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CROSS WORLD ―五世界交錯のレキハ―  作者: 数札霜月
第二章 第二世界イデア
28/103

6:秘密の森

 今回はちょっと長めです。

 ご意見ご感想お待ちしてます。

 時刻はすでに昼と呼ぶような時間から夕方と言える時間に変わりつつある。だがこの季節、まだまだ日が落ちるのは遅い。空は青いままで、その色に赤みが混じるにはまだまだ時間がかかる。この時間を夕方と呼ぶにはあと一カ月は待つ必要があるだろう。


「もっとも、親父はこの夏が永遠に続くことを祈ってそうだけどな……」


 そんなことを呟いて、栄河は味のなくなったガムを地面に吐き捨てた。

 現在栄河がいる所は人気のないビルの中だ。元々は土木関係の会社の事務所だったらしいが、今では会社も潰れ、こうして栄河たちのたまり場になっている。表ざたにできない話をするのにはうってつけのため、エイガは良くそういった知り合いとの待ち合わせに利用するのだ。

 既に待ち始めて大分時間が経過している。先ほど人づてに放った呼び出しのメッセージが届いていればそろそろ待ち人が来るはずだ。

 そう考えたとき、ビルの入口から靴音が聞こえてくる。

 現れたのは派手な格好の女だった。髪の色から肌の色、爪の色まで全身の色を金、黒、青に変え、その上からこれでもかと言うほど派手なメイクを施した女は、周りを見回した後こちらを見つけて歩み寄ってきた。


「よう、栄河ぁ! 久しぶりじゃん、元気してたぁ?」


「この通りピンピンしてんよ。今日は頼むぜ、()(とり)


 呼び出した女がようやく来たことで栄河も気分を切り替えて葉鳥と呼ばれた女に対応する。できることならこの女の機嫌を損ねたくない。彼女には大事な仕事があるし、何より彼女を怒らせると少々面倒なのだ。


「頼むってさぁ、アタシ呼び出されただけで何やるかさっぱりなんだけど? 用事は何? まさか何時かみたいにナニの相手しろってんじゃぁないでしょうね?」


「だったらもっと遅い時間に呼び出すよ、頼みたいのはいつもの仕事だ」


「なに? もしかして例の娘?」


「まさか、頼みたいのは別のやつだよ」


「報酬は?」


「これだけ」


 そう言って栄河は両手を広げて葉鳥に示す。するとそれを見た葉鳥は急激に機嫌を良くした。葉鳥はいつも金払いのいい人間の味方だ。


「うんうん! やっぱ、金持ちのドラ息子は分かってるねぇ! その額ならアタシ何でもしちゃうよぉ!」


「じゃあまずドラ息子って呼ぶのをやめろ。それよりお前、その格好で大丈夫なのか?」


 そう言って栄河は女の服装を指摘する。栄河も人のことを言えた格好ではないが、女の格好はさらに露出が高い。なにしろ上はへそ出しシャツで下はホットパンツ、おまけに靴はサンダルなのだ。唯一これからを見据えている点と言えば、そんな恰好をしながら肩から提げているのが巨大なボストンバックだという点だ。裸同然とまでは言えないが、これから頼むことを考えれば、あまりいい恰好とは言えない。


「だぁいじょうぶだって。あんたアタシの能力知ってんだろ? ここに来る間もちょくちょくかき集めては来てるし、バックのなかにもいろいろ入ってるよ」


「そうかい。じゃあせいぜい『寸鉄の女王』の腕前に期待するとしよう」


「まっかせなさい。んで? 相手はどこ? これから行くんでしょ?」


「ああ、待った。実は別件でもう一人呼んでんだ。悪いがそいつが来るまで待ってくれ」


「んー? 何? あんた他にもあたしみたいな知り合いがいたの?」


「ああ、最近知り合ったんだ」


 そう言っていると、ビルの入口にもう一人の人間の気配が現れた。どうやらこちらもちょうど来たらしい。手元の時計を見ると指定時間を秒刻みに正確に守っている。

 現れたのは帽子を目深にかぶった大柄な男だった。無に等しい表情を浮かべ、靴音だけを響かせてこちらに歩いてくる。年のころは二人よりもさらに一回り上に見える。


「……栄河ぁ、こいつ?」


「ああ、そうだ」


 栄河の返事に葉鳥はどことなく不機嫌な様子を見せる。どうやら葉鳥もこの男の雰囲気からその危険性を察しているらしい。


「……まあ、いいけど。あんた名前は?」


 聞かれて男は初めてその場で立ち止まった。どことなく人間味のないその動きに葉鳥が不機嫌に鼻を鳴らすと、それに応じるように男も無機物のような声で答えた。


「……『渦』」


 こうして栄河は準備を整えた。長年抱き続けた願望を成就させるために。






 見上げる空の色が蒼から紅へとその色を変え始める。

 たとえ異世界であっても変わらないその光景に、智宏はしばし己の思考を中断した。

 元より一旦刻印へ流す魔力を止め、魔力の回復を待っていた状態だ。考えなければならないことは山ほどあるが、四時間近く魔力を垂れ流していてはさすがに休みたくもなる。

 刻印使いの魔力の保有量は、ほかの世界の人類のどれと比べても桁違いだ。レンドによればその量は通常のオズ人やエデン人の百倍以上あるという。確かに、魔力にまつわる器官と言うのは、世界のはざまで魔力を取り込んだとき真っ先に影響を受けそうなのでその数値もあながち見当違いとは思わない。

 だが、同時に刻印を使うに当たって使用する魔力も、通常のそれに比べればかなり大きい。智宏のそれは魔術と比べれば刻印の消費量の方が少ないくらいだが、それでも気功術の消費量の倍近くあるし、刻印が継続して使い続けることを考えれば魔力消費量がけた外れなのは決定的な事実だ。いくら全体量が多くとも消費量も多ければ負担も大きい。四時間もそんなものを使って、魔力が無くならないということこそ驚嘆すべきものではあったが、それでも半分近く消費してしまってはさすがに体にだるさぐらいは感じる。

 もっとも、智宏自身が感じている疲労は、肉体的なものより精神的なものの方が強いのだが。


「……モヒロ、トモヒロォ?」


「ん? ああ、レンドか?」


 ポケットから再び声が聞こえてくるのを聞いて、智宏はあわてて身を起こす。そこでようやくこちらも操作しなければ相手に声が届かないことを思い出し、取り出した通信機に微量の魔力を注ぎ込んだ。


「お、繋がった。よう、俺だ。オレオレ!」


「この場合、分かっててそんなことを言っているのかは判断に迷うところだな」


「なんだよ。声に元気がないじゃん。どうした?」


「いや、まあ、ちょっとな」


 簡単に説明できないため言葉を濁すと、レンドはたいしたことではいと受け取ったのか、すぐに「ふぅん、まあ、いっか」と追及をやめた。


「ところで何の用だ? まさかそろそろ飯だから帰って来いってわけじゃないだろ?」


「まあ、それも要件としてはないわけじゃないがな。とりあえずこっちで調べてたことの方で、智宏にも聞かせておいた方がいいかと思う情報があったんでな」


「聞かせておいた方がいい情報?」


 レンドの言葉に智宏はすぐに【集積演算(スマートブレイン)】を起動させて思考速度を底上げする。智宏自身もミシオを追跡した結果かなり気になる事実をつかんでいたのでその辺の情報が手に入るならそれに越したことはない。本当は一度合流してゆっくり話そうと思っていたのだが、この作業は早いほうがいいと直感も告げている。


「まず、学校の方なんだが、幸いなことに担任に話が聞けた」


「それはまた随分と手際がいいな」


「実は協力者の一人がそこの生徒のOBでね。そのつてをたどって接触したんだ。……んで、担任に聞いた限りじゃミシオちゃん、かなりの問題児らしい」


「問題児?」


 随分とイメージと違う単語が出てきたことに智宏は驚いた。智宏が知っているミシオは確かにおかしな所のある少女ではあったが、問題児と言う感じではなかったからだ。


「どの辺が問題なんだ?」


「とりあえず聞けた限りじゃ、まず、ほとんど学校に来ないらしい。出席日数がこの三年ほど常にギリギリ。他にも友達を作ろうとしないだの、ガラの悪い連中に目をつけられているだのいろいろ聞いたよ」


「なるほどね。確認するけど本当にそれミシオの話なのか?」


「俺も何度も確認したんだけど、間違いないらしい。学校では極端におとなしくて特に反抗的なわけじゃないらしいし、学校に来ない割に成績はいいらしいんだけど」


「……ふうん」


「ああ。その先生は今の親との関係からくる問題なんじゃないかって言ってたけどな。実際、彼女が問題を起こすようになったのは彼女の祖父が亡くなって、新たにサデン親子と住むようになった直後らしい。そのことで何度か保護者のマクラさんとも話し合ったらしいけど、この様子だと進展はしてないみたいだな」


「まあ、この様子じゃあ、そうだろうな」


「ん? どういうことだ? って言うかさっきからずいぶん思わせぶりな言い草だな?」


「ああ、今ちょうどミシオの家にいるんだよ」


「なにぃ!?」


 話した瞬間、通信機から響くレンドの声に、智宏は思わず持つ手を遠ざけた。こういうとき音量調節の機能を使えればいいのだが、生憎とやり方は分からないし、異世界の品は感覚で操作する訳にもいかない。


「ちょっと待て、じゃあ何か? お前昼間の、あの家にまたいるのか?」


「いいや、違う。行く途中右手に森があっただろ? ミシオの本当の家(・・・・)はあの中にあるんだよ」


「……は?」


 通信機の向こうからレンドの思考が混乱するのが伝わってくる。それはそうだろう。実際この森の秘密に気が付いたときには智宏も驚いたのだ。

 だが一方で、この程度で驚いていては身が持たないとも思う。


「えっと……、つまり、森の中に家があって、ミシオちゃんはそこに住んでたってことか?」


「そんな生易しい話じゃない。ミシオのやつ、わざわざ森の中にツリーハウスを自分で建てて住んでるんだ」


「ツリーハウス!? ……え、ちょっと待って! それマジな話?」


 流石に現実味がなくなってきたと感じたのか、レンドが通信機の向こうで声を上げる。レンドとしては元から森の中に家があって、ミシオが何らかの事情でそこに住んでいると予測していたのだろう。

 だが智宏は、「大マジだ」と答えることでその予想を否定し、立ち上がって改めて周りを見回した。

 高さにしておよそ六、七メートル。森の中でもひときわ太い木の枝に板を渡し、その上に屋根をつけたツリーハウスの、まさにその中に智宏は立っていた。

 材料は適当な木材やビニールシートを張り合わせたかなり無節操なものだが、古タイヤを床下に強いて枝と枝の高さの違いを調整したり、窓を作る代わりに壁を手すり程度の高さまでしか作らず、そこから屋根までを、ところどころ修理した後のある蚊帳で覆って虫が入るのを防いでいたりとかなり芸が細かい。


「たぶん、これは夏用の家だな。木の葉で家自体は隠れてるけど、風通しは抜群だし。家の中にいろんな家の設計図があったから、冬は別の家に住んでるのかもしれない。実際、竪穴式住居の設計図も見つけたしな」


「竪穴式住居って……」


「知らないか? 僕の国では一般的な原始時代の住居なんだが。流石に材料は現代のものを使った物みたいだけど」


「いや、知ってるけど……」


 通信機の向こうからレンドの唖然とした様子が伝わってくる。無理もない。智宏とて森の中でこれを見つけたときには目を疑ったのだ。

 心情的にはまだ疑っている。


「それって子供が作る秘密基地とかの一種じゃなくてか?」


「もろにここで生活してるから違うと思うぞ。木の下に火を使うための道具だとか、水をためたドラム缶とか、いろいろ生活の痕跡が残ってた」


「そんなバカな……。あんな娘が一人でそんな生活をしてるってのか?」


「信じられないだろうが事実だよ。ちなみに、人違いってこともないと思うぞ。家の中にこの世界に来るとき着てた服が残ってたし」


「おいおい……」


 流石のレンドも受け入れるのに時間がかかっているらしい。ならばと、智宏は調べた状況をさらに説明して無理やりにでも受け入れさせることにした。


「どうもサバイバル関係の本なんかを読んで生活に役立ててたらしいな。家の中に本棚があってその中にそう言った感じの本がいくつも残ってた」


「いや、ちょっと待て。お前この世界の文字読めないだろう? 何でその本がサバイバル関係だと判った?」


「どの本も全部挿絵や写真が付いてたんだよ。ざっと見たところ、この家にある本は、魚の図鑑や野草の図鑑。ロープ術やこのツリーハウスを作るのに参考にしたと思われる専門書。まあ他にも色々だ。どれも文字はさっぱりだったが、写真や挿絵できっちり解説されてて、内容は何となくわかったよ」


「な、なるほど」


「どうもこの近くの海で魚か何かを取って、余った分を町で売って生活費に変えてたらしいな。明らかに森では手に入らない米や生活必需品が残ってたし、本棚に一冊だけあった家計簿らしいものにもそんな記録が残ってた」


「生活費も自分で……、って待て、今家計簿って言ったよな? 家計簿なんてそれこそ文字が読めなくちゃ内容なんてわからないだろう? 何でそんなことが言いきれるんだよ?」


「数字だけならわかるのさ。なんせ、数字だけなら(・・・・・・)他の本のページ(・・・・・・・)の隅に丁寧に(・・・・・・)一から順番に(・・・・・・)並べられて(・・・・・)いるからな(・・・・・)


 通信機からレンドが息をのむ音が漏れるのを聞きながら、智宏は持っていた魚の図鑑を広げてみた。その本はどのページを開いても左右の上はじにページ数という形でこの世界の数字らしきものが印刷されている。後はその文字を見てそれがどの数字に対応するかを導き出せばいい。


「家計簿を見ると二日から五日に一回の割合で出費があった。まあ、これはたぶんさっき言ったような必要物資を買ってた記録だと思う。そんで、収入の方はほぼ毎日、額は日によってバラバラで少額。何らかのアルバイトや内職だったら収入は一定の期間に一回の形で集中するだろうし、この辺は海が近い。おそらく毎日海で魚か何かを取って余分な分を売りに行ってるんだろう。現に漁に使った道具らしいのが家の中に残ってた」


「うわぁ、信じらんねぇこいつら……」


 言葉とは裏腹に、ようやく事態を飲み込んだらしい声が聞こえてくる。声の様子から通信機越しのもレンドの呆れている顔が目に浮かんだ。


「っていうかその様子だとミシオちゃんは留守なんだよな? ってことはトモヒロ、お前留守中の女の子の家を家捜ししたのか?」


「……言うな。今ちょうどそのことに気がついてへこんでたところなんだから」


 事態が深刻そうだったので、流石に間違ったことをしたとまでは思ってはいないが、だからと言って胸を張って誇れるようなことをしたとは思っていない。むしろやっていることはほとんど、


「――ストーカーみたいだな」


「ぐはっ!!」


 レンドの無慈悲な言葉に精神を貫かれ、智宏の体が床に崩れ落ちる。

 こういう点が【集積演算(スマートブレイン)】の厄介なところだ。理屈を伴わない感情を丸ごと無視して最善の行動が取れてしまう分、後になって自分の大胆かつ遠慮容赦のなさに悶絶するはめになる。その癖、気付かなければいいことにまでしっかりと気付いてしまえるというおまけつきだ。


「えっと……トモヒロ? 大丈夫か?」


「……大丈夫だ。何も言うな頼むから!! ……それより問題は、なんでミシオがこんな半サバイバルみたいな生活をしてるかだ。さっき『ガラの悪い連中に目をつけられている』って言ってたな?」


「……ああ」


「それ、たぶんマジだぞ。それもかなりヤバい状況かも」


「まあ、そんなところにわざわざ住んでたらそうかもしれないが……、でもそれってただの家出って可能性も……」


「それだけじゃないんだよ」


「は?」


 この森のもう一つの秘密を話そうとしてしかし、流石に智宏も言葉に詰まる。再びレンドに先ほどと同じ反応を繰り返させなければならないと思うと気が滅入ってしょうがない。


「僕がこの森の隣にあるマンションの隅のフェンスに、人が通れるくらいの穴が開けられてるのを見つけたのが三時間ほど前。この家を調べるのにかけた時間が約三十分。マンションからここまでの距離が普通にくれば三十分。この意味分かるか?」


「えっと……、一時間が六十分だから……、あれ? 二時間もいったい何してたの?」


「答えは、ここに来るのに普通に来られなかったから二時間半だ」


「……出題がフェアじゃねぇな。ってああ、そうか。考えてみれば家のある場所が分かってなきゃ真っ直ぐはいけねぇもんな」


「いや、本当のところはどうか知らないが、僕はかなりまっすぐ家に来ていると思うぞ。というか、まっすぐ家を目指さなければたどり着けなかった」


「……どういうこと?」


「疑わずに聞いてほしいんだけどさ。ミシオのやつ、森の中に大量の対人トラップを仕掛けてるんだよ」


「対人トラップゥッ!?」


 レンドが予想通りの声を上げるのを通信機からできるだけ遠ざけてやり過ごす。だが、街でミシオにトラップで逃げられた話をしていたせいか、意外に落ち着くのは早く、すぐさま通信機から「詳しく聞かせてくれ」という冷静な声が聞こえてきた。若干声が疲れていたのはこの際気にしない。


「ここに来るまでに見つけただけでも五十四。引っ掛かりかけたのが十四、実際引っ掛かったのが六。森に入った人間を問答無用で迎え撃つトラップに遭遇した」


「対人っていう根拠は?」


「トラップの性質が明らかに人を狙ったものだったからな。ちなみに森の外側ほど相手を不快にさせたり、拘束したりって感じの危険度の少ないトラップだけど、今僕がいる家みたいな場所の近くは本気でヤバいトラップが仕掛けてあったよ。【集積演算(スマートブレイン)】と気功術で強化した視力で、どうにかトラップを見破れなかったらここまではまず来られなかったな」


 特にここに来る間にちょくちょく見られた数少ない人が通れそうな小道は、致命的なほど数のトラップが仕掛けられていた。しかもこの場所に直接来る道ではないため、普通に道を歩いて探したのでは罠に掛かり放題。だからと言って道なき道を歩けば、数こそ少ないものの茂みなどに隠れて見破りにくく、危険極まりないトラップが待ち構えている。何しろワイヤー代わりに使われていた釣り糸(テグス)も、緑の多い場所には緑がかった色の糸を使うといったように、場所や狙いによって選ばれていたくらいの徹底ぶりだ。

 こんな森、下手に歩きまわれば何が飛んでくるかわかったものではない。いや、何が飛んでくるのかは多少なりとも確認している。石、丸太、空き缶、砂の詰まったビン、瓦、泥、ゴミ、たわし。切が無いので確認するのは途中でやめたが、探せばもっとバリエーションがあるかもしれない。

 さらに言えば、それらのトラップが警報装置の役割も果たしていたらしいのが、人を相手にしているのだろうという認識に拍車を立てる。

 どうやら森の中の罠の中には、この家の周りに仕掛けられた鳴子と接続されているものがあるらしく、人がこの森の中に入ってくるとどこから入っているのかがたちどころに分かるようになっているらしい。

おかげで最初この家に来たとき、こちらが来るのを悟って姿をくらましたのかもと思ったが、どうやらそういうわけでもないようだ。というのも、この家には缶詰に始まる大量の保存食料が備蓄されているのである。罠の中に混じって、迎撃に使用すると思われる仕掛けも数多くあった。

明らかに籠城することも考えている。とてつもなく異常な生活環境だ。


「そんな状況で良く家なんか見つけられたな……」


「あまりにもトラップが多かったからな。一番通らなければならないミシオ自身が通るルートがどこかにあるんじゃないかと考えたのさ」


 実際、その予想は正しかった。ルート自体は木の上に登って枝から枝に飛び移ったり、茂みの中の狭い枝の間を通らなければならなかったりするとんでもないものだったし、そのルート自体も途中で幾つも枝分かれして、間違ったルートを選ぶと罠がお待ちかねと言う念の入りようだったのだ。どうやら正しい道筋を知っている人間しか安全にたどり着けないように作られているらしい。

 こんな環境で生活しているのなら、少女のあの身軽さも頷ける。なにしろ、智宏も魔術を使用しなければ通れなかったような場所もあるのだ。生身の少女がそんな場所を通ろうと思うならそれだけの運動能力が必要だ。


「このトラップも多分本を見て作ったんだろうな。話が脱線するからさっきは端折ったけど、それらしい本が何冊かあったよ」


「それにしたってとんでもねぇなぁ……。しかし、なるほど。それでガラの悪い奴らに狙われてるってのは確実ってか。まあ、そうだよな。誰かから日常的に狙われでもしなけりゃ、そんな敵を想定した住環境や、あの逃走スキルは納得できない」


「それにミシオがエデンの森で五日も生き残れたのも、この生活を見れば納得できるよ。いくら外敵に襲われないようにできたって水や食べ物の問題が残る。何の知識もない女の子に五日も生き延びられる森じゃない」


「考えてみりゃ、レキハ村の立地が防衛のためってのもすぐに見破ってたしな。どこかズレた娘だとは思ってたけど……」


 通信機越しに、二人でこの異常な背景に納得する。やはりミシオは普通ではなかったという確信だけが、かなりすんなりと受け入れられた。


「さて、となるとなんでミシオちゃんがガラの悪い奴らに狙われてるのかって話になるんだが……」


「さすがにそこまでは僕にもわからないよ。……ただ」


「サデンエイガ、か?」


「ああ」


 トラップの件に関しては自身を狙う存在がいるからという理由で説明できるが、それだけでは家を出てこんなところに一人で住んで生活しているという理由にはならない。だが、それは同じ家に自分を狙う存在がいるからだと考えれば話は別だ。


「あの不肖の息子ならガラの悪い奴らに面識があっても不思議じゃない。あの父親も折り合いが悪いとは言ってたしな」


「問題はその父親がどこまで知ってるかってことだな。同じ家に住んでてここまでのトラブルになってるのを知らないってのはさすがに不自然だし、ん~、でも、ミシオは養父の方とも関係を絶ってたみたいだしなぁ」


「考えてみればあの父親、十日前から行方が分からないとか言ってたけど、帰っていないとは言ってないんだよなぁ……。みえだったのかそれ以外だったのか……。まあ、いいや、父親の方はこっちでも調べてる奴らがいるからそっちを頼ろう」


「となると後はミシオ本人か……。そもそもあいつはなんで僕たちからも逃げてるんだ?」


「さあなぁ。……正直そこが一番分からないんだよな。そんなにヤバい状況なら俺たちに助けを求めても良さそうなものだけど……」


「そういう意味では周りの人間にまったく助けを求めてなさそうなのも気になるな。学校の先生もミシオのこんな生活までは知らなかったんだろ?」


「さすがに知ってたら言うだろうな。っと、そうか。知られたくなかったから俺たちから逃げてるっていう可能性はあるな」


「でもそれだと結局はなんで周りに助けを求めないって話になるな。そもそもあの村の人間はこのことを知っているんだろうか?」


 疑問をあげ、しかしその答えが見つからず、両方の口からため息が漏れた。

 結局のところ分かっていることと言えば、ミシオが常識を超えるレベルで敵を想定した生活を送っていることだけ。そこからその敵候補としてサデンエイガを想定したが、それ以外に関してはどうとも判断に困る状態だ。


「まあ、いろいろと可能性は思いつかないわけじゃないが……、どれも推測の域を出ないしな……。こりゃいよいよ本人に聞くしかないか」


「本人に聞く……、ね。なあトモヒロ、今お前刻印使ってるよな?」


「ん? 使ってるけど?」


「ちょっと解除してみてくれない?」


「は?」


 あまりにも唐突な申し出に、しばし智宏は困惑する。何かを考察する上で、【集積演算(スマートブレイン)】は強力な戦力だ。それを解除するメリットがあまり思いつかない。


「やっぱりそういう反応するか……。いいから解除してくれ。そうすりゃわかるから」


「あ、ああ。わかった」


 訳が分からないまま。智宏は額に流す魔力の流れを断つ。

流石にいつもの感情のぶり返しは、情報交換の円滑化に使ったくらいでは起きないらしい。おかげでいつもは襲ってくる猛烈な自己嫌悪の類は無いが、代わりに急激に頭が鈍くなったような感覚に襲われ、なんとなく不安になってくる。


「解除したか? なら質問するんだけどトモヒロはこれからどうする?」


「どうするって?」


「ミシオちゃんをまだ追いかけるのかってことさ。彼女が何らかの危険にさらされているのは恐らく明らかだ。お前のおかげでそれは分かった。問題はそこから先、ミシオちゃんがさらされているのと同じ危険の中にまで、トモヒロは飛び込む気かって聞いてるんだ」


「……それは」


「さっきまでの、刻印を使ったままのお前なら迷わず飛び込むって言ったかもな。でも今はどうだ? ミシオちゃんがさらされている危険と同じ危険に自分を晒せるかい?」


「……」


 レンドが言わんとしていることを理解し、トモヒロは沈黙する。それに対してレンドは智宏の内心を理解しているかのように言葉を続けた。


「トモヒロってさ、刻印なんて大層な物も持ってるし、それによって魔術やら気功術やらが使えるから危険に対抗することはできるんだけど、それは危険にさらされた時に対応できるだけであって、平気で危険に身を晒せるわけじゃないんだよな」


「……」


 実際今まで智宏が刻印を用いて戦うことができた二回の戦闘はどちらもなし崩し的に巻き込まれたものだ。それも、恐怖やパニックを【集積演算(スマートブレイン)】によって抑え込んでいただけで、恐れや不安を感じていなかった訳ではない。


「加えて今は俺たちがいる。そりゃあ、俺たちの目的からは若干外れちまうが、それでもサデンマクラに接触することや、彼女が俺たちが追ってる組織の被害者兼証人であることを考えれば、プロジェクトメンバーとしても見捨てるわけにはいかない。だからさ」


 そこでレンドはいったん言葉を切った。智宏にもその先の言葉が容易に予想できる。


「だから、トモヒロが無理してまで危ないことに首を突っ込む必要はないんだよ。はっきり言うとさ。俺達はその必要があるから彼女を追っているけど、トモヒロは別にそうしなきゃいけない理由はないんだからな」


「でも……、知ってしまったら、何とかしたいよ」


「その気持ちはわからんでもないがね、でも世の中それでなんとかできるわけじゃないのも事実。それに彼女自身が知られたくないと思っていることに、軽い気持ちと合理性だけで勝手に踏み込んでいいわけじゃないのも事実だ。……正直言っちまうと俺もここまで付き合わせちまったのは身勝手だったと思うよ。言っちまえば便利だから連れまわしてたようなもんだからな」


「それは……」


 確かに言われてしまえばもっともだ。

智宏にはこの問題にかかわる理由が無い。いろいろあって忘れそうになるが、智宏は事故のような理由で異世界にわたってしまった遭難者なのだ。当然のように元の世界には家族がいて、その世界での生活がある。それらに与える影響について多少の安心材料があるとはいえ、他人の事情のために蔑ろにしていいものではない。


「まあ、刻印のことあるし、智宏がすごく有能なのは分かってるから、手助けしてもらえるならありがたいし、実際そうしてもらえるように働きかけるつもりでいるけどさ。でもそう言うのは一度自分の世界に帰って身の回りの整理をつけてからにした方がいいと思うんだ」


「……だよなぁ」


 行ってしまえばトモヒロは部外者なのだ。軽い気持ちで他人の問題に首を突っ込むべきではない。突っ込むならそれなりの覚悟をするべきだ。


「俺としては、後は俺たちに任せて一度自分の世界に帰ることをお勧めするよ。とりあえずいったん引き揚げたらどうだ? 次にアースに移動できるのは明日の朝だ。そのころには魔力の充填も終わってるから帰れるぜ?」


「……わかった」


 若干の引っ掛かりを残しながらも、智宏はレンドの申し出に納得する。

 実際、この世界の人間でもなく、異世界人でもレンド達のように組織に属しているわけでもない智宏にできることは少ない。ここでレンド達に任せるのは、犯罪者の検挙を警察に任せたり、病人の治療を医者に任せたりすることと同じことなのだ。言ってしまえば今の智宏は犯罪の現場を見かけて通報した一般人であり、具合の悪そうな病人を見つけて救急車を呼んだ通行人なのだ。そんな立場の人間が最後までつき合わなければならない理由や、解決しなければならない義務はない。


「それじゃ、とりあえずこっちに戻ってきてもらっていいか? いろいろ聞きたいことなんかもあるし」


「……了解」


 思い気分を引きずりながらも、智宏は一度元の世界に戻る決心を固める。その後レンドからいくつか要望を聞くと、後ろ髪を引かれるような思いで通信を切った。


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