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神影(しんえい)改訂版  作者: 礎衣 織姫
第八章 新政
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07【永治・光治】その参

 周囲の者が、妝真がいないことに気づいたのは、一週間も経ったあとのことだった。

 寅瞳が復活して、沙石の加護を三割引き受け、妝真の担う割合が一割に満たなかったせいもあるが、なにより心身ともに子供であることが、様々な人々との接点をなくしていたのである。

 草原の中にシンプルな紋様を描く、金色の死の印章。そして辺りには、血にまみれた銀の羽根が散乱している。死因は明らかだったが、再挧真には自身の死を思い起こさせ、いっとき精神を病ませた。

 また泉房は、背中が痛いと言っていた在りし日の妝真を思い起こし、自責の念にとらわれた。

「あの時、気づいてやっていれば」

 そう後悔する泉房を、風門が慰めた。一方で、この時ばかりは仕方ないと献花に訪れていた永治と光治は、初めて見る死の印章と凄惨な現場に言葉をなくし、茫然としていた。

 いつも明るい笑顔で本を持って来てくれていた少年の面影などどこにもない。

 それが天位者の死であり、核の死なのだと知った。

『ひどい』

 光治が目をそらし、永治はその肩に手を乗せた。

『神代の世界にも、こんなことがあるんだな。地球があんなだったのもうなずける』

『将軍は蘇生の力を使わないんだね』

『時と場合によるんだろう。あの時も、二度も使わないと言っていた』

『二度目なの?』

『歴史書にあっただろ? 父親が蘇生されてる。あれ、数に入るんじゃないか? ……いや、違うな。あれは確か、カーンデルって奴が』

『ああ、ジアノス・マートンだね?』

『それだ。奴の関わりで死に至った案件でなければ使わないんだ』

 珍しくおしゃべりな双子に、周囲にいた大人達は目を見張ったが、異界の言葉だったため理解はできなかった。が、なにやら物騒な話には違いないと思えた。

 ことに由良葵虎里は訝っていた。分からない言語の中にも聞き取れる単語があるとするなら、それは人の名だ。虎里は確実にそこだけ聞き分けていた。そして以前、界王の精霊・泰明に聞いた話を思い出してゾッとした。

 この世で初めて天位一位を得た史上最悪の男、その名こそ「カーンデル」だからだ。

「おまえたちは、あの男を知っているのか」

 聞きとがめる言葉に、永治と光治はハッとして虎里を見上げた。虎里は険しい表情を返した。

「逃げずに答えろ。カーンデルという男を知っているのか」

 光治は射すくめられた様子で息をのんだ。

「は、はい。俺たちはジアノスって呼んでいましたけど、将軍はカーンデルって呼んでいたらしいです」

「将軍?」

「界王です」

 虎里は眉根を寄せて目をそらし、腕組みをした。

「なるほど。おまえたちが界王となんらかの関わりがあるというのは、本当らしいな」

「えっ、誰がそんなことを」

「帝人殿が。あと、あのシュウヤとかいう男も」

「そ、そうですか」

 シュウヤはともかく、帝人の名が出たことには永治も光治も戸惑った。すでにそこまで分かっているのなら、二人の能力についても知っていていいはずだ。それなのに何も言ってこないのはどういう了見なのか。

 視線を泳がせていると、虎里がしゃがみこんで目線を合わせ、今度は小声で質問した。

「あのシュウヤという男、一体なんなのだ?」

「え? 知らないんですか?」

「いや、何となくは知っているが、はっきりとは。天位も見えぬし」

「見る方法が違うんですよ」

「方法?」

「普通の天位を見るより、視点をちょっと手前に持ってくるんです」

「ほう。で、何位だ」

「それはないそうです」

「は?」

「俺たちもこのあいだ聞いてみたんですけど、あれ、天位零って言って、位はついてないんですよ」

「なんの意味があるのだ?」

「界王の腹心って意味じゃないですか? 現にそうですし」

「なんだと!?」

 虎里は思わず声を上げて、周囲を見回した。やや不審げに見られはしたが、ひと睨みで蹴散らし、再び双子に向いた。

「俺はてっきり、一位がそれだと思っていた」

「忘れてしまうのに? そんなわけないだろう」

 そう答えたのは永治だ。双子なので黙っていればよく似ているが、おっとりした感じの光治と違い、永治の表情は冷たく厳しい。

 まるで違う印象を持っていることに虎里は驚かされたが、そこは天位四の神である。すぐに余裕の笑みを返した。

「理想郷のことを、よく学んでいるな」

 永治はやや気圧されて、視線をそらせた。

「暇なので」

「いや、それだけではないな。過去世で何があった?」

 永治はチラと虎里を見やって、目を伏せた。

「戦争があった。それだけです」

 戦争とは穏やかでないな、と虎里は思ったが、あえてその先は尋ねなかった。

 虎里は立ち上がり、二人に花を供えるよう促してから去った。

 光治は花を供えたあと、永治を肘で突ついた。

「もう、言葉遣いとか気をつけてよ」

「天位制度に慣れないんだ」

「思いっきり縦社会にいたくせに」

「その縦社会の上層部だったからな」

「じゃあ天位者を将官クラスと思えば?」

「何人いるんだ」

「うーん、じゃあ天位四から上は、そのくらいって思えば?」

「三だろ」

「もう、そんなのどっからでもいいよ。とにかく俺たちは無天位者なんだから」

『天位制度なんか受け入れなきゃ関係ない』

 まずい台詞はちゃんと異界の言葉で吐き捨てた永治だが、本当にまずい内容だったため、光治は冷や汗かいた。

『どうしてそんなこと』

『俺は誓った。忘れないと。サウスに対してだけじゃない。あの日、地球で起きたすべてのことを忘れないと誓った。一位の神が理想郷を確立してこの記憶を消し去るというなら、俺は歯向かう。作られた思い出の中に生きるなんてまっぴらだ』

『……兄さん』

『それだけじゃない。俺はあの時に知った。人は死して生まれ変わるのだということを。流転こそ究極の道なのだと悟ったんだ。こうしてもう一度人生をやり直せるなら、俺は巡りたい。あらゆる季節と昼と夜を何度も越えてゆきたい。地球で果たせなかったことを、今ここで永遠につないでいきたいんだ』

 光治は愕然として、一歩引いた。

 弟の死が、どれほど深く兄の心をえぐったのか、はっきりと見えたのだ。

 失うと分かっているからこそ、大切にできるもの。永治はそれだけを見つめて生きている。生まれ来て死に行く刹那の美を愛しいと想い、繰り返す別れと出逢いに希望を見出している。それこそが求めるべき理想だと悟っているのだ。

『兄さん、でも』

『言うな。分かっている。きっと界王の意思にも一位の力にも敵わないだろう。だが俺は必ず再生する。消し去られ、書き換えられた記憶を、必ず正しく再生してみせる』

 光治にはもはや、返す言葉がなかった。しかし、かつて己の力が地球を揺るがしたように、兄の志がいずれ理想郷となった天上界を揺るがすだろうということは、なんとなく予感できた。


***


 従弟が地上で物騒な話をしている時、妝真は静寂が漂う場所に来ていた。霧が深くたちこめる中、細く切り立つ翡翠の岩。その上の小さな祠を、突っ立ったままじっと見ていた。

(なんだろう、これ)

 背中には、己の身体をすっぽり包み込んでも余るほど大きな銀の翼がある。しかし重みも痛みも、今はない。自由にも動かせる。こんな意味不明な場所からは飛び立って、どこへでも行けるはずだった。が、妝真は祠に釘付けになっていた。五十センチ四方の小さな家に興味などあるわけもないのに、どうしても視線が外せなかったのである。

「手を触れれば、中へ入れますよ」

 ふと声がかかった。妝真はドキッとして振り返った。そこには、白く長い髪と、黄金の輪を宿した黒い瞳の青年が立っていた。青年は微笑み、軽く会釈した。

「初めまして、妝真様。私は大龍神(おおたつのかみ)と申します。中央の祠で神界の核を担っています。どうぞお見知りおきを」

「え? あ、あの」

「大丈夫ですよ。ここは核の魂が眠る場所。沙石様も寅瞳様もいらしたことがございます。もっとも、沙石様は東、寅瞳様は西、桜蓮様は北、あなた様は南ですが……まあ、方角の違いだけです」

「そ、そう」

「今はどなた様もいらっしゃいませんので、話し相手は私しかおりませんが、どうしてもとおっしゃるのなら、たまに下へおいでになっても構いません。ですが、必ず私を通してください」

「は、はい」

 妝真が返事をすると、大龍神は横にスッと手を差し出した。先には白龍がいた。半透明ではなく、しっかりとした実態がある。

「この龍をここへ置きます。御用の際はこれに申し付けてくだされば、私の耳に届きます。この白龍は、ご存知ですね?」

 妝真は目を丸めて息をのんだ。確かにそれは、天上界でよくなついてくれた白龍だった。

「どうして」

「この世とあの世はつながっています。あなたがお呼びになれば、神界の四神は飛んで参ります」

「四神?」

「朱雀、白虎、玄武、青龍——ですが、龍に関しては紅龍、白龍、黒龍も共にあります。これらは獣王の称号を持つ者に従うよう、定められています」

「そ、そうなんだ。全然知らなかったよ」

 妝真は頬を紅潮させてうつむいた。自身のことに無知だったことが、恥ずかしかったのだ。しかし大龍神はそれを笑わなかった。

「お生まれになったばかりでは仕方ありません。先にこちらへいらして下されば、いろいろと学ぶ機会も差し上げられたのですが、いきなり地上へ行ってしまわれたので、不自由なされたことでしょう。ですが、それも核としての資質がそうさせたのですから、良いおこないだったのです」

「核としての資質?」

「沙石様や寅瞳様の手助けをされ、地上を守ろうという志をお持ちでした」

「あ、あー、でも、あんまり役に立たなかったよ」

 妝真は頭をかいて、照れ隠しに笑った。すると大龍神もつられるように微笑んだ。その笑みに、妝真は親しみを覚えた。

 初めて逢うのに自分のことをよく知る彼とは、きっと仲良くなれるはずだと思い、期待に胸をふくらませた。

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