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今日から始める脳梗塞  作者: おっとり魚
第四部 新たなる旅立ち(手術)―その一 六月の入院記―
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第八話 その他のたちが悪い老人とこの場所の正体

 もうひとりたちの悪いお婆さんの話をする。

この人は車椅子が必要らしいがどういう病気かは知らない。

しかし表面上は元気だった。

この婆さん、まさか色気づいたわけでもないと思うが何故か男部屋に突撃する趣味を持っている。

本格的にこの婆さんが自分の生活に影響し始めたのは、彼女が向かいの部屋に移動してきてからだった。

自分の部屋を出てストレートに入ることができる男部屋は、彼女にとってユートピアだったらしい。

隙あらばそのまま侵入してくる婆さんは、最初悪爺と話し始めたが、これがもう会話が成立していない。

耳が遠い同士のせいもあるかもしれないが、通じない会話は置いてけぼりで全てすれ違い、ただ表面上フレンドリーなやり取りだけが続いて聞いているだけで辛かった。

少し話をして満足して去る婆さんは、その後も部屋の中をうろうろしている。


あまりに鬱陶しかったので部屋の入り口すぐに陣取る自分は、彼女が侵入を試みようとすると、チンピラのように「あん?」と凄むようになった。

以後彼女は間違えましたなどと動揺しながら自分は避けるようになったのだが、たまたま目を落としていたりよそ見しているとやっぱり平気で車椅子のまま乗り込んでくる。

いないいないばあ並の空間把握能力だ。

善爺は基本看護師以外とは滅多に話さないこともあって、コミュニケーションは成り立たなかったようだ。

というか目的はただ侵入するだけで、別に会話がしたいわけではないらしい。

悪爺ともそれ以降会話しているのを聞いたことはない。

看護師はそれを見つける度に「ここ男部屋!」とまるで「まあなんてはしたない」とでも言わんばかりに彼女を追い出した。

確か清見さんは実際にそう言った気もするが気のせいかもしれない。

が、当然時間選ばずの彼女の襲撃を完全防衛するには手数が足りなかった。


 そんな彼女が突然立ち上がった時はさすがに驚いた。

それは彼女が普通にベッドで寝ていた時のことだ。

向かいの部屋故当然細かいところは見えないのだが、彼女は誰に呼ばれたわけでもないのに「はいはーい?」とベッドから起き上がろうとした。

なにやらがたがた音を鳴らした後、車椅子に乗らずに立ち上がった彼女は、そのまま部屋の外に出ようとした。

慌ててナースコールを押した自分、割とすぐにやってきた看護師に「後ろ、後ろ!」と叫んだ時、彼女は壁伝いに部屋の外に出てきていた。

その後慌てて看護師が部屋に連れ戻したが、あれも放っておいたらあわや惨事となっていただろう。

人知れず老人の怪我を未然に防ぐことが自分の日課になっていた。

ただ寝ているだけの日々だったが、こんな自分でも役には立ったらしい。

彼彼女らは自分の退院後どうなったのやら……。



 他にもこの病院にはろくでもない老人がいた。

最初に入院してコロナのため個室に隔離された自分は、一人で一晩過ごした。

PCR検査の結果が出るまで、他の患者と一緒にはできないらしい。

この時PCR検査を初めて受けたが、大層な名前なのに鼻の奥に綿棒を突っ込まれるだけとは思わなかった。


その個室にまで響いてくる大音声は、まるでネコの盛りのように高い老女の悲鳴だった。

「痛い痛い痛い痛い、痛いー!」と文字通り絶叫する声は、長く続いて止まることがない。

最初どんな隔離病棟に押し込まれたのだろうと怖くなった。

結局この老女はなにをしても痛いといえばやめてもらえると思っているらしく、実際に痛いわけでもなんでもないことが後にわかった。

看護師もまともに相手にしていない。

ただ声のおぞましさで自分だけが恐怖を感じていたらしい。

それとわかってもあの声の恐ろしさは拭い去ることができない……あの婆さんは今も最高の演技を観客がいない中で繰り返しているのだろうか。



 まだ自分がベッドの上から動けなかった頃、近くの部屋で若い兄ちゃん(推測)が退院することになった。

看護師らと話し込んでいたのだが、その時この兄ちゃんが言った言葉が今も自分の耳に焼きついている。

「(ここは病院じゃなく)ただの老人ホームだった」

その時既に悲鳴婆さんと善爺のことはわかっていたので、自分はそれに納得したのだが、より深くその言葉に頷いたのはそれから後、散々迷惑老人と出会ってからのことだった。

本当にここは老人ホームでした。

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