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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第十二章 激動
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06【帝人】その参

 大講堂前の大通りとそこへ繋がる通りは、朝から大変な賑わいようである。ひと目一位の神を拝もうと、各地の人々が集まって来ているからだ。午後からのパレードに備え、警備に当たる上位天位者の姿もあちらこちらにうかがえる。そしてどの宿屋でも、似たようなやりとりが交わされていた。

「今夜泊まりたいんだけど」

「あいにく満室でして」

「じゃあ他に泊まれるとこ知らない?」

「このあたりは、どこもすでにいっぱいですよ。申し訳ありませんね」

 宿主に断られた茶髪の美女は深いため息をついて宿屋を出た。

 彼女の名は「(かえで)」という。天位は二十。パレードのために遠路はるばるやって来た者たちの一人だ。御多分にもれず五軒目の宿に断られて身も心も疲れ果て、すっかり意気消沈中である。

「しんどいなあ。どうしよう」

 楓はあたりを眺め、行き交う人々を目で追い、ぼちぼち歩き出した。

「しゃーない。だめもとで行ってみるか」

 パッと目を引く美しい顔に似合わないセリフを口にしながら目指す先は、大通り沿いのど真ん中に威風堂々と建つ施設、大講堂である。災害があれば避難所となる場所でもあるから、宿泊できる施設くらいあるだろうという軽い考えだ。

「ごめんくださーい! 誰かいるぅ? おーい! ちわーす!」

 大講堂を訪ねているという自覚のない呼びかけに反応したのは、たまたま通りかかった麗だった。

「何か御用かしら」

 楓は顔を綻ばせた。

「聞いてくれてありがとう。私は楓。あなたは?」

「雲春咲迦丞麗と申します」

「そう。麗ちゃんでいいのかな?」

「え、ええ」

「急に悪いんだけど、ここ宿泊とかできない?」

「なにか特別な理由がなければ無理です」

「このへんの宿、どこもいっぱいで泊まれないの」

「なんともなりませんわね」

「そんな冷たいこと言わないで」

「規則は規則ですから」

「じゃあ、宿屋以外で泊めてくれそうな所ない?」

「ごめんなさい。お役に立てそうにありません」

「うーん、しょうがないなあ。じゃあ、崇いるでしょ? 沙石崇。呼んできて」

 麗は驚いて楓を凝視した。軽いウェーブのかかった美しい髪。温かみのある茶色い瞳。シミひとつない白い肌。そしてどこをどう見ても美人としか言いようのない顔立ちである。そんな彼女が沙石のことを馴れ馴れしく呼ぶのには何か理由があるのだろう。

 麗は震える腕を抑えて、引きつった笑みを浮かべた。考えられる理由など数少ないからだ。

「どのようなご用件でしょう」

「なんでもいいじゃない。早く呼んできて」

「いいえ。彼は部外者が簡単に目通りできるような方ではございませんので」

「そうなの? 生意気〜」

「ご用件をおっしゃってくださいっ」

 麗がやや怒り気味に促すと、楓はため息ついてその場に座り込んだ。

「疲れたからお茶でもいれてもらおうと思って。ついでに泊まれる所も世話してもらいたいなーなんて。ダメかな?」

「失礼ですけど、どのようなご関係?」

 楓は麗を見上げて目を瞬かせた。そして何か思いついたように、意地悪な笑みを浮かべた。

「私たち付き合ってるの」

 麗は顔を真っ赤にして踵を返し、

「ここでしばらくお待ち下さい」

 と言って神族の事務室へと向かった。


 ノックもなしに勢い良く開かれたドアへ、全員の視線が集まった。中にいたのは燈月、沙石、烈火、帝人の四人だ。

「どうしたんだ?」

 麗の姿を見て沙石が問いかけると、麗は鋭い目つきで答えた。

「エントランスにお客様を待たせてあります」

 沙石はたじろぎながら小首をかしげた。

「誰?」

「行けば分かるんじゃない?」

「え? オレ?」

「そーよ! ほかに誰がいるのよ!」

「……なに怒ってんだ?」

「知らないわよ! 自分の胸に聞いてみれば!」


 麗は怒りつつもエントランスまでお伴した。この修羅場でどう言い訳するのか聞いてやろうというわけである。

 沙石はなんだか恐ろしいので帝人に同行を頼んだが、「心配いらないから行って来い」と言って断られてしまった。

 そうしてエントランスまで行ってみると、見たことあるような女がいる。沙石はギョッとして毛を逆立てた。

「な、なんでテメエが!?」

「テメエとはなに。わざわざ訪ねて来てやったのにさー」

「なにしに来やがった」

「パレード見に来たに決まってんでしょ。でも泊まれるとこがひとっつもなくってさあ。あと喉かわいた。なんかちょうだい」

 沙石は頭を抱えた。

「お袋一人か? 親父は?」

「あの人がパレードなんか見にくるわけないじゃん。久しぶりにデートしようとか言って誘ってみたけど全然ダメだった」

 二人の会話を聞いて、麗は一気に冷えた。

「おおお、お袋って、え? お母様?」

 動揺する麗を見て、楓はニッコリと微笑んだ。

「そうお母様。ごめんねー、嘘ついて」

 すると沙石が眉尻をピクッと動かした。

「おい、なんつって来たんだ」

「付き合ってるって言ったんだけど、真に受けちゃったみたい」

「はあ!? てめ、いい加減にしろよ!」

「アハハ。まあ、そう怒らない。それにしても麗ちゃんカワイイ。あんたの彼女?」

「まあな」

「へー、やるわね。どこまで行ったの?」

「んなこと聞くなよ」

 沙石は顔を赤くして歯ぎしりしながら背を向けた。

「こいよ。茶ぐらい出してやるぜ」

「どーも。あ、宿もお願いね」

「ああ。鷹塚のおっさんに頼んでみる」


 その後、沙石の母親を見て誰もが「この親にしてこの子あり」と思ったのは言うまでもなく、帝人も、沙石は見た目が父親似で中身が母親似であると認識した。


***


 パレードのために用意された馬車は大きく豪華絢爛である。五頭の馬が引き、御者二人、警備四人、補佐二人、主役一人の計九人がゆうに乗れるほどの規模で、きらびやかな装飾が施されている。

 御者を務めるのは使族天位十の再挧真、魔族天位五の滃滑基結。警備に当たるのは神族天位四の珀画、(せき)風瀬(かざせ)と魔族天位五の枦峰森(はぜみねもり)。補佐は由良葵虎里と空呈だ。

 帝人は一番高い位置にしつらえてある椅子へ腰掛けるわけだが、これがどうにも恥ずかしく、長時間座っていられる気がしない代物だった。

 張られている布はベルベット、縁は金。はめられている装飾品はダイヤである。なかなか重厚感ある作りではあるが、とんでもない悪党の親玉が座っても違和感がない。

 帝人が黙ってうつむいていると、傍に立つ空呈が声をかけた。

「ほぼ見世物なのは我々も一緒です。頑張りましょう」

 帝人は口元を引きつらせた。

「全然フォローになってないな。本当にやるのか」

「これだけ人が集まっているのに、中止なんてできません」

「しかしな」

 帝人が渋っていると、空呈とは反対側に立つ虎里が咳払いした。

「覚悟を決めろ」

 帝人は虎里を見て、ため息ついた。確かに決めるよりほかないからだ。それもおよそ数時間の辛抱である。子供のように駄々をこねる訳にはいかない。


 開会式が終わり、花火が打ち上げられた後、パレードは華々しく始まった。路肩に群れなす人々の熱狂的な視線と声の渦。きりもなく舞い散る紙吹雪。お祭り以上にお祭り騒ぎといった雰囲気である。

「これは掃除が大変そうですねえ」

 などと空呈がのんきにぼやいているのは、平和である証だろう。これで神界と一世界になった暁にはどうなることやらと、帝人は早くも心配した。


***


 その夜。

 帝人がすっかり疲れてベッドに横たわっていると、部屋の戸が叩かれた。開けると虎里が立っていた。大講堂を抜けて鷹塚の屋敷まで会いに来たのである。

「労いにでも来てくれたのか」

 尋ねると、虎里は口の端をわずかに上げた。

「そんなところだ」

 虎里が部屋の奥に進んでソファに座ると、帝人は棚にある酒とグラスを取ってテーブルに並べた。二人ともしばらくは黙って酒を飲んだ。

 これまで天位のため、理想郷のためと脇目も振らずやって来た帝人だが、今こうして虎里と向かい合っているという現実が、ついに全てを成就する時が訪れたのだと自覚させる。誰のためでも、何のためでもなく、己のために生きる時代が来たのだと。

「神界と一世界になったら、とりあえず寅瞳殿に会ってこようと思う」

 帝人が告げると、虎里はうなずいた。

「それがいいだろう」

 言って虎里は、グラスに残った酒を飲み干す。それから帝人を眺めてしみじみ思った。これだけ容姿に恵まれながら、よく今まで独り身でいられたものだと。だが性格を考えれば妥当である。とにかく真面目で、ひとつのことに目が向けば他のことなど眼中にないという男だ。燈月らと旗揚げした時、虎里が戻るよう説得したのに聞く耳持たなかったのがいい例である。たとえどんなことがあろうとも、目前の問題解決のために不要な感情は無視できる型なのだ。

「おぬしの中心が俺になるのは、まだまだ先のようだな」

 虎里が素直な感想をもらすと、帝人はわずかに頬を紅潮させた。酒のせいか照れのせいか微妙であるが、ほんのり色づいた顔は美しかった。

「人の心が視えるおぬしにこんなことを言っても詮ないだろうが、俺の心は決まった。長い旅の終着地点に着いたのだ。それだけは信じてくれ」

 帝人はやや目を見開いた。昔、似たようなことを言われたからだ。

〝もう清玲院に落ち着けとは言わない。だが旅はそろそろ終わりにしないか。私はお前の旅の……終わりになりたい〟

 帝人がその者を旅の終わりにすることはなかった。愛してなどいなかったからだ。しかし自らが愛する者の終着地点となってみて、初めてその者の深い情を感じられた。

 あの頃に人の心が読めていたら、多くの過ちを犯さずに済んだかもしれない。受け入れられないまでも、支えにはなれたかもしれない。

 ふとそんな後悔をしてみるも、今は遠い昔である。全ては流れ、昇華して光になったのだ。

 帝人は虎里を見つめて言った。

「私にとっては旅の始まりだ。これからやっと自分の人生を歩き始める」

 すると虎里は満面の笑みを浮かべた。

「しょうがない。お伴しよう」

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