第一話 一つの対応が医者の評価を決める
というわけで退院した自分は一ヶ月と数日ぶりに帰宅した。
入院は五月の末だったが、退院は六月も終わりの話。
わかっていたことだが帰ってきて絶句したのは、母親が育てていた花が今度こそ完全に枯れ果てていたことだった。
残念と同時にどうしようもないと悟っていた自分は、これ以後花の世話をすることは一切なくなった。
ポスティングで暇な主婦がバイトしてくれるおかげで、ポストはくだらないゴミチラシで溢れ返っている。
それを選り分けて必要なものだけ引っこ抜く作業がどれだけ不毛か……役所だけでなく不動産屋まで家売れー土地よこせーと言っていることに心の底から疲れながら、自分は荷物を解いて久しぶりの我が家に帰ってきた。
次にやったのは台所と冷蔵庫の大掃除だった。
台所では豆腐の上に重しが乗せられてそのままになっていたが、それは一ヶ月以上常温で放置され、凄まじい悪臭を放っている。
裏返すと変な卵までびっしりついていた。うひい……。
仕方ないので汚水だけ捨ててからプラスチックのバットごと破棄。
冷蔵庫には未使用の野菜があったが、これも一ヶ月以上放置だったため破棄。
常温保存していたネーブルオレンジはカビが繁殖していた。破棄。
程よく柔らくなるまで冷蔵庫に入れておいたキウイは、見かけ上悪くなっていないが、やっぱり泣く泣く破棄。
チョコチップのパンも賞味期限は余裕で切れて袋の中で固くなっている。破棄。
ペットボトルに詰めてあった冷蔵庫のだし汁ももう駄目だろう。破棄。
作り置きの麦茶も破棄。
そんなわけで冷凍食品以外はほとんど処分したが、それはコバエを呼び、ゴミの日が来るまで臭いの元になっていた。
コバエはゴミを捨ててからもしばらくはうろうろしていた。
これでやっと一仕事終了。
しかしゆっくりしている暇もない。
そうノルスパンテープの期限はすぐそこに迫っている。
どうせなら次の張替えタイミング(明日)からさっさと減薬したい自分は、それだけに囚われてまずは主治医の内科を訪れた。
そして血圧が妙に高いことを告げ、その対処など聞きつつノルスパンテープの話を持ち込んだ。
しかしノルスパンテープの処方は講習を受ける必要があり、資格がないと無理だった。
自分の主治医はそれを持っていない。
医者はそれなら近くの整形外科に電話して聞くといいとアドバイスをくれたので、自分は帰宅後早速通える範囲の整形外科に片っ端から電話をした。
しかしノルスパンテープの処方はできますか? という質問に、まともな回答が帰ってこない。
受付担当の人もそんな薬は聞いたこともないらしい。
湿布ですか? と返されることも珍しくない。それロキソニンテープ。
聞いても説明しても要領を得ないことが大体で、うちでは資格がないので処方は不可能ですという回答が返ってくるのはまだいい方。
中には紹介状がなければ駄目ですと言う病院もあったが、多分あれは体よく断っているだけに違いない。
そうして行ったこともない病院まで含めて虱潰しした自分は、残り二件までリストを減らしてしまった。
あと一件はちと距離が遠いので、実質最後の一件に電話してみるが、この病院の受付からは意外な回答が返ってきた。
「処方は可能ですが、初診では不可能だと思います」
え!? と思った自分は、最後の最後でやっと手綱を掴むことに成功した。
今思えばそれは奈落への一歩であったのだが、自分は早速話を聞いてもらうためその一件の場所へと向かった。
そしてまずはレントゲンを撮影して診てもらう。
当院の医院長ですと現れたのは、りりしくも若いやり手感漂う医者だった。
年齢は自分と同世代かもしれない。いやもっと若いか?
彼はレントゲンを見て、手術で骨を補強した部分は無事だけど、その上が潰れていると言った。
それが背中が極端に曲がっている原因らしいと自分は推察。
そしてスクリューというのだが金具の補強が入っている部分は、それだけ神経が狭くなっていると言った。
それが原因で神経を圧迫して痛みを呼んでいるとか。
そんな初診を交えつつ、ノルスパンテープをやめたいという自分に、このちょっと当たりが厳し目の医院長はあっさりと言った。
「増やす分には慎重にならないといけないが、減らす分には問題ない。なんなら一日一枚ずつでも、いや二日に一枚がいいかな……」
以前の病院の薬剤師もよくわかっていなかったようだが、減らす時そんなゆるゆるだとは思わなかった。
しかしこれで問題は一気に解決しそうだ。
「ノルスパンテープがあると他の痛みが消えてしまうので、原因がよくわからなくなってしまうんですよ。もしやめて痛みが起こるようなら、いつでも言えば新しいノルスパンテープを処方します」
確約ももらった自分は、新しく神経痛の薬をもらい、温熱治療のリハビリをしてその日は帰宅した。
どうやらクロちゃんの呪縛からはあっさり抜けられそうである。
温熱治療は背中に熱いパックを巻いて十分間腰を温める。
他に後ろに引っ張って背筋を伸ばす機械もあるそうだが、さすがにそれは無理だと思うと断った。
今思えばこれは大正解だったわけだが。やっていたら死んでいた。
しかし眺めていると辛そうではあるが、確かに背筋は伸びるんだろうなと思う。
このままくの字でいると、姿勢が固まって元に戻らなくなるとも言われた。
その通りなのだが、家で少しでも布団の上に寝転んで、寝姿勢を取るようにしてくださいと言われても、それはできそうもない。
というか挑戦してみたが、数分もそうしていると痛みで跳ね起きてしまう。
うっかり眠ってしまえば、また寝違えを起こして動けなくなりかねない。
自分は相変わらず机に突っ伏して眠っていた。
今まで布団の下に敷いていたマットレスは、今机の下に重ねられて座布団になっている。
それでわかったのだが、うちにあるマットレス、それもつい最近買ったばかりの新品は、戻りが悪くいわゆる「深く沈み込む腰を痛める」タイプだとわかった。
数年前に買った同商品は押し込んでも離せばすぐ戻るのだが、新しいものだけが押し込んだらいつまでも戻らずへこんだままになる。
数千円の品なので期待したほうが悪いとはいえ、ここまで質が変化(実質劣化)しているとは思いもよらなかった。
これが腰を痛めた原因なんだろうなと改めて思う。
結局自分は古くて既にヘタリ気味の数年ものの古いマットレスを使うようになり、新品は使わないようになったが、それでも腰に走る痛みは日に日に酷くなった。
ノルスパンテープは二日おきに一枚ずつはがして減薬、数日でやっと完全解放された。
代わりに神経痛の薬を飲むようになった。
これはしばらく飲まないと効果が出ないらしい。
しかしいつの頃からか痛みがかなり強くなってくる。
だんだん夜もまともに眠れなくなってきた。
そのためリハビリのついでに「神経痛の薬を増やしてほしい」と要請したのだが、この医者看護師伝いに「量は十分出ているのでこれ以上は無理」と言ってきた。
どうも診察は苦手らしい。人前に出てこないでずっと奥に引っ込んでいる。
最初はあんなに自信たっぷりに出てきたのに。
それはともかく「薬が効くにはしばらく時間がかかる」と言われてしまうとどう返しようもなく、その場は引き下がった。
しかし時間が経てば経つほど、薬が効くどころか痛みは強くなってくる。
いよいよ我慢の限界に達した自分は「神経圧迫がこんなに痛いならいっそ金具を抜いてもらったほうがいいから、大きい病院紹介してほしい」と再度要請。
実は二度目の骨折時にかかった病院で、自分は骨切り(こつきりと読むらしい)手術を勧められたことがある。
これはくっついた骨を適当な場所で切って、繋がってしまった部分を動くようにする手術。
くっついた骨は二度と治らないと言い切られた最初の医者を思えば、そんな解決策があるのかという話だった。
「その場合補強に入っている金具はどうなりますか?」
「これは邪魔なのでその時は抜きます」
というやり取りがあったのだ。
別に入れた病院でなくても金具を抜くことができるというのは、それで知っていた。
しかしその時自分は母親の看病で手が離せず、とても入院などできる状態ではなかったため、この提案を断ってしまった。
そして母が亡くなり三年、今ならなんの心配もなく安心して入院できる。
さらに有利だったのはこの病院、家からほど近いため通院に苦しむこともない。
いわゆる脳梗塞の時も歩いて帰ってきた大病院だった。
自分にとっては理想的な環境だったわけだ。
というわけで自分はその病院に紹介状を書いてもらうつもりでいたのだが、この医者は散々看護師中継の末、やっとのことで嫌々出てきたと思ったら一人で捲し立て始めた。
「金具を抜くのは入れた元の病院しか駄目。別の病院? 無理だね」
素早く診察台の電源を落とした医者は、まるでこれ以上人目に触れていたら死んでしまうかのようにさっさと引っ込んでしまった。
自分はこの時点で諦めてさっさと席を立つべきだったのだろうが、あまりの素早さと一方的な態度に唖然として、つい絶句してしまっていた。
そして言わなきゃいいのに「(患者の話を一言も聞かずに)これで終わり!?」と叫んでいた。
ここでこの医者なにを思ったのか「これで終わり」と言いながら、さらに罵倒を続けるために戻ってきたから今思うと驚く。
実際これで無視されて終わりだったら、自分は別の病院に一から診てもらい直しだったわけだから、本当は助かったのだが。
しかし感謝より、さらにこの医者に対しての憎しみは増したかもしれない。
今思い返してもクロちゃんのことはまだ笑えるが、この医者のことは一つも笑えない。
そしてあまりの痛みと絶望と怒りで声もまともに出なくなりだしていた自分の説明をイライラしながら遮って、この医者は結局紹介状だけは書いてくれた。
「断られても知らんぞ」
という捨て台詞もおまけでついたが。
そしてまた数十分待たされて看護師に紹介状を渡された自分は、この病院を後にして二度と行かなくなった。
頼まれても行くわけない。
診察券はハサミで切ってゴミにした。
受け入れ先の病院の予約日になるまで、何度もその病院で断られる悪夢を脳内リピートし続け、全てに絶望して痛みから逃れるためにどうやって死のうか、自分は割と真面目に考えていた。
母親が入院していた病室は十二階だった。
その病院である時換気のためか窓が全開になっていたことがあったのだが、それを思い出してあそこからなら飛び降りられるかな? などとまともに考えるくらいは追いつめられていた。
しかし今はコロナ禍で面会禁止。
エレベーターを使って上階に上がっても、今の動きがのろい自分は見咎められて終わりじゃないだろうか? いつなら人目につかずに完遂できるか、などと考えていた。
もちろんこんなことは自分が笑われる側の笑い話になってしまった今だからこそ言える思い出話ではあるのだが、その時は本当に医者の毒というものを初めてもろに浴びせられて、見捨てられる可能性を自分の中でも否定できなかったのだ。
いろんな医者と関わったというほど経験豊富でもないが、ぶっちぎりでワーストになるのはこの時の医者だったと思う。
ネタにして悪いが、これだったら正しい答えを全然引いてくれなかったクロちゃんのほうがマシである。
実際クロちゃんにかかったままだといつまでも正解に辿り着けなかったわけで、それがよかったかと言われると本気で悩んでしまうわけだが。




