第六話 悪爺さん夜中に暴れる
悪爺の悪評をもう一つ語っておこう。
それは入院当初財布から金を抜かれたという話だった。
犯人はその頃だけやってきた看護師の仕業らしい。
病院ではセーフティボックスという貴重品入れがあるが、悪爺は入院費を一括払いするためかなりの額をおろして所持していたらしい。
しかもそれを鍵もかけずに放置。
それがキャッシュカードごとなくなっている。やったのはあの時だけ現れた看護師だ。
やってくる看護師に延々何度もこの話をする爺さん。
言われた看護師は戸惑い、自分では判断できないからとお茶を濁して逃げるしかない。
当然問題が進展しないので爺さんは何度もこの話を別の看護師に繰り返すのだが、とある看護師は適当に話を切り上げてから、後に廊下で叫んでいた。
「被害妄想も甚だしい!」
悪爺は耳が遠いので聞こえていないが、自分には丸聞こえの距離だった。
自分も同じ感想だったのでこれには深く納得同意した。
実際この後やっぱり悪爺の勘違いで、お金とキャッシュカードは別の引き出しから発見されることになる。
余談ながらこの時の態度は呆れ返るレベルだった。
あった! と喜んだ爺さんは結局大事な金を金庫に入れることもなく、そのまま普通の引き出しにしまってしまった。
今まで冤罪を着せられた人に対する謝罪もなし。
見つかったことで満足した悪爺は「もういいもういいから」で話を終わらせていた。
全ての引き出しを開けて確認する体力もないのに、決めつけだけで犯罪を主張する姿は醜悪そのものだったが、このしつこさは老人特有のものなのだろう。
「キャッシュカードだけでも返してほしい」
「あいつが盗んだんだ!」
半泣きでブツブツ独り言を言う姿を全て聞いていたのは、相変わらず同室で唯一まともな神経の通った自分一人だった。
悪爺も生活保護らしいが、よく一ヶ月の保護費全額に相当する金額をキャッシュで持ち歩けたもんだと思った。
しかも爺さん金は半ば諦めて捨てたものと思っていたらしい。
一体いくら貯金があるのやら。
被害妄想も甚だしい!と叫んだのは年嵩の看護師清見さん(仮名)。
善爺さんの時に殺人事件現場のような演技(自分の脳内妄想だが)を見せて絶句したのもこの人だった。
この後ちょいちょい出てくるくらいは出番の多い、この人もなかなか濃いキャラだ。
この清見さん、困ったのはスマホの充電をしていたら「携帯電話の充電は許可されていない……」と持論を展開することだった。
いやみんな普通に使っているのだが。
悪爺なんてどこでも電話しまくりである。
さらに余談だが悪爺はその後よく携帯をなくしては「ない! 盗られた!」と喚いては「ここにあるじゃない」と窘められていた。
この爺さん勘違いと早とちりが多すぎる。
他にも四時の約束なのに三時を過ぎても現れないと怒り出し、例の理学療法士の女性をまた一人で罵倒していたこともある。
自分は黙ってその爺さんの早とちりを聞いていたが、看護師が見咎めてどうしたの? と爺さんと話し始めたのを見て、さすがに呆れて「いや違うのよ」と時間の違いを指摘した。
当然本人は耳が遠いので聞こえていないが、看護師も呆れて相手にしなくなっていた。
そんな奴なのだ。
清見さんのことに話を戻す。
他の看護師は「もうこの病院は病室でも携帯使ってOKよ、みんな使っているし」とさばさばしていたが、自分もそれに甘えてケースワーカーの電話に出たことがある。
動けないんだからそれも仕方あるまい。
携帯OKの場所まで移動できない患者のほうが多いくらいだし。
結局このお……清見さんだけが頑強に抵抗しているのだ。
見咎められたらターゲッティングされてちくちくやられるのでたまらない。
それも不徹底で自分の気持ちが満足したら後は見捨てられたりするから余計面倒なだけだった。
他にも廊下でノーマスクなことにお小言をもらった。
これは後の入院生活でも徹底させられたため、先に叱られておいて癖をつけられたのは正解だったが。
自分はコロナ禍でもどうも反応が遅く、最初はアベノマスクを愛用するくらいはマスクを使わない人だったため、この啓蒙は大いに役立った。
というか最後の仕上げをしてもらった感じだった。
他にも中々たちの悪い話があるのだが、それは次の機会としたい。
悪爺は日に日にベッド脱走の頻度が増えるようになった。
具体的には転落防止柵をがしゃがしゃ鳴らして持ち上げ、ついにはそれを引き抜くのである。
これは若い大の大人でも意外と重労働なので、弱った爺さんがやるのは大したものだと思う。
しかし引き抜くまではできてもそれをキープしたりそっと床に接地させることができない悪爺は、けたたましい金属音を立ててしまう。
当然廊下まで丸聞こえの音は看護師を呼び寄せて御用となる。
また戻される柵に阻まれ、爺さんの苦労は水の泡と相成るわけだ。
しかし犯罪を繰り返しても一言怒られる以外別に罰はないので、爺さんの行為は繰り返される。
それは時間を選ばず夜中でも繰り返された。
夜は夜勤体制で看護師が減るため、なおさら隙は大きくなる。
ただ夜なので音は一層響くのだが。
呆れた自分は起き上がって怪我でもしないように、柵を完全に外す頃にナースコールを押すようになった。
やってくる看護師に入り口すぐの自分は、黙って奥の悪爺の方向を指差す。
それだけでコミュニケーションは成立するようになっていた。
この部屋にはボケが進行していてまともに思考していない善爺と、あとは悪爺と自分しかいないので、ことは簡単なのである。
特に自分はどんどん手がかからないようになっていたので、なおさらナースコールで人を呼ぶ必要性がない。
割にはナースコールの常連になっていた。悪爺のせいで。
だんだん不審がり始めた悪爺は「お前らどっかから覗いているな」と確信していたようだが、スパイならあんたの隣にいるよという話だった。
実際転落防止柵を抜いて起き上がるだけの体力もないのに起き上がっても、怪我をするのがオチなのだ。
そうなれば周囲の迷惑だけでなく本人だって退院がさらに遠のく。
自分が鬱陶しいだけではない。いやそれもなくはない。しかし回り回れば悪爺のためでもあるのだ。
というわけで夜昼構わずナースコールを響かせる自分は、すっかり部屋の見張り番となっていた。
数が少ない看護師にとって、これだけの不良患者である悪爺の監視者として、自分は頼れる存在だったようだ。
自惚れるわけではないが、日に日に看護師たちの依存度が上がっていることを自分でも感じていた。
しかし悪爺はついに逃亡を成功させる。
やめときゃいいのに……。




