こぼれた本音1
凪とお試しで付き合い始めておよそ二月――
週末のどちらかは二人で会う機会を作っていたが、この日、莉子は大きく体調を崩してしまった。
金曜の午後から悪寒が始まり、嫌な予感がしていた。そして朝起きた時には高熱を出してしまい、ベッドから起き上がるのもつらい状況に陥っていた。
【Riko/ごめん。昨日から体調いまいちで様子見ててんけど、熱出した。当日になって申し訳ないけど、今日の約束は延期してもらってもいい?】
ランチの約束を守れそうもなく、苦渋の決断で凪にメッセージを送る。
【凪/了解。こっちは気にせんでええからゆっくり休んでな。何かできることあったら遠慮なく言って】
すぐに返信がきてホッとした。朝九時前のため、凪もまだ支度をしていないだろう。
喉の渇きを感じて起き上がったものの、体を起こすのもやっとで、立ち眩みがした。
壁伝いにキッチンへ向かい、冷蔵庫から冷たい麦茶を取り出す。どうにかコップに注いで解熱剤を飲んだが、それだけで力尽きてしまった。
(週末まとめて買い出ししてるから、家何もないな。どうしよう……スーパー行くのきつい。出前取る? でも普段そんなんせんし、店探して注文するのに登録すんのもしんどい……)
ベッドに戻る気力もなく、その場に座り込む。しばらく蹲り、スマホを手にラインアプリを開く。迷った末、凪に連絡することにした。
【Riko/何度もごめん。しばらく外出できそうにないから買い物お願いできるかな? 家遠いのにほんまにごめん。絶対無理せんでな】
メッセージを送信し、膝の上に額をつける。しばらくして着信音が鳴った。
「……もしもし?」
『メッセージ見たで。もう家出るところやから待っててな。一時間くらいで着くと思う』
「……!」
急いで準備をしてくれたことに驚き、申し訳なさが先立つ。
「休日に予定キャンセルした上、おつかい頼んでほんまにごめん。急がへんから慌てずゆっくり来て」
『はは。何回謝るねん。気遣わんでええから、横になって休んでて。リクエストあれば教えてな。なければ適当に買ってく』
「ありがとう。気をつけてな」
通話が終了し、胸に安堵が広がる。もうすぐ凪が来てくれる――それだけで絶大な安心感が湧いた。
(大人になってからはどんなに体調悪くても、親にさえ看病頼んだことないのに)
凪に頼り、甘え始めている事実に危機を感じる。けれど深く考える余裕はなく、頭の隅に懸念を追いやった。
気力を振り絞ってベッドに戻り、約一時間。
インターホンが鳴りドキッとした。到着を知らせるメッセージが届き、訪問者が凪だと知る。腕の力で起き上がってよたよた玄関へ歩き、鍵を開けた。
「……おはよう。来てくれてありがとう」
掠れた声で出迎えると、凪は「顔色悪いな」と心配そうに眉を下げた。
よほどひどい顔をしていたのかと思ったが、くたびれた部屋着姿で髪はボサボサ、おまけにノーメイクという最悪の出で立ちであることに今更気付く。
(ていうか昨日からお風呂も入れてない……!)
ものすごい羞恥が込み上げて、咄嗟に扉を閉めようとした。凪は驚き、扉の隙間にスニーカーを滑り込ませてガッと扉を掴む。
「何してんねん。俺、押し売り業者ちゃうで」
「わ、分かってる。ただ色々と――色々とやらかしたことを自覚して羞恥心が……!」
「察したけど、朝から赤くなったり青くなったり忙しいなぁ」
ふっと息を抜いて笑った凪が、扉を開いて中に入る。パタンと扉が閉まり、鍵をかける音がして莉子は観念した。
「わざわざ遠いところ来てもらっといて、失礼な態度取ってごめん」
「焦っただけなん分かってるし、かまわへんよ。それより相当具合悪そうやな。熱何度?」
「39度前後……」
「は? 起きてたらあかんやん! 横なっとき。他に症状は?」
「だるいのと、食欲なくて胃が悪い……」
「ほな水分中心にとって休んどこ。歩ける? 肩貸そか?」
「大丈夫――」
ベッドに戻ろうと踵を返し、足元がふらつく。壁に手をつこうとして、凪に後ろから抱き留められた。
「っごめん」
思い切り凪に体重を預ける体勢になり、慌てて離れようとする。けれど、それは叶わなかった。
「ちょっと口閉じて。舌嚙まんといてや」
「え? ――っ!?」
いつのまにか靴を脱いでいた凪に抱き上げられる。そのまま部屋に入った凪は、そっと莉子をベッドにおろした。
「勝手に上がってごめん。緊急やから大目に見てな」
「う、ん。正直きつかったから助かった。ありがとう」
心臓がバクバクしてまともに顔を見られない。俯くと、凪は眉間に皺を寄せた。
「すぐ帰ろうと思ってたけど、やっぱり心配やからしばらく様子見させて。この近くで土曜も診てくれる病院探しておいたから。いつもとちゃうなって思ったら我慢せんと早めに言うてや」
「……分かった」
「ん。いい子」
ふわりと頭に置かれた大きな掌が、優しく撫でて離れる。顔を上げると、柔らかな眼差しに見つめられる。
よく見ると、凪の頭頂部に寝癖がついていた。普段の彼らしからぬ隙に驚く。
白の半袖Tシャツに黒のテーパードパンツというシンプルな服装からも、彼が身支度を惜しんで駆けつけてくれたのだと分かり、胸がきゅうっと鳴った。
「台所借りていい? 食欲なくても入りそうなもの作っておくわ。できたら起こすからひと眠りして」
「うん……ありがとう」
家の中に凪がいる。彼の気配に安心して、眠気が襲ってきた。うとうとしているうちに眠りに誘われ、抗わずに瞼を閉じた。




