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『異世界転生でアイドル目指します。』  作者: 星空りん
第三章 声にならない願い
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66 密やかな灯火、寄り添う者

 魔導技師たちは、淡々とした動作で儀式の準備を進めていった。

 床に描かれた銀色の術式陣が、わずかな振動と共に微光を帯びる。

 それは神聖さよりも、冷たい計算の気配を放っていた。


「座ってください」

 無表情な女性技師が、金属製の椅子を指し示す。

 背もたれには固定具が備えられ、手足を拘束する革帯が垂れていた。


 セレスティアは静かに腰を下ろした。

 逃げられないことは、最初から分かっていた。

 革帯が手首と足首を包み、金属音とともに締められる。


 その感触は、冷たさよりも、心の奥まで食い込む重さを伴っていた。


 頭上の灯りが一段と強まり、魔導波を発する水晶装置が起動する。

 低い唸りのような音が耳奥を震わせ、やがて首元の《聖環ノクティア》が応えるように鈍く脈打ち始めた。


 ――ドクン。

 喉の奥から胸にかけて、じわりと重苦しい熱が広がる。


(……また、これ)


 この“調整”は、祈りを正規の回路に流すためのものだと説明されている。

 だが、実際は違う。

 祈りを「測定」し、「管理しやすい形」に押し込めるための儀式。


 自由に祈る力を奪い、枷に従わせるための……教会の鎖。


 魔導波が強まり、視界の端が白く滲む。

 耳鳴りの中、断片的な声が混じる。


「もっと深く……抵抗値が残っている」

「意志の発露が強い。抑制符を追加しろ」


 まるで人ではなく、実験体を前にしているかのような言葉。


 セレスティアは奥歯を噛みしめた。

 痛みや不快を訴えても、聞く耳など持たれないことは知っている。


 ――それでも。


 胸の奥の灯火だけは、消させない。


(……マルシェ)


 名前を思い浮かべただけで、首輪がわずかに反応する。

 微細な魔力が喉を締め付けるように走るが、それでも彼女は思考を止めなかった。


 あの笑顔。

 あの真っ直ぐな眼差し。

 「あなたの祈りは、誰かの涙を拭う力がある」と言ってくれた声。


 それが、今の自分を繋ぎとめている。


 視界の白が少しずつ薄れ、現実が戻ってくる。

 調整が終わったのだろう。固定具が外され、革帯が外れる音が響く。


 足元はふらついていたが、セレスティアは立ち上がった。


 魔導技師たちは彼女の表情など気に留めることもなく、黙々と器具を片付け、部屋を去っていく。


 残されたのは、静寂と、自分の鼓動だけ。


 セレスティアは胸に手を当て、小さく息を整えた。


(……まだ、祈れる。奪われきったわけじゃない)


 それは自分への誓いだった。

 この檻の中にいても、心までは檻に入れさせないという、ただ一つの抵抗。


◇ ◇ ◇


 夜更け。


 聖都の空は雲に覆われ、月明かりすら遮られていた。

 聖女寮の一角――魔術結界で封じられた《聖女の檻》の中は、昼と変わらぬ薄暗さと沈黙に包まれている。


 セレスティアは机に向かい、ノートを開いたまま、ゆっくりとペン先を止めた。

 集中が途切れたわけではない。

 微かに、廊下から複数の足音が遠ざかっていくのを感じたのだ。


 見張りの交代時間――。


 静寂が深まり、耳の奥で自分の鼓動が響く。

 その瞬間、扉の方から小さな音がした。


 カチリ。


 施錠の音ではない。もっと柔らかく、ためらいを含んだ響き。


「……セレスティア?」


 かすれた囁き声。

 耳が、その声の主を覚えていた。


「……マルシェ?」


 結界の光が一瞬だけ揺らぎ、細い隙間から人影が滑り込む。

 黒い外套のフードを外すと、そこには懐かしい顔があった。


 マルシェは安堵の笑みを浮かべ、部屋の中へと足を踏み入れる。

 その足取りは軽くはなかった。長い道のりと緊張が刻まれたように、肩がわずかに上下している。


「……よく来られたね。この結界、外からじゃ……」

「ちょっとした裏道を使っただけ。まだ教会も気づいてない」


 マルシェは言いながら、懐から小さな包みを取り出す。

 布を解くと、中には紙片がいくつも折り畳まれて入っていた。


「これは……?」

「あなたが祈って救った人たちからの手紙。直接は渡せないから、私が集めたの」


 セレスティアは包みを手に取り、一枚ずつ開く。

 震える文字で感謝を綴ったもの、短い祈りの言葉だけのもの、子どもの拙い絵――。


 その全てが、確かに「届いた」証だった。


「……わたし、まだ……誰かの役に立ててるんだ」

「当たり前よ。あなたの祈りは、まだ生きてる」


 マルシェは椅子を引き寄せ、セレスティアの真正面に座った。

 灯りの下で見つめ合うと、互いの疲労も、孤独も、痛みも滲み出すようだった。


「誰がどう言おうと、私はあなたを信じてる。祈りは、人を救うためにあるんでしょ?」

「……ありがとう」


 それは、今のセレスティアにとって、何よりも重く、温かい言葉だった。


 だが――。


 扉の外から、不意に硬い足音が響いた。

 結界が微かに震える。


 マルシェの顔から笑みが消える。

「……もう時間がない。これ以上いたら、私もあなたも危険よ」


 立ち上がる彼女の手を、セレスティアは反射的に掴んだ。

「……また、来てくれる?」

 マルシェは短くうなずく。

「必ず」


 それだけ告げると、黒い外套の影は結界の隙間へと消えていった。


 残された静寂は、先ほどよりも深く、重い。

 けれどセレスティアの胸の奥には、確かな温もりが残っていた。


(……誰かが、信じてくれる限り)


 小さく、そう呟いた時だった。

 背筋を這い上がるような、冷たい気配が部屋に満ちる――。


◇ ◇ ◇


 冷たい気配は、予感ではなく現実だった。

 扉の外から、結界の術式が強引に書き換えられる、耳障りな魔力の軋みが響く。

 低く押し殺した詠唱と、金属を擦るような硬質な音が重なり、次の瞬間、封じられたはずの光が強く明滅した。


「――セレスティア様、異常接触の痕跡を検知しました」


 無機質で感情の色を欠いた声。

 それは巡回の神官兵ではなく、教会直属の監察官たちのものだった。

 彼らは無表情を隠すための仮面をつけ、まるで人形のように寸分違わぬ動きで扉の前に立つ。


「ただちに室内を検めます。立ち上がってください」


 セレスティアの胸が締めつけられる。

 今しがたまでここにあった温もり――マルシェの存在が、まだ微かに空気に残っている。

 それを嗅ぎ取られる前に隠さなければならない。

 見つかれば、ただの規律違反では済まない。


 机の上には、包みと、手紙の山。

 焦りが全身を駆け巡り、指先が机に伸びる――

 けれど、その刹那、重い音を立てて扉が強引に開かれた。


 監察官が二人、無言のまま室内に踏み込み、魔力探知の呪具をかざす。

 机の上に残された紙片が、かすかに青白く光を放った。


「……外部との接触を確認。誰と会っていたのですか?」

 問いは形式だけ。返答は求めていない。


「わたしは――」

「言わなくて結構です。記録に残します」


 淡々と包みを回収し、封印符で覆っていく手際は、あまりにも慣れていた。

 一人が耳飾り型の通信具に触れ、低く報告する。


「対象セレスティア、規律第七条違反。接触者特定中……確認、聖女候補マルシェ。――至急拘束を」


 その名を聞いた瞬間、セレスティアの指先が震えた。

 否定の言葉を放とうとしても、《聖環ノクティア》が喉元で脈打ち、呼吸ごと声を押し殺す。


(やめて……! 彼女は……!)


 心の奥底で叫んでも、届かない。

 監察官たちは淡々と術式を強化し、結界を二重に閉ざしていく。

 呪文の響きとともに、透明な壁が重なり、部屋の空気すら重く変わった。


「本件は宗政評議会へ直ちに報告されます。――ご協力感謝します、聖女セレスティア様」


 その皮肉めいた響きは、氷のように冷たく、ひどく空虚に聞こえた。


 足音が遠ざかる。

 扉が再び閉じられ、結界の明滅がゆっくりと収まり、静寂が戻る。


 残されたのは、冷たい部屋と、喉に絡みつく金属の重み。

 そして、逃れられない罪の感触。


(……また、誰かが、わたしのせいで……)


 胸の奥に広がる痛みは、言葉にできない。

 祈ることすら許されないこの檻の中で、彼女はただ、膝の上で握った両手を震わせていた。

 その指先は、もはや自分の意思よりも、必死に何かを掴もうとする本能だけで動いていた。


◇ ◇ ◇


 夜が更け、聖都の塔にかかった鐘が低く響いた。

 静まり返った聖女の檻の中で、セレスティアは机に突っ伏していた

 先ほどの監察官たちの足音はもう聞こえない。

 けれど耳の奥には、まだあの冷たい報告の声が残っている。


 ――「至急拘束を」


 その言葉が、刃のように心に突き刺さって離れない。


 マルシェは捕らえられる。

 彼女がどんな想いでここまで来たのかを知っているからこそ、その結末が恐ろしくてたまらなかった。


 窓の外には、聖都の夜灯りが遠く瞬いている。

 その光のひとつひとつが、檻の中からはあまりにも遠い。


(……わたしは、また守れないの?)


 胸の奥から、沈むような重さが広がっていく。

 祈りたい。

 彼女を救いたいと、ただそれだけを願いたい。


 けれど喉元の聖環は、冷たく彼女の息を締めつける。

 声にならない想いが、金属の枷の奥でくすぶるだけだ。


 やがて、遠くの回廊で重い扉の開く音がした。

 低い声と足音が、闇の中に溶けていく。


 ――それが、マルシェが拘束される音だとは、まだ知らなかった。


(どうか、無事でいて……)


 心の中で繰り返す言葉は、届くことなく夜に溶けた。

 そして、明日、彼女は“断罪の聖女”として舞台に立たされることになる――。

 ここまで読んでくださってありがとうございます。

 今回のセレスティアは、完全に教会の“管理下”で祈らされる立場になってしまいました。

 祈りを奪われ、枷を嵌められ、それでも消せない胸の灯火――それが唯一、彼女を彼女たらしめています。


 そして、その灯火の名はマルシェ。

 この場面ではまだ触れられませんが、次回以降、二人の関係はさらに深く、そして残酷な方向へと動き出します。


 静かに進む物語の裏で、確実に運命の歯車が回り始めています。

 どうかこの先も、彼女の祈りがどこへ届くのか、見守っていただければ嬉しいです。


 もし少しでも「続きが気になる」と感じていただけたら、ブックマークや感想をいただけると励みになります。

 あなたのひと言が、この物語を紡ぐ大きな力になります。

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