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CROSS WORLD ―五世界交錯のレキハ―  作者: 数札霜月
第二章 第二世界イデア
38/103

16:たった一つの大切な理由

 海から引き揚げられたミシオを介抱し、その息が吹き返すのを確認した智宏は、そのそばで自分の傷の手当てを行っていた。

 葉鳥という小金属を操る超能力者、その襲撃によって体のあちこちに負った傷である。

 それまではミシオのもとに駆けつけ、その介抱のためそれどころではなかったが、介抱している最中もミシオの服に血が付くほど出血しているとなれば、流石に放っておくわけにもいかなかった。

 そしてそのとき初めて試したのが異世界で自分が受けた治療法、気功術だ。

 最初こそ手を触れ、傷口を抑えるようにして行っていたが、慣れてくると自身の傷口に魔力を集中させるだけで行えるようになってくる。

 そうして血が止まり、傷口が目立たなくなるまで治った頃、


 智宏の視界が突然切り替わり、同時に強烈な拳撃が頭を襲った。

 丁度今のように。






(ぐ、あ……!!)


 頭に食らった一撃に強烈に脳を揺さぶられ、智宏の思考能力が急激に低下する。

 何も思考能力だけではない。脳が揺さぶられたことでバランス感覚が失われ、目の焦点が合わず、手足に力が入らなくなる。脳震盪を起し、脳機能が低下した結果だろう。

 だが、


(――【集積演算(スマートブレイン)】!!)


 それに対して智宏は、額の刻印に流す魔力を増やし、自身の脳の機能を強化することで対処した。

 低下した脳機能を強化することで底上げし、瞬く間に体の制御を回復する。

 結果として智宏は、倒れる直前には体勢を立て直し、背後の男から距離をとることに成功した。


「驚いた。確かに行動不能になる一撃のはずなのだがな」


 距離を取り、向きなおったその先で、帽子を目深にかぶった大柄な男が表情をまるで変えずにそう言った。やはり今の状況は先ほどミシオから引き離された時と同じらしい。ただし先ほどは森に僅かに入ったところに移動させられたのに対し、今智宏達がいる場所は、先ほどミシオを介抱した岩場だった。よく見ると遠くに今までいたはずの砂浜も見える。


「くそ、こうなることを警戒して煙幕を張ってたはずなんだけどな」


「ほう? 私の能力を一度で見抜いていたのか?」


「テレポートか何かだろう? 超能力としてはサイコキネシスと並んでメジャーな能力だ。それに、例えわからなくても位置がわからなければ狙えない」


 一瞬で別の場所に移動する。それはテレポートの余りにもわかりやすい特徴だ。二回とも恐らくテレポートで智宏を自身の間合いまで引きよせ、現れたところを殴り倒したのだろう。


(いや……! こいつの場合、引き寄せて殴ったと言うよりも、拳の軌道上に僕を呼び出したと見た方がいいか? 現れるとほぼ同時に殴られたこともその方が納得できる)


 相手の能力を分析しつつ、同時に現状も分析し焦りを覚える。どう考えても状況は最悪だった。魔術というアドバンテージを持つ智宏の存在によってようやく抑えられていたエイガから、そのストッパーである智宏がまんまと引き離されてしまったのだ。妖装という異能を操るエイガが相手では、あの場にいる漁師たちでは時間稼ぎにもなるまい。

 こちらに智宏が呼び出されてしまったことで、事実上エイガは自由を得たと言っていい。それほど致命的な逆転が一瞬にして行われてしまったのだ。


「くそ、位置さえわからなければ能力も使えないと思っていたんだがな」


「生憎だったな。ごく最近、砂殿栄河の能力は急成長している。それまでは他人の視界を盗み見るだけだったようだが、今は自身の視界を他人に見せることもできるのだ」


「それで僕の居場所の見当をつけて引き寄せたってことか。……いや、それとも見えればテレポートさせられるのか?」


「……」


 エイガが使ったのは恐らくミシオの使う感覚投影と同じものだろう。話から察するに視覚だけのようだが、それでもこの相手との相性は抜群だ。現に使われたとたんにこうして智宏は窮地に立たされている。


(いや、違うか。窮地に立たされているのはミシオだ)


 エイガが自由になった今、あの男がそのままミシオを逃がすとは考えにくい。町に逃げ込むことでこの世界の警察が本格的に動く可能性を考えても、あの男自身のミシオへの執着を考えれば、追撃をかけるのは明らかだ。むしろ警察の存在は間に合わないだろうことを思えばエイガに追撃を促す要因にしかなるまい。ミシオの安全を考えれば大至急彼女のもとへ向かわなければならない。

そのためには、


「どうやらあんたを倒さないとミシオのところには行けないようだな」


「そういうことだ」


 にらみ合いは起こる暇もなかった。

 瞬間的に魔方陣を展開しようとした智宏の顔面に、男の右拳が突き刺さる。


「ぐっ、う!!」


 反射的にうめき、それでも、魔術で反撃しようと手を前に向けるが、


「がぁ!!」


 視界が唐突に切り替わり、同時に側頭部を襲った衝撃によってそれを封殺された。

 直前まで前にいた男は背後に回り、その右裏拳が智宏を直撃している。


(いや、違う。僕が背後に移動させられたんだ!!)


 互いの位置をすぐさま把握してそう判断し、よろめきながらも振り返り、再び魔方陣を向け直す。


「ぐっ!!」


 しかし再び顔面を襲った衝撃が、それを完全に封殺してのけた。

 再び繰り出された右手による正拳に、一瞬だけ智宏の意識が消えかける。

 だが、


(そうか、こいつ……!!)


 【集積演算(スマートブレイン)】で脳機能を回復させると同時に、智宏は相手の能力を看破していた。


「右手、だけだ……!!」


「む……!?」


 智宏の言葉に、相手の動きが止まる。その反応からしてどうやら正解のようだ。


「さっきからの攻撃、あんたは右手の周辺にしか僕を呼び出していない。自分が移動した方が良さそうな局面でもそうしていない。あんたのテレポート、どうやら対象を自分の右手の(・・・・・・)周辺にしか(・・・・・)呼び出せないようだな」


「……驚いた。見破ったこともそうだが、まだまともにものを思考することができるとはな」


 目の前の男からの攻撃は計五回。そしてその全てが右手で行われていた。最初の二回はそれでもまだ納得できるが、後の三発はすべて右手で行う必要はない。自由な場所に転移させられるのなら、より力の強い足なども使って徹底的に打ちのめす方法もある。何より、すべての攻撃が転移とほぼ同時になされているという事実が決定的だった。

 攻撃を防ぐのにわざわざ智宏を背後へ転移させたことも大きい。自身が移動するのではなく、わざわざ相手を背後に呼び出すと言う事は、自分をどこかに移動させることができないという証拠だ。

 『視界に収めた相手を右手周辺にテレポートさせる』。それこそがこの相手の持つ能力なのだ。


(……とはいえ)


わかったからと言って勝てるかどうかとなれば話は別だ。自分だろうが他人だろうが無尽蔵に好きな場所に移動させられるわけではないというのは確かに救いではあるが、逆に言えば右手の周辺ならば自由にものを呼び出せることになる。

 先ほどから行われている攻撃、インパクトの瞬間に拳の軌道上に相手を呼び出しているらしいが、そうだとすると攻撃を避けることはまず不可能と考えた方がいい。なにしろ呼び出された瞬間には拳がヒットするのだ。たとえ防御を固めてもその隙間を自由に狙えるとなれば防ぐことはもう不可能だ。


「予想どおりだ刻印使い。逃げられないことまで含めてな。私の前では回避も逃走も意味をなさん。渦にのまれたものがその中心へと引き寄せられるように、すべてこの拳が引き寄せる――」


 言葉と共に、男は六発目の拳を振りかぶる。身がまえ、反撃の糸口を探す智宏をあざ笑うかのように拳は空を貫き、


「――ゆえに私は渦と名乗っているのだ」


 言葉と共に景色が切り替わり、視界に現れた回避不能の拳が智宏の顔面に突き刺さった。






 トラックの荷台で周りの風景を見る。

坂を登り、村を出る道へと入り込む。左右に森が現れ、水瀬達を光ある村から遠ざける。

 しかし左右の森の内、左に広がっているのはミシオが長い間隠れ家としていた森だ。もともとミシオの家の私有地で名前はなかったが、ミシオが住み着いたことでミシオの森などと呼ばれている。

 道路の左右に電線を通じて送られてくる電気もなく。道を照らす申し訳程度の明かりもない森の中で、今ミナセの膝の上で眠る少女は三年もの間耐えてきたのかと思うと、水瀬はどうしようもなく辛い気分になった。

 幼い頃、今の夫である海流や、その弟の海人と遊ぶとき、いつの間にか後ろからついてくるようになった妹のような少女。

 兄弟姉妹のように共に過ごし、遊び、ときには喧嘩したりして過ごした時代は、三年前のあの日、ミシオの祖父、波晃の死と共に終わりを告げる。

両親を亡くしたミシオの唯一の肉親が死に、その財産を相続する立場となったミシオをめぐり、彼女の親戚たちはかなり争ったらしい。もしかしたらそのとき、純粋にミシオを心配してくれていた親戚もいたのかもしれないが、最終的に、ほかの意見を封殺する形でやってきたのがあの砂殿親子だった。

 その後の展開は一方的だった。ミシオの様子は明らかにおかしくなり、ついには一時期行方をくらませるまでに至った。事態を重く見た大人たちが、砂殿を問い詰めに行き、帰って来た時には逆に何かを突きつけられたような深刻極まりない顔をしていた。

 そしてその数日後、ミシオが森にいることを突き止めた水瀬達三人は、そこでミシオに決別を突きつけられる。

 今でも思い出す。「私が何とかする」というミシオに対し、その言葉を信じることしかできなかった無力感。海人などは本で調べ上げた法律の知識を吹き込むことはしていたようだが、それでもなにもできなかったと感じていることに変わりはない。

 思えば海人が都会の学校を目指せるほど勉強し始めたきっかけは、いざというときにミシオに知恵を貸せる存在になりたかったことなのかもしれない。


(だから、守る。この娘を今度こそ!)


 そう決意し、水瀬はふたたび眠るミシオに目を向ける。現在ミシオは消毒と止血だけを行った状態でミナセの膝を枕に眠っている。背中の傷は深くはないようだが出血が激しく、とりあえず服の破れ目からタオルを押し込み、その上から着物の帯で縛って圧迫することで、どうにか止血している状態だ。

 うつぶせに寝かせた華奢な体に、ボロトラックの激しい揺れが響かないか心配ではあったが、こればかりはどうしようもない。何しろ普通なら始末しているだろう骨董品を、修理に修理を重ねて使っているような状態なのだ。


「ミナ姉、シオちゃんの様子はどんな状態だ?」


「よく寝てるよ。今のところ特に苦しそうってこともない」


 背後の運転席にいる海人にそう答え、水瀬は少しだけ意識をミシオから村へと向ける。

 村が今頃どうなっているのかは、正直想像もつかない。途中で乱入してきた能力者らしき(・・・・・・)少年は味方ではあるようだったが、それでも相手の栄河はなにやら得体の知れない変貌を遂げている。


「あれ、なんだったんだろうな……」


「……わからない。私はシオちゃんとあいつの会話も、ちゃんと聞けたわけでもないし……」


「俺、少しだけ話を聞きとれたけど、異世界やら改造やらって訳の分からないことばっかだったよ。後分かったのはエイガがやばいってことだけだ。シオちゃんにこだわってる理由はなんか話してたけど、俺には正直それが正気でいってたかどうかもわからない」


「……もしかしたら、シオちゃんは私たちが考えているよりもずっと危険な目に遭ってたのかもしれないね。それこそ栄河みたいな化け物がいるような状況に……」


「兄貴は、大丈夫なのかな……」


 そこで海人は、水瀬も気になっていたもう一人の名前を紡ぎだす。今ここにいない彼女の夫。話からすると、重傷を負ったという話だが、今生きているのかどうかもわからない。


「……いや、兄貴ならきっと生きてるな」


「え?」


「きっと生きてる。兄貴は能力者だし、そう簡単には殺せない。それでも、もし重傷を負ったってのが本当なら、行くところは一か所しかない」


「……病院?」


「そうだ。これから俺達が行くところだ」


 それは彼なりの励ましだったのだろう。そう思ったことで、初めて水瀬は自分の心境が良くない方向に進んでいたことを自覚する。危険な目に遭い、ついつい思考がマイナスな方向に向きがちだが、今はやるべきことがある。それに集中するためにはくよくよしてはいられない。


「ん? 何だ?」


「どうしたの?」


「いや、今バックミラーに何か……」


「え?」


 言われ、水瀬も車の後ろに注目する。背後に広がる暗闇、だが、ほんの一瞬、トラックの横を通過した街灯が、その場所にさしかかったとき、水瀬の視線は確かにその存在を捕らえた。


「……な!?」


 背後で海人が驚きの声をあげるのを聞きながら、水瀬もその姿を確認する。暗闇でどす黒い煙に包まれているというのに、なおはっきりと見える異形の姿。今の三人にとって間違いなく最悪の化け物。


「砂殿――、栄河!!」


「見ぃぃぃぃぃいつけたぁあああ!!」


 驚く二人と視線が合い、栄河が雄叫びを上げる。上半身を下半身を異形のそれに変えた栄河が、信じがたい速度でこちらに走って来ていた。


「くそ!! なんであいつがここに!? 親父達はどうなったんだ!?」


「そんなことはいい!! 今はとにかくスピードをあげて!!」


「これで精いっぱいだ! このオンボロにそんなスピード出せねぇよ!!」


「っ!!」


 自身が乗る車のあまりの不甲斐無さに、流石の水瀬も不満を覚える。だが、現在出している速度も相当のものだ。そう考えればこの車に追い付こうとしている栄河が異常ともいえる。


(でも、どうしてそんなことができるの? 栄河の能力って確か趣味の悪い盗視能力だったはず……。能力じゃない?)


「とにかく全速力で逃げる!! ミナ姉はシオちゃん抱えてしっかり掴まっててくれ!!」


「わかった!!」


 返事をしながら、しかし水瀬は絶望的な気分で背後を意識する。短時間でトラックを追って来れる化け物を相手に、この骨董品はあまりにも分が悪い。






 まだ幼い頃、ミシオは遊んでいて足をくじいたことがある。今にして思えばたいしたことのない怪我だったが、幼かったミシオにはそれは大きな問題で、痛みに歩けないという事態に大泣きしたのをよく覚えている。


『おう、嬢ちゃんどうした?』


 そんなとき、ミシオに手を貸し、家まで運んでくれたのはセンリだった。

 大きな背中に背負われて、普段より遙かに高い視界に感動したのも覚えている。


(……そう、他にも……)


 トラックに乗せてもらい、カイル達と町まで遊びに言ったこともある。

 駐在のおじさんにはよくお菓子をもらっていた。

 埼頼(さきらい)のおばさんには遅くまで遊んでいるとよく注意された。

 他にも、他にも、他にも、他にも、他にも。

 遊んだ思い出も、がんばった思い出も、怒られた思い出も、楽しい思い出も、辛い思い出も。

 ミシオの記憶によみがえる思い出は皆村の人々との思い出ばかりだ。


(……ああ、そうだ。あの村は、私の家族だったんだ……)


 三年の月日の中で、忘れかけていた彼らと触れ合う際の暖かな感覚。両親と同じ家族のような、ぬくもりのある暖かな感覚。その感覚が急速にミシオの中に蘇っていく。


『なんのために!!』


 智宏と別れる際、背後からかけられた言葉を思い出す。あのときミシオは責任だと答えた。村の人たちを自分の家のトラブルに巻き込んでしまった責任だと。確かにそういう思いが無かったわけではない。村で昔のように暮らしたいという、ミシオ自身が抱く願望もあった。

 だが、結局のところ、ミシオが心の底から抱いていた理由はもっと単純なのだ。


(そうだ……。だから守ろうと思ったんだ)


 この三年間、辛くなかったと言えば間違いなく嘘になる。むしろ辛いことばかりだったと言ってもいい。

 暗い森の中で一人で暮らすなか、心細さを覚えたことは数えきれないほどある。

 他人を巻き込むのを避けるため、学校に行っても極力人を避けていたし、そもそも学校にも自身の生存をアピールするための最低限しか行っていない。

 サデンの息のかかった者たちに命を狙われたことは何度もあったし、そのうち一度はかなり危険な状態にまで陥り、傷だらけ、痣だらけになりながら命からがら逃げたこともある。

 だが、それでもミシオはこの場所に留まって来たのだ。大切な家族を守るために。例え、もうその輪の中に入ることができなくなったとしても。


(帰ろう。答えを言い直しに、家族に会いに――)


 体に力が戻ってくる。薄れていた感覚が記憶と共によみがえる。まるでミシオの意志に答えるように。


(――私の家族を、守りに行かなきゃ)


 それが、彼女が戦う理由。彼女を支えるたった一つの大切な理由。


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