第十二話 その後の経過―病気も片づけも終わらない―
退院してから二週間後、検査のために病院を再訪した。
その時レントゲンを撮影して、今回の手術後初めて自分の状態を画像で見ることができた。
スクリューはやはり新しいほうが長く、そしてR先生が示した腰の近くの根本部分はしっかり骨が切られていた。
これがくっついていないのがまず第一関門だったらしいが、それは無事に成功していたようだ。
しかしR先生はこの時不穏なことを口にした。
「もう一回切ればもっと良くなる」
はい? もう一回やるの……?
さすがに今はまだ痛みが強いし勘弁して欲しいのだが、しかしさらに良くなると言われると悩む。
それもやるならさっさとやったほうがいいような気がするが、さて。
まあ特に今すぐ同意を求められたわけではないし、当分次はないと思うが、結局術後一ヶ月過ぎてもまだ結構痛みはあるため、また骨切りを受けるのはちょっと躊躇してしまう。
次は骨密度を検査しようということになって、その日は血液検査のために採血だけして帰った。
そう言えば書き忘れていたことにようやく気づいたが、今回痩せてから病棟看護師に初めて採血された。
O松くんも含む数人に受けたのだが……なんと結果はシッパイサレマシタ。
そう単に彼らの技量の問題で、自分の血管が肉に埋もれているかどうかは関係なかった。
なんてこった、信じていたのに。
血管が見つけにくいとは言われたのだが、それは何故だろう。
自分の問題なのか。
しかしある程度の年齢の看護師、採血室で出会った人や普段行く内科では失敗されないので、やはり純粋に若人の技量の問題らしい。
ということにしておこう。
それからさらに二週間後、今度は骨密度検査を受けた。
実は手術前にも一度挑戦したのだが、いわゆる「仰向けで寝る」ことができずに中止になったこの検査。
やり方としてはCTやらと大体同じで、可動式の機械がついた台に仰向けで寝ていれば終わる。
この方式大好きだなあ、日本の医療機関は。
せめて横向きがスタンダードなら誰も苦しまないのにと思うのは、多分日本でも少数派の声なんだろう……。
今回は背筋も伸びているし行けるかな? と思いつつ、まず上着を脱いでコルセットを外し、ズボンも脱いで台の上に登って横になる。
以前は斜めの姿勢さえ作れなかったが、今回はなんとか横になって検査スタート。
そして検査終了して台の上から起き上がるのだが、これが結構痛い。
しかも台がかなり高いので難儀する。
ふらつきながらもなんとか地面に足をついて、今度は逆に服を着たのだが、少し寝ていただけなのにこれが腰に響く響く。
結局検査後診察までまた延々待たされたのだが、その間しばらくは腰をさすることになった。
とはいえ痛みでまず最初から無理だったことに比べれば、格段の進歩ではあった。
さすがにMRIは二十分以上あの姿勢と思うと後が辛そうだが、CTくらいならもう大丈夫だと思う。
なお骨密度の検査結果は非常に優秀で、若い時代一番骨が頑丈な年頃と比べても今の自分のほうが結果はいいらしい。
さすがまめなヨーグルトは無駄ではなかったか関係ないのか。
結局骨そのものの問題ではないらしい。
しかし現実に骨はくっついてしまったし、ちょっとしたことで折れやすくなっている。
骨密度に原因を求めてみたが不発で、現状これといった処置もなくなって、どうしようもないらしい。
せめて姿勢が良くなったことがいい方向に影響してくれればいいが、それはまた数年経ってみないとわからないだろうなと思う。
嫌な爆弾を抱えてしまったものだ……さてこれからどうなるのやら自分の人生。
ひとまず姿勢は良くなった。
久しぶりに近所の人と会うと「痩せたね」とよく言われる。
痩せたのはもう結構前のはずなのだが、今までは猫背でそれが目立たなかったらしい。
体が起きたことではっきり顔が見えるようになって態度が一変したようだ。
お年を召した人ほどこの傾向が強いように思うのは、ただの偶然かなにか見ているポイントが違うのだろうか。
今はまだコルセットもあるので、寝起きは若干面倒だったりもするし、足元のものを取るのがちょっと大変だったりはするが、まあそれもいずれ治ると思えば我慢のし時か。
そういえば帰宅後初めて新型マットレスを使った。
最初はやはりこわごわだったし、多少痛みもあったがやはり寝心地はいい。
数時間横になって眠ったが、起きた時の気分も上々。
やはり買っておいて正解だったようだ。
それから内科にも一度訪れた。
自分は今ミカルディス(テルミサルタン)という降圧剤を飲んでいるのだが、これは降圧剤の中ではかなりおとなしい薬らしい。
20mgを朝に一錠、そして血圧が高くなった時は夜にも一錠ということになっていた。
実際夜の分はスキップすることが多く、飲むのはほぼ朝だけだったのだが、薬自体は朝と夜の二回分処方されていた。
当然とばした分はそのまま残る。
これが入院中、普段から血圧が低すぎるということで、朝昼両方スキップ状態が続いたことで、薬が大量に余ってしまった。
大体血圧は入院前から上が110くらいだったのだが、内科ではそれくらいなら薬飲んでおこうとなっていたのが、入院中は低すぎるからスキップしてねとなった。
結局ほぼ一ヶ月分×朝晩二回分で、六十錠近くを余らせて持ち帰った自分は、それを消化するのに精一杯になってしまった。
実際十一月になった現在もまだ結構残っている。
七月入院前に内科でもらった薬さえまだ手を出していないし。
しかしこのまま内科に行かないままと言うのもなあと思ったので、市の保健所が送ってきたコロナのワクチンを打てないかと思って、思い切って受診してみた。
しかしコロナのワクチンは既にこの病院の持ち分はなくなったそうで、結局受けることはできなかった。
集団摂取などに行くべきなのだろうが、それは場所まで行くのが大変なこともあって結局果たせていない。
ともかく久しぶりに内科の先生とお会いした。
体重に関してはまめに報告していることもあって言われなかったが、内科の先生すら体が起き上がった変化には驚いていたので、やはり以前とは全然違うらしい。
十月の中旬くらいからだと思うが、今度は寝ている時に背中がつったような激しい痛みが出るようになった。
それまでは普通にマットレスの上で仰向けで寝ていたのだが、今それをやるとかなり痛む。
姿勢固定しても動かしてもビキビキ、起き上がる時もビキビキと痛みにのたうち回り、思わず漏らしそうになったことも何度か。
今まではできた素早い動きもできなくなってしまった。
これはスクリューが外れたか、切った部分がおかしいか、なにか異常があるのではないかと疑ってはみたが、従来の骨折の時と違って、一度起き上がってしまえばそこまで辛くもない。
ただ寝ている時だけの苦しみのようだ。
そして十一月になって病院に行ったが、ここでも特に異常はなしの診断。
痛み止めにトラムセットを出されていたのだが、それを飲んでも背中がつる症状は全然変わらないので、正直参っている。
布団に入って寝ているのが一番辛いとは……。
以前机に突っ伏して眠っていた頃の古いマットレスがそのままなので、これで休んでみたこともあるが、かえって腰が痛くなっただけだった。
駄目だ八方塞がりだ。
折れている、また入院手術と言われたほうがまだ潔かったのだが、そうはならず、日々布団に横になる度に痛みが来る恐怖と戦うことになってしまった。
なにがどう問題なのやら……当分答えは出そうにないので、釈然としないものはあるがとりあえずここで一旦筆を置こうと思う。
この分だと次のシリーズは遠くないかもなあ。
他に以前から気になっていたことだが、最近母親の荷物を整理し始めた。
それも服やかばんや持ち物ではなく、ただのゴミの処分からだったりするが。
昔、母親の母親(祖母)は田舎の家に納屋を作っていた。
子供の頃は帰省の度にそこに物をしまう祖母をよく見ていたものだ。
なにを一体あんなにしまっていたのだろうと思ったが、自分の母親も祖母の死後どんなお宝があるかと実際開けて、結局ゴミしかなかったと呆れ返っていた。
そして今その母親もいなくなって、自分が同じセリフをつぶやく番になった。
我が家の場合押し入れが納屋の代わりになるが、広くなった分さらに事態は悪化していて、まあこれがゴミゴミゴミゴミゴミの嵐でもはや呆れを通り越して怒りさえ疲れきってしまうレベル。
同じ不用品がこれでもかと次々出てきて、あれもこれもどれもそれもゴミにしてやったが、それでもまだゴミが一向に減らない。
元々収納は大量にあるのに物持ちの母親の衣装や道具のせいで使えず、自分の服は野ざらしになっていたのだが、さすがにそれでは今後成り立たないと五月の入院辺りで思い立った。
いずれ手をつけようと思っていたのだが、それは九月に変なところでスイッチが入り加熱。
ゴミ袋を手にして広げても、三十分もしないうちにそれが満タンになる。
もういらない領収書だの、ペン字の練習でひたすら同じ字を書き連ねたノートだの、終わったら捨てろよというものがありとあらゆる収納から湧き出てくる。
以前いらないと捨てたはずの年代物の辞書も、何故か母親が保管していた。
もう使わないものなのに……。
他にも三十年以上前の引き出物の食器、すっかり色が変わって使用に耐えない品だの、捨てるのに苦労しそうな硬いランチボックスだの、何枚あるんだというお盆、使いかけのコットンなんかも何箱捨てたやら。
さらには四十年前のテレビ台や頑丈な戸棚の一部分など、捨てるのに粗大ごみ料金がかかる品物が次々押し入れの奥から出てくる。
当然これらはお金を払わないと処分できない。
他にもデパートの買い物袋の山が押し入れの一角を占拠していたり、もう少し金目のものを用意してくれと嘆きたくなるようなゴミばかりが次々出てきて、真面目に処分し始めるとゴミの日にとても間に合わない。
ようするに始末に困ったものは全部収納にしまって、臭いものに蓋をした気分で自分の中でだけ片づけたことにしていたのである。
そんな母親のせいで、我が家の収納は大半がゴミで埋め尽くされてしまっていた。
後から片づけさせられる遺族のことなんか絶対考えていなかったに違いない。
まだ邪魔な服やかばんや靴、いわゆる遺品は一つも捨てていないのに、もうくたくたになってしまった。
これは年単位の仕事になりそうだ。
最初はどこかで埋蔵金発掘できないかなと期待していたのだが、そんな期待はもう今微塵もない。
むしろどんなでかい物が出てきてまたゴミの日にこわごわ出す羽目になるか、そちらの不安のほうが大きいくらいだ。
自分のゴミは漫画やゲームなので、最悪買取業者に来てもらえばすぐ片づくだけまだ全然マシである。
いや断言していいやもう。
本当に母親には恨み言しか出てこない。
今もゴミの日に合わせて、家の戸棚を引き出しを開ける度に罵りの声が聞こえてくる日々である。
なんならその引き出しそのものを捨てたいのだが。
これだけやってもまだ自由に使える収納が全然空かないし……ほんとこの宿題多すぎるよ。
これが終わったら自分のゴミも少し整理しないと……いや、ほんとに十年かかっても終わらなさそうだ。
腰をかがめるのがまだ微妙な時期になにやっているんだろう一体。
というわけで最後は家が真のゴミ屋敷だと気づいて終わるという、よくわからない締め方になってしまった。
平和な日々はいつになったら訪れるのだろうか……。
ひとまずは次の入院手術報告が早々に起こらないことを祈ります。
病気報告はそろそろ終わりにして痛みのない日々に戻りたい。
第四部 完?




