が効かないものと判断したのか、今度狙われたのは胸だった。胸に突き刺さる拳の勢いに身を任せ、できるだけ衝撃を受け流すように身を捻る。肺を強打されて乱れた呼吸と、倒れそうになる体を強引に立て直し、再び智宏は間合いを詰めにかかる。
対策と言うなら、このダメージコントロールも対策と言えるだろう。相手の拳が回避不能だというのなら、食らってから攻撃に対処するしかない。受けるダメージをできるだけ小さくし、危険な個所への攻撃を牽制する。同じ殴られるにしても、衝撃を受け流すなどして致命傷となるものを避け、眼つぶしなどの危険な攻撃を防御したり隠したりして回避する。対策と言うには余りにも効果が薄い策だったが、それでもやらないよりはましだった。
幸いなことに智宏の体は世界を超えたことでかなり丈夫になっている。さらに言うなら前の世界で気功術を身につけていたのも幸いした。気功術の効果で骨や筋組織を強化することで体自体の頑丈さを底上げし、受けたダメージを血属性の魔力で治療する。そのかいもあり、すでに十発以上殴られているにも関わらず智宏は骨を折られるような事態にさえなっていなかった。
だが、それだけの異能を同時に使用して、なお智宏は思ってしまう。
(……強い!!)
確かに最近急に得てしまった戦闘経験のなかでも危険な相手というのはいた。能力の強さで言うなら、条件が限定されはするものの刻印使いであるオチシロの方が強力な能力を持っていたし、応用性なら魔術や葉鳥の能力の方が上だろう。
だがこの敵は、今までの敵が至っていなかった、自身の能力を完全に使いこなすという領域に至っている。
オチシロのように能力に振り回されているわけでもない。葉鳥やエイガのように能力の強さの上に胡坐をかいているわけでもない。強いて言うなら魔術とコンビネーションで戦っていたアルダスとウンベルトあたりが近いかもしれないが、それよりはるかに高いレベル。
自身の能力を把握し、効果的な運用法を熟知し、それを最適に、効果的に運用する。そういう意味での強さは、智宏が異世界に飛ばされてから出会った敵の中でもトップになるだろう相手だった。
(多分、こいつもプロだ。それもエデンであった連中よりはるかに上の!!)
さらに言えば、場所も悪い。先ほどのように砂浜ならばまだ砂煙で煙幕を張るという手にも出られたが、ここは岩場。それも海からは若干離れているため、海に魔術を打ち込んで蒸気を発生させても、遠すぎて煙幕がここまで届かず役に立たない。そういうところでも対策をきっちりと封じられている。
それゆえに防戦一方。事実上智宏は、反撃に成功することなく一方的に殴られているような状態だった。いくら攻撃から身を守っていてもダメージは体中に蓄積しているし、脳への攻撃による脳機能へのダメージを【集積演算】で相殺しているため、魔力の消耗も激しい。先ほど二割を切っていた魔力量は、ついにその量を一割近くにまで減らしていた。
(くそ! このままじゃ――)
「――らちがあかんな」
(!?)
智宏の考えを代弁し、しかしそれが渦の認識であったことを証明するように、左手が素早く腰の後ろに回される。同時に右手を振りかぶり、何かを握った左手がそれに追随する。
(っ!! ――【鉄甲】!!)
とっさに魔術を発動すると同時、景色が切り替わる。
次の瞬間に智宏を襲ったのは、不可避の掌と、それに追随した必殺の凶刃だった。
ぼろぼろのトラックに追い付くのに、今の栄河の足は十分も必要としなかった。
巨大化した腕で荷台をつかみ、それを引き剥がそうと寄って来た水瀬を蹴り飛ばす形でその上に飛び乗る。
そんな普通では考えられない力技が、今の栄河にはいともたやすく行えた。
「ミナ姉!!」
運転席の壁に叩きつけられた水瀬に、海人が声を上げる。肝心のミシオは意識を失った状態で荷台に転がっていた。
「渡、さない……!!」
そのミシオを、水瀬がすがりつくように抱きしめる。
「……絶対に、あんたなんかに!!」
呻くような声で水瀬はそう宣言する。まだ運転席の壁に叩きつけられたダメージは残っているはずだったが、その眼には今までにないほどの反抗の光が宿っていた。
「いいねぇ、興が乗った」
その光に、栄河は強く触発される。自分に反抗する人間の強い意志。それをこの場でどうすれば折ることができるか。
答えはすぐに導き出せた。
「じゃあ、試験開始だぁ!!」
気分を高揚させ、栄河は荷台から飛び上がる。向かう先は水瀬の向こう側、トラックの運転席の真上だ。
「うわぁっ!?」
運転席の中で海人が驚きを交えた悲鳴を上げる。
だがその声を上げるのはまだ早い。そう思いながら栄河は、自身の手を鱗だらけのそれに変え、思いきりトラックのフロントガラスに叩きつけた。
ガラスの割れるけたたましい音と共に、車体が大きく揺れる。水瀬の体がミシオを抱えたまま荷台の隅から隅へ対角線上に転がり、栄河の鱗だらけの腕が運転席の天井の端を掴む。
「海人!!」
水瀬が悲鳴を上げるがもう遅い。割れたガラスで傷だらけになった海人は、運転席で栄河によってその首を鷲掴みにされていた。いつでも命を奪えるように、爪を頸動脈にしっかりと突きつけ、さらにアクセルやブレーキを踏めないようにカイルの体を持ち上げておく。運転席の上から行うにはかなり無理な体制だったが、それは妖装の腕の長さを調節することで解決した。
結果的に栄河は運転席の上に、前方に背中を向ける形で張り付く形となる。
「おっと、運転が乱れてるぜ?」
運転手に対する暴挙によって、激しく揺れる車体を、栄河は尻尾でハンドルを操作することで安定させる。いくら対向車もなく、カーブまで間がある道路だったとはいえ、これだけのことをしてハンドル操作を誤らなかったのは奇跡に近かった。その点でだけは、栄河も海人を褒めてやるべきかもしれないと思う。
「放せ、放せこのっ!!」
「暴れるなよぉ。お前さんは大切な人質なんだからよぉ。んで、水瀬さんに問題なんですがぁ、このままミシオを抱きしめたまま海人の首から血が噴き出すのを見るのと、ミシオを渡して俺がこの車から降りるの、どっちがいい? 制限時間は車がカーブにぶつかるまで、さあ、どっち?」
荷台の隅でミシオを抱きかかえながらうずくまる水瀬に、栄河はそう質問を投げかける。
ミシオの命と自分と海人の命。その二つを天秤にかけさせる残酷な問いに、流石に水瀬は色を失う。もしここで海人が死ねば、水瀬だけでなく同じくトラックに乗っているミシオもトラックの事故に巻き込まれるだろう。冷静に考えるなら、ここはミシオを手放して時間稼ぎを図るべきところだ。
(でも、一度でもそうすれば渡さないっていう決意は折れるぜぇ。さあ、どうする? お前はどっちを選――!?)
愉悦に満ちた思考はしかし自身を襲う奇妙な感覚によって中断される。まるで誰かに肩を掴まれたようなそんな感覚。
(――なっ!? いったい誰がっ!?)
感覚に驚きながらも、慌てて背後、トラックの前へと振り返る。だが、そこにはカーブを目前に控えた闇があるばかりで、人らしきものは一人も見当たらない。それどころか移動中のトラックでこの場所に立つことなど不可能だ。そもそも、霧で体を覆っている栄河に、あそこまではっきりとした感覚など感じられるわけがない。
(まさか……!!)
今頃になって先ほどの感覚の違和感に気が付く。まるで自分の感覚でないような、誰かが感じている感覚を押し付けられて、それを自分の感覚だと錯覚していたような違和感。何よりも肩に感じた感覚が、誰かに抱きかかえられているようなものだったという事実。
(まさか!?)
慌てて背後を振り返るがもう遅い。振り返る先にはすでに、自分と同質の魔力を放つ影が迫っている。
「っぐぅ!!」
影の巨大な腕に顔面を殴られ、栄河の体が宙に浮きあがる。慌てて海人を掴んでいた腕を消し、天井の端をそれぞれの手で掴んで踏みとどまる。
「え?」
「なっ!?」
水瀬と海人が揃って驚きの声を上げるが、それを気にする余裕はない。影は栄河に対し既に追撃の構えを見せている。
ほとんどギリギリのタイミングで、栄河は両手を天井から放し、迫る巨大な拳を受け止めた。
だが、そこで気が付く。妖装によって得た今までの自分にはなかった器官、すなわち竜猿人の尾が、トラックのハンドルに絡みついたまま引っ張られ、車体を思いきり左に曲がらせていることに。
「しまっ――!!」
慌てて尻尾を消すが、それはもはや逆効果にしかならない。
急激に左に旋回してトラックは、そのままガードレールの激突し、巨大な衝撃を乗る者たちに叩きつけた。
「ぬ、ああああああ!!」
海人や水瀬は、あらかじめ誰かに指示されていたように車体にしがみついていたためことなきを得た。だが、腕を防御に使い、捕まることすらしていなかった栄河の体は、当然のように背後へと投げ出される。背後にあるのは、ミシオが今まで根城にしていた森だ。
「てっ、んめぇえええええええ!!」
そして正面、栄河がトラックから投げ出されると同時に飛び出した黒い影は、空中でふたたびその拳を巨大化させ、振りかぶっている。
「ミシオォオオオオオ!!」
三度目の拳撃がエイガの構えた腕に激突する。
空中で受けた強力な打撃に吹き飛ばされ、栄河の体が森の奥へと飛んでいく。元から道路を上にした傾斜になっていたこともあり、栄河が地面に叩きつけられるころには、すでに森の相当深くまでたどり着いていた。
そしてその場所は、当然のようにトラップが待ち構えている。
「チィッ!!」
栄河が落ちた場所を狙うように、大量の石が降ってくる。どれも拳大の大きさで、まともに食らえば怪我では済まない攻撃。
「調子に、乗りすぎだぁ!!」
だがそんな石を、栄河は黒い霧状の魔力を纏うことで無力化する。ぶつかる石の勢いを鎧によって殺し、鱗だらけの腕で飛来する石を弾き飛ばす。
それが終わったころにようやく、小柄な影が目の前に着地した。黒い霧を纏い、右腕を竜猿人の鱗だらけのそれに変貌させたミシオが。
「……考えてみりゃあ当然だな。俺はお前と同じ条件で改造されてんだ。だったら与えられてる魔力も同じものに決まっている」
「……そう。気が付いたら簡単だった。何しろ私は、実物を間近で見てるから」
栄河の呟きに、ミシオもようやく口を開く。その声は怪我のせいか弱々しいものだったが、口調から感じる意思は、今までで一番強いものだった。
「もう、みんなのもとへも行かせない。あなたはこの森でやっつける!!」
「上等だぁ!! いいぜ、望むところだよ!! 貶めてやるぞミシオォッ!!」
森の中に僅かに注ぐ月明かりのもと、二人の悪魔憑きが黒い霧と共に激突した。
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