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『異世界転生でアイドル目指します。』  作者: 星空りん
第三章 声にならない願い
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67 鎖された手、震える祈り

 夜の闇がわずかにほどけ、聖都の空は鈍色へと変わりつつあった。

 鐘の音が遠くで一度だけ響き、まだ眠りの底にある街並みを震わせる。


 聖女寮の奥深く――その最奥にある《聖女の檻》の中で、セレスティアは目を開けた。

 眠ったという感覚はほとんどなかった。

 脳裏には、昨日の夜の光景が鮮明に残っている。


(……マルシェ)


 黒い外套の影、懐かしい笑顔、そして机に置かれた手紙の束。

 それらは温もりの記憶として残っているはずだったのに――今は、胸の奥でひどく重く沈んでいた。


 冷たい空気の中、廊下から規則正しい足音が近づいてくる。

 それはいつもの見張りの巡回よりも重く、揃った響きだった。


 扉の前で足音が止まる。

 次の瞬間、結界の術式が淡く光り、書き換えの音が低く響いた。


「――聖女セレスティア様。宗政評議会より通達です」


 無機質な声が扉越しに告げる。

 その響きは、昨夜の監察官たちと同じ冷たさを帯びていた。


「本日、午前の鐘とともに、《断罪の儀》を執り行います。あなたは執行聖女として参加していただきます」


 断罪――その一語が、胸を抉った。

 続く言葉を、心が拒絶する。

 だが耳は容赦なく、それを拾ってしまう。


「対象は……聖女候補マルシェ」


 息が、喉に詰まった。

 次の瞬間、聖環ノクティアが脈打ち、吐き出しかけた声を封じる。


(嘘……そんな……)


 足元が揺れる。

 昨夜、あれほどの危険を冒して会いに来てくれたのに――その代償が、これなのか。


「なお、儀式中の発話、行動はすべて聖環によって制御されます。抵抗は無意味です」


 扉の向こうで複数の影が動く音がした。

 金属の鎖が擦れる硬い音。

 それが、自分に向けられているのだと理解するのに、時間はかからなかった。


 結界が解かれ、扉が開く。

 仮面をつけた神官兵が二人、無言で入室する。

 一人が両腕を取り、背中の後ろで交差させた手首に冷たい鎖をかける。

 カチリ、と錠が噛み合う感触が骨まで伝わった。


 もう一人が足元に目を落とし、拘束具を確認してから短く告げる。

「移送する」


 セレスティアは一歩、足を前に出そうとした。

 だが自分の意志より早く、聖環が首筋から背骨へ冷たい力を流し込み、歩みを“前へ”と押し出す。


 意識はある。

 だが、その動作は自分のものではなかった。


(……やめて……! 行きたくない……!)


 胸の奥で叫んでも、声は外へ出ない。

 それどころか、その叫びすら聖環の冷たい光に絡め取られ、掻き消されていくようだった。


 檻の外に出た瞬間、廊下の空気が刺すように冷たく感じられた。

 高い窓から差し込む光はまだ淡く、聖都の朝は完全には目覚めていない。

 それでも、儀式の気配だけが着実に迫っていた。


 歩くたび、鎖が小さく鳴る。

 その音が、やけに大きく響く気がした。


◇ ◇ ◇


 長い回廊を抜けると、冷え切った石造りの階段が待っていた。

 外へ続くその段差は、まるで奈落へ降りていくための道のように見える。

 一歩踏み出すごとに、靴底が硬く響き、その音が回廊の石壁に反響して返ってくる。

 鎖の擦れる金属音が、その律動に重なり、歩みのたびに首筋へ冷たい感触を突き立てた。


 《聖環》は、歩幅までも支配していた。

 セレスティアの足は、両脇を固める兵士の歩調に合わせ、規則正しく進む。

 心は必死に抵抗しても、体はその反抗を裏切り続ける。

 それは人形が糸で操られるような感覚で、わずかにでも踏みとどまろうとすれば、背骨に走る鋭い電流がすぐさまそれを打ち消す。


 外気が頬を打った。

 薄い霜が張った石畳が、足元で微かにきしむ。

 聖都の朝は寒い――けれど今のセレスティアには、その冷たさよりも、背中に突き刺さる無数の視線の方が鋭く感じられた。


 道の両脇には、既に人々が集まっていた。

 商人風の男、農村から来たと思しき老女、粗末な外套を羽織った子どもたち……。

 彼らは低くざわめき、互いに顔を見合わせながら、この異様な行列を見つめている。

 その視線の中には、畏怖も、軽蔑も、興味本位も入り混じっていた。

 だが、セレスティアの目に映るのは、ただ一人分の顔――マルシェの面影だけだった。


(今……どこに……)


 その問いは、鎖の重みと共に心の奥底へ沈んでいく。

 今この瞬間にも、マルシェは処刑のための“準備”をされているのだろう。

 その想像が胸を締め上げ、息を呑むたび、喉元の聖環が脈打つように熱を帯びた。


 やがて、視界の先に高い塔が見えてくる。

 それは聖都でもっとも厳粛かつ、もっとも残酷な儀式が行われる《断罪の塔》。

 塔の前には、宗政評議会の紋章が刻まれた大きな垂れ幕が翻っている。

 風が吹くたび、その白布の中央に描かれた黄金の環が、冷たく光を返した。


 足を止めたくても、聖環がそれを許さない。

 首筋から背骨へと、ぞわりと冷たい衝撃が走り、無理やり歩みを進めさせられる。

 兵士たちは何も言わず、その“操られた聖女”を囲みながら、無音のまま門をくぐった。


 中庭には、既に儀式用の壇が組まれていた。

 中央には、手足を拘束するための巨大な魔導枷が据えられ、その前には執行者の立ち位置を示す銀色の円が刻まれている。

 円の縁には、封印と強制の術式を象った紋様が幾重にも重ねられ、薄く光を放っていた。


 セレスティアの視界がその円を捉えた瞬間、聖環が淡く光を帯びる。

 それはまるで、「ここがお前の役目だ」と告げる合図のようだった。


(……違う……そんなはず……)


 心の中で必死に否定しても、体は止まらない。

 壇の階段を登る足取りは、もはや自分の意思ではなく、冷酷な術式の命令そのものだった。

 息を吸うたび、鉄と石の冷たさが肺の奥まで染み込み、鼓動の音すらも遠くなっていく。



 壇の上は、風の音がよく通った。

 高い塔に囲まれた中庭は外界の喧噪を遮断しているはずなのに、薄く凍った空気だけが肌を撫で、白い吐息が自分のものであることすら確かめるように立ちのぼる。


 円環の縁まで導かれる。足が、勝手に止まる。

 銀の線が靴底に触れた瞬間、首の後ろで聖環が小さく鳴った。甲高い、聞こえるか聞こえないかの金属音。耳朶に刺さって、胸骨の奥で震える。


(いや……やめて……)


 心の声は、誰にも届かない。

 届くように作られていない。これは、誰かの祈りではなく、誰かの命令に従うための円だ。足首から頭頂までを、見えない糸が縫いとめていく感覚。自分の体なのに、操り人形のようにしか動かせない。


 周囲を取り囲む神官と衛兵の列の前に、黒衣の評議官が一歩進み出た。

 中背の男。しっとりと油の落ちた黒髪を後ろへ梳き、額には宗政評議会の印を刻んだ細い冠を付けている。その目は冷ややかで、石造りの壁と同じ温度しか持たない。


 男は両手を胸の前で交差し、儀礼的に掲げると、石の広場に響く声で宣言した。


「——ここに、異端加担の罪により、聖女候補マルシェに断罪を執行する」


 ざわ、と観衆が風のように揺れた。

 断罪の塔を取り巻く三層の回廊に、無数の瞳が鈍い色で並び、動く。期待、恐怖、正義、退屈、好奇心。色とりどりの感情の欠片が、雪片みたいに降り注いでは消えていく。ざらついた視線が、肌の上で細かい針のように刺さる。


 そんな色のすべてから視線を逸らすように、セレスティアは空を見上げた。

 曇天。切れ目から差す光は冷たく、冬の薄日が塔の角を白銀に縁取っている。


(見ないで。まだ、見ないで。あなたの姿を、見たら——)


 鎖のすれる音が、胸の奥を締めつける合図になった。

 次の瞬間、光の枷に繋がれた少女が、静かに壇の上へと連れて来られる。


 マルシェ。


 青ざめた顔に、いつもの茶色の髪。簡素な白の粗布に灰の線が一本。聖堂の掃除のときも着ていた作業着に似ている。袖は肘まで折り上げられ、小さな手首には淡い痣。唇の端が乾き、細かくひび割れている。

 ——けれど、その目は。


 セレスティアの胸の内側で、何かが音を立てて崩れた。


(笑って、るの……?)


 ほんのすこし、口角が上がっていた。

 声は出ないはずなのに、唇が言っていた——「だいじょうぶ」。


 護送の神官がマルシェを魔導枷の前に立たせる。

 枷は彼女の両腕と両足、そして腰に沿ってふわりと光り、少しの間だけやさしい音色を鳴らしてから、硬質な光へと変わった。まるで慰めるように装って、次の瞬間には逃げ道を閉じる罠。


 評議官が再び声を発する。

 その声音は淡々としているのに、耳に落ちると鉛のように重く響いた。


「異端の闇に与し、神聖なる秩序を乱した者には、聖女の裁きを。」

 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

 今回の67話は、私にとっても書くのがとても苦しい回でした。

 マルシェが壇上に立ち、セレスティアと目を合わせて微笑む――

 このわずかな仕草に、彼女の覚悟と優しさ、そして抗えない運命の重さを込めました。


 次回はいよいよ、この場面の「その先」です。

 どうか、セレスティアとマルシェの最後までを見届けてください。


 もし「続きが気になる」「ここからどうなるの…」と少しでも思っていただけたら、

 ブックマークや感想で応援していただけると励みになります。

 この章のクライマックス、ぜひ一緒に駆け抜けましょう。

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