こぼれた本音2
額に冷たい感触がして、その心地よさに意識が浮上する。ふるふると睫毛を震わせて瞼を開けると、ぼんやりした視界の中に凪が映った。
「……あ、目覚めた? 気分はどう?」
「おかげでちょっとマシになった。軽くなら食べられそう」
「よかった。ほなゆっくり体起こすから、寄りかかってや」
凪が傍らに膝をつき、背中に腕を差し込んで起こしてくれる。サイドボートに置かれていた体温計を手渡され、熱を計ると37度後半まで落ち着いていた。
額には凪が買ってきてくれた冷却シートが貼られている。眠っている間に手当してくれたのだろう。何気なく壁掛け時計を見ると、夕方に差し掛かっていて驚いた。
「ごめん。かなり長く寝てしまってんな」
「謝らんでええよ。夜中また熱上がるかもしれんけど、よかったな。今のうちに補給しとき」
「うん。何かめっちゃいい匂いする。――これ何?」
ダイニングテーブルに置かれた一人用の鍋に目をやる。凪は莉子の手を取って立ち上がらせ、椅子に誘導した。
「梅雑炊。食欲ない時にさっぱり食べられるからおすすめ。適度に冷ましたから火傷の心配せんとパクパクいけるで。食べさせたろか?」
「さすがに自分で食べられる」
「はは。調子戻ってきたな。安心したわ」
少年のように屈託のない笑みに、胸がドキッとした。最近、凪の何気ない表情や仕草に敏感になっていて、思わず見入ってしまう。
けれどその変化を認めてしまうことは、莉子にとって途方もない勇気が必要で、気付かないふりをした。
食後、歯磨きをしてダイニングに戻ると、凪が洗い物までしてくれていた。心から感謝を伝えると、「律儀やなぁ」と笑ってくれる。
ベッドに腰掛け、一息つく。しばらくして、濡れた手をタオルで拭いた凪が側に寄ってきた。
「あんまり長居しても気休まらんやろうから、そろそろ帰るわ。助けが必要な時は夜中でも連絡してや」
「うん。何から何までありがとう」
「見送りはいらんで。鍵貸してくれたら玄関のポスト入れとく。鍵どこ?」
「そこの鞄の中。勝手に取ってええで。気を付けて帰ってな」
言葉と裏腹に、凪の腕を引っ張ってしまった。
「莉子? どうしたん?」
心配した凪が傍らに膝をつく。自分の行動に驚いて動揺した莉子は、焦って手を引っ込めた。
「っ! ご、ごめん。何でもない」
無言のまま観察され、ひどく居たたまれなかった。
(危ない……。まだ帰らんといてほしいって、喉まで出かかった)
そんな風に甘えられるはずもなく、膝の上でぎゅっと拳を握り締める。
(お願い。気付かんとって。気付いても、気付いてないふりして帰って)
心の中で願い続けると、ぽつりと凪が呟いた。
「――今夜泊まって看病したいって言ったら困らせる?」
驚いて凪を見る。彼はいつになく真剣な表情でこちらを見据えた。
「さ、すがにそこまでは甘えられへんよ。私が不安になると思って言ってるんやろ? 子どもやないし大丈夫や」
「いや、俺が莉子の側にいたいから。それに大人でも体調悪い時は心細いやん。側にいて少しでも安心できるなら、一緒におりたい。俺のわがまま、きいてくれる?」
(嘘やろ。なんでそんなに優しいん……?)
凪は莉子の性格を熟知していて、子どもみたいだと茶化したり、恩を着せたりしない。莉子のわがままを自分の頼みにすり替えて、最後の選択を委ねてくれる。
胸がぎゅうっと締め付けられて、目頭が熱くなった。大丈夫だと、平気だと――そう言って笑いたいのに。もう、凪の前で強がることができなかった。
「ほんまに迷惑やない……?」
気を付けていないと聞き逃してしまうような、とても小さな声だった。それを大切に拾ってくれた凪が、目線を合わせ両手を握ってくる。
「迷惑なわけないやん。むしろ莉子がしんどい時に頼ってくれて嬉しい。もっと甘えてや」
「じゃあ……眠るまで手繋いでてくれる?」
「もちろん」
「眠ってからも側にいてくれる? どこにも行かない?」
「うん。ずっと側におるから、安心しておやすみ」
凪の穏やかな声に、また眠気が襲ってくる。瞼を伏せると、凪がそっとベッドに体を横たえてくれた。そのまま側に座り込み、安心させるように手を握ってくれる。
(温かい……)
凪の温もりに心地よさを感じながら、深い眠りに落ちていった。




