7:動き出す状況
「それじゃそれだけ頼む。んじゃぁ待ってるから」
こちらに来るという智宏にいくつかの頼み事をした後、その言葉を最後に、レンドは通信用魔石への魔力供給を絶った。科学文明の産物である電話と違って、魔石の起動には多少ではあるが使う本人の魔力を消費する。だが、それでも通信の際にメインとなるのは電話の充電と同じように使用していない間に魔石がため込んでいる魔力だ。しかしその魔力は無限にある訳ではないし、あまり長く話すには容量も少ない。
余談だが、そういったエネルギーの問題はもろに魔術文明の弱点とも言える。だからこそレンド達は異世界に期待しているくらいなのだ。
現在レンドは通信の邪魔にならないようアジトにしているビルの屋上まで出てきている。離れた地面に描かれている、起動していない異世界転移用の魔方陣の群れを眺め、風にあたりながら、レンドは一つだけため息をついた。
「それにしても……、智宏の刻印、思いのほか危ない代物だな」
話している途中から、もっと言えばエデンで刻印使用後の感情のぶり返しについて聞いたときから感じていた懸念を、今レンドは確信する。
エデンでも、さっきの話でも、普通の人間なら躊躇したり恐怖してできないであろう行為を、しかし智宏は平気で行っていた。
「最大の問題はトモヒロが感情を無視できちまうって点か」
どんなに感情を乱していても思考が最善の答えを叩きだす。恐怖がどれだけ大きくともその答えに従って動くことができる。それによって出来てしまう感情の無視。だからこそトモヒロは平気で危険に跳びこめてしまう。
「まあ、それはあいつの価値観の問題なのかもしれないが……」
どうもトモヒロという少年は自分の身を危険にさらすことが、必要ならすべきと考えてしまうタイプの人間らしい。もし他の人間が脳を強化する刻印で最善の判断ができるとしても、その最善の形は人によって異なる。もし最善の形が自身の身の安全に重きを置いていたら流石にレンドもこんな懸念は抱かなかっただろう。
だが、トモヒロの思考回路はそうではない。
恐らくトモヒロは、自分が危険を冒すことで他人を救えるのなら、そうすることが最善だと思ってしまうタイプのお人好しな人間だ。ここで伴うリスクが智宏自身の死であったり、救われる立場の他人が見も知りもしない他人だったらさすがに話は変わってくるかもしれないが、それでも危なっかしいことに変わりはない。
危機に陥っている他者をリスクを負っても救うことができる価値観と、その価値観のもと、最善の答えを叩きだせる能力。
前者だけなら一部の職業についている人間に多少なりとも見られる精神だし、後者が揃っても、ここまで極端ではないものの、そういう人間は多く存在している。そもそもレンドに言わせれば人間というのは美しい行動をとりたがる生き物だ。自身を危険にさらしても他者を救うということに対し一定の憧れという感情をもっている。
だが、それが実際に直面した状況でできるかと言われれば話は別だ。
普通であれば、感情がその行動を阻害する。恐怖によって行動は制限され、英雄的行動の前に自身の安全を考える。なにもそれは悪いことではない。恐怖という感情は生物が自身を守るために身につけた警報装置だ。それが無ければその人間は生物として限りなく弱い存在になってしまう。恐怖のもとに下される判断というのは、生物として生き残る上で必要な能力なのだ。
だが、智宏の刻印はこれを制御できる。警報装置が無いわけではないが、警報装置を意識的に無効化することができてしまう。そして警報装置が動かない建物ほど防犯上危険な建物もないだろう。
(言ってしまえば、最善の判断ができる分、その判断に従わないことができないってところか。下手な感情に引きずられて、愚かな行動をとることが許せないってのもあるのかな。だとしたらもっとたちが悪い)
自身の身を危険にさらし、命をかけるには覚悟が必要だ。間違っても合理的だからなどと言う理由で行っていいものではない。そしてだからこそレンドは刻印を使わない状況で判断を下させたのだ。
「これからも智宏の様子は注意して見てなきゃいけないかもな……。さて、と。とりあえず俺はサデンマクラについて探ってみるか……」
思考を切り替え、レンドは建物の中の同僚のもとへ戻った。
拾った木の枝をワイヤーに引っ掛け、わざとトラップを発動させる。すると木の上からロープで吊られたドラム缶が振り子のようにワイヤーの真上を薙ぎ払った。
智宏はドラム缶が位置エネルギーを使いつくし、その動きが鈍るのを待つと、ドラム缶をつっているロープをつかみ、その動きを止めた。
宙に浮くドラム缶を足場にし、それによってようやく手が届く位置にある太い枝に手を伸ばす。
そうすることでようやく上った木の上で、智宏はあきれに近い感情を抱いていた。
「まったく、トラップと見せかけてルートへ昇る足場とか、本当によくやるよ……」
現在智宏はミシオ家から森の外にある暦波町と魚寝村を結ぶ道路に出ようとしている。
本当は最初にミシオが森に入っている痕跡を見つけた、街の外れにあるアパートの破れたフェンスの場所を目指したいのだが、最初に智宏がその場所から森に入ったとき、フェンスのあった場所ではトラップに阻まれて家に向かうルートを見つけることができず、森伝いに歩いてようやくこのルートに気が付いたという経緯があるため、最初に入ったフェンスの位置に通じるルートは知らないのだ。
今なら探せば見つけることは出来ると思うが、すでに日も暮れて暗い中で、罠を避けながら森の中を歩くというのは刻印や気功術を使っても至難の業だ。
だからこそ一度通ったルートを強化された記憶力を頼りに歩いているのである。
「本当に……、よくもまあこんなトラップを森中に仕掛けるなんて面倒な真似をしたもんだ」
木の上にあったロープを引っ張って、木の下にあるドラム缶を元の位置まで引き戻す。
本人に会えなかった以上、誰かが家まで侵入した痕跡など残せば、ミシオに余計な不安を与えてしまう。レンドの提案で、家の中に通信機を置いて来たので、いずれはばれることではあるのだが、この森への侵入を考えている輩が他にもいるかもしれない状況で、侵入の痕跡を残すのはあまり得策ではない。下手をすると智宏が通った痕跡をたどられてミシオを危険にさらしてしまう恐れすらあるのだ。
最終的に智宏が選んだのは自分が来た痕跡を出来るだけ抹消しながら帰ると言う、ほとんど泥棒のような発想だった。
「……オーケー、悲しくなるから余計なことは考えないようにしようか」
自分に言い聞かせ、智宏は【集積演算】で上がっていた思考の回転数を落としにかかった。極端な話、ここから出るためには来た道を覚えている記憶力があればいい。
森の中を歩いている途中で気が付いたのだが、どうもこの【集積演算】と言う刻印は、智宏の思考の意志によってある程度出力を調節できるらしい。より多くの魔力を注ぎ込めば思考のスピードが上がり、同時に考えることのできる数も増え、逆に減らせば記憶力の向上と身体操作能力の向上だけの部分的な発動が出来る。要は考えないようにするということもできるにはできるのだ。
(でも、それはやっぱり難しいかな……。思考が加速してるとどうしてもいろいろ考え始めちゃうし……)
考えながら、智宏は視界の先にようやく森の出口が見えてきたことに内心でほっとし、しかし同時に後ろ髪を引かれるような思いも感じる。
智宏自身、自分がミシオのために何かをしようとして役に立つかと考えた場合、恐らく役には立てるだろうとは思う。
智宏には【集積演算】という、何をするにも邪魔にならない異能があるし、そのこと自体を、智宏の自惚れを排除して思考できる【集積演算】という異能が予測している。
だが、ミシオ本人がそのことを望んでいるかと聞かれると、恐らく望んでいないだろう。
それは、理由は不明ながらもミシオがこちらとの接触を絶っていることからも想像できるし、そもそもミシオと智宏は同じように異世界に渡って、たまたま会っただけの行きずりの関係だ。そんな人間が家まで押し掛けて「助けてやるぞ」などと言うのは、いささか厚かましすぎる。
(いや、そもそも僕とミシオは異世界に渡った事情すら違うか……)
智宏が異世界に渡ったのは、言ってしまえば事故のようなものだ。たまたま通った道に、たまたま運悪く、異世界の落とし穴が存在していたにすぎない。
だがミシオは、智宏とは事情が違う。本人に詳しくは聞いたわけではないが、聞いた話から察するに彼女が異世界にいたのは、非人道的な実験の被研体にしようとした、犯罪組織による誘拐の結果だ。どう見ても智宏より状況は悪い。
と、そこまで考えて智宏は自分の思考に引っ掛かるものを覚えた。
(あれ?)
落としていた思考の回転数をもう一度あげ、その引っ掛かりの正体を探る。
智宏の足が森をぬけて道路の地面を踏みしめ、街灯の明かりでその詳細が見えるようになったとき、智宏も自分の中の引っ掛かりの正体を見破った。
(誰かに狙われている人間が、都合よく別の第三者に命を脅かされるなどと言う偶然があり得るのか?)
まさか、と言う感情が湧きあがる。
だが加速した冷静な思考は次々に関連する事柄から事態を追求し整理して頭の中に並べ始める。
そもそもミシオが捕まったこと以上に、あっさりと脱出できたことに、まず疑問がある。彼女の脱出は、彼女自身の能力である通念能力によって、彼女が感じている痛覚を周りの人間にも押し付けて気絶させ、その隙を突く形で行われたという。
だがそもそもの話、魔術、気功術、刻印、そして超能力と、生身でも扱える異能がこれだけある中で、例え実験の対象をイデアの人間に限定していたとしても、それに対して何の対策もしていなかったというのはおかしくはないだろうか?
何かの理由、それこそ資金や設備、油断や驕りと言った理由で本当に対策をしていなかったという可能性はあるだろう。
だが、それ以上にミシオが何らかの形で、とられていた対策をかいくぐった可能性も十分にある。
ならば、彼らは一体どんな対策をとったのか?
超能力を防ぐ方法など有るかどうかも知らない。だが、能力者以外の、能力を持たない人間だけを攫うという方法でなら、能力による反抗と言う可能性を摘むことはできる。何しろ超能力者は三十人に一人しかいないのだ。
もしも彼らが現地で、能力のないことを確認してから人間を攫っていたとしたらどうか? おそらく時間をかければそれを調べることは難しくない。適当な期間目をつけた人間をつけまわして能力を使うか否かを観察すればいいのだ。
だがそんな方法は非効率極まりない。そんなことをするくらいならば現地人間に聞いたり、そういった情報をもっている者に聞いたりした方が早い。
そして重要なのは、それを行うのは現地の人間の方が都合がいいということだ。
もしも彼らが能力を持たないイデア人の拉致に、行為をスムーズに進めるために現地の人間を協力者として使っていたとしたら?
もしも使われていた協力者が、排除したい人間を異世界人に攫わせることで始末しようとし、能力者であるミシオを非能力者と偽って攫わせていたとしたらどうか?
「もしも、エデンに連れて行かれたこと自体が、ミシオを狙ってる奴らの策略だとしたら……!!」
智宏は自分の予想に寒気を感じた。
いくら筋が通っていても、今智宏が行っているのはただの予想の一つだ。仮説がほとんどで、当たっている可能性など半分もない。
だが、もし当たっていた場合はどうか?
今でこそミシオは実験の成功という皮肉な形で生き残っているが、実験がもし失敗していたらどうなっていたか、そして成功しても、そのまま逃げだせずにいたらどうなっていたかは想像に難くない。
そんな中で、もしミシオが生きてこの世界に帰っていることを知ったらどうするか?
「今度こそそう急に始末しようとする……!! それも、事と次第によっては異世界の技術を持ち込んで……!!」
そこまで考えて、智宏は自分のうかつさを心のそこから呪う。よく考えれば、ミシオが異世界の誘拐者たちに狙われている可能性は少なからずあったのだ。
そしてもう一つ、そもそもミシオは今どこにいるのか? 智宏自身が避けられているというのは分かるが、だからと言って明らかに立てこもることを想定された森の中で、気配すら感じないというのはどういうことなのか?
「くそ!! そもそもミシオはどこ行ったんだ!? 本当に無事なんだろうな!?」
最悪の予想が強化された思考の中を駆け巡る。それによって湧きだした焦燥が智宏の精神を侵食する。もしも予想が当たっているなら、彼女はこれまでより数段強い理由で狙われる可能性があるのだ。
だがそのとき、右腕を何かがかすめたような小さな痛みと、直後に足元から生じたチリン、という小さな音が、智宏を現実に引き戻した。
(? ……なんだ?)
気になって足元を見ると、そこには板状に輝く金属が転がっていた。よく見るとそれは、工作などで良く使う、カッターナイフの代えの刃のようだった。
(なんでこんなものが――!?)
瞬間、見ていた刃がいきなり起き上った。まるで地面に垂直に突き立てられたかのように上を向き、その刃を、何かで汚れたその切っ先を智宏に突きつける。
(っ!! ――術式展開【鉄甲】!!)
とっさに右手に魔方陣を展開し、文字どおり智宏の目に飛び込もうとしていた刃を、鉄の魔力に包まれた右手で掴み取る。
間一髪、右目からわずか数センチのところで掴まれた刃は、トモヒロの握力にまでは逆らえず動きを止めた。
だが、智宏は同時に、先ほど右腕に感じた、そして今感じた痛みの正体が、掴んでいる刃によるものであることに気が付いた。
(っ! 腕を切られている!!)
透けて見える魔力の手甲の向こう、肘から少し下のところに傷口が走り、そこから出血しているのが見える。見たところ致命的なほど深い傷と言う訳ではなさそうだが、傷口からはどんどん血が溢れ出しており、腕を赤く濡らしている。
「まったく、予想外のところから来ないでよね~。って何その手? 光ってるけど……、手袋?」
智宏の左側、街灯の光からちょうど影になる位置で女の声がする。智宏が向きなおると、声の主はゆっくりとこちらに歩き始めた。
街灯の光に照らされ、巨大なバックを下げた女の姿が見えるようになる。その見た目は一言で言うなら、
「……やまんば?」
「ああ!? なんだとこらぁ!!」
智宏が簡潔に述べた感想に、しかし女は怒声を上げる。
担いでいるバックは異質ではあるものの、それは智宏の住むアースでも一昔前には存在していたファッションだった。しかも今はその表情を怒りで凶悪に歪めているため、余計にその感想に当てはまって見える。
「ったくよぉ、誰も来なかったら何もしなくていいっていうから、どうせなら来ないでくれた方がこっちはぼろもうけでラッキーって感じだったのに、こっそり通り抜けようってのはどういう了見よ?」
「……これは、あんたがやったのか?」
女の口調から半ば確信を持って右手の刃を示す。案の定女は特に疑問を持つわけでもなく、にやりと残酷そうに笑った。
「まあ、実を言うとさぁ、この道今は通行止めなんだよね。知り合いのボンボンが自分の女に会いに行くって意気込んでてさ、だからさぁ、邪魔になんないように村に人を入れるなって頼まれてんのよ」
「……それはサデンエイガとハマシマミシオのことか?」
「んん? 何で知ってんの? ……って、ああっ、その耳ってもしかして……うっわ、聞いてたより冴えねぇ……」
女の反応に智宏は自分の予想が当たり始めていることを確信する。同時にミシオが危機に陥っていることも。
「まあ、いいや、どうせ二目と見られない顔にしなきゃいけないんだし。その点じゃあラッキーだったかなぁ、ああ、そうだ。あんた自分で選んで見る?」
そう言って女は右手を軽く上げる。すると暗がりの中から光を反射する何かが大量に表れた。
「……っ!!」
それが何かはすぐに分かった。カッター、剃刀、糸鋸の刃、釘、針、ネジ、画鋲、その他工具のかけらや、わずかにパチンコ玉やコインのようなものが混じった金属の群れ。それも百や二百は下らない数が宙に浮き、その切っ先の全てを智宏に向けている。
「切るのと刺すの、そして打つのどれがいい? 葉鳥ちゃんは親切だから特別に選ばせてあげるよ?」
超能力、と言う言葉が頭をよぎる。智宏の前にいる女は、間違いなく智宏が見たがっていた超能力者だった。
「はい、三! 二! 一! ブー時っ間切れぇ! 要望が無いなら行き当たりばったりに行ってみようかぁ!!」
そう言って女が右手を智宏にさし向ける。それと同時に女の周囲に控えていた金属の群れが一斉に智宏めがけて殺到した。
言葉と違い、狙いは顔だけではない。智宏の全身をところ構わず傷つけるべく、金属の群れが空を切って殺到する。
だが、智宏に食らいつく直前、それらは智宏の足元から現われた輝く半透明な壁に阻まれた。
「……は?」
相手をズタズタにするはずだった金属群が、いきなり現れた壁によって阻まれ、弾かれる様に女はポカンとした表情で固まる。
だが智宏はそんな表情を見ても相手に容赦する気は起らない。
「どうやら、思っていた以上にあいつはやばい状況にいるらしい。いや、あの家を見た時点で早急に探しに行くべきだったな」
智宏の額で暗がりを照らすほどに刻印が輝きを取り戻す。加速し始めた思考は、今するべきことを着実に智宏自身に命じていた。
「ちょうどいい。いろいろと知っている人間が欲しかったところだ、それじゃあ、まずはいろいろ吐いてもらうところから始めようか?」
獰猛な感情を冷徹な思考で包みこみ、目の前の葉鳥と名乗る女に向けて智宏はきっぱりと宣戦布告を突きつけた。
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